マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

斑鳩の法隆寺から唐招提寺、薬師寺にゆく・・・奈良編(2)・・・


▶令和元年の師走に奈良に遊んだが、これはその二日目の記録。

▶翌朝早く起きてホテルで食事をとり、8時前に飛び出して、JR奈良駅から法隆寺へ向かった。法隆寺駅に降りたのは午前8時過ぎとまだ早く、バスも動いてなかった。そこで地図を見ながら歩いて法隆寺に向かった。天気も良く、20分ほどで参道まで到着。朝早かったためか、観光客はまだ誰もいない。南門をくぐって石畳の道を進むと、正面に中門が見えてきた。左右を見渡しても、道を掃除している寺の人以外は誰もいない。

法隆寺も高校2年の修学旅行以来のことだから、かれこれ50年振りの訪問になる。しかし、なんと静寂な世界であろうか。私が踏みしめる砂利の音だけがやけに大きく響く。しばらく中門を眺めたのち、境内に入ると、そこは本当に飛鳥の世界だった。f:id:Mitreya:20210213143210j:plain

法隆寺は、聖徳太子推古天皇の時代に建立した世界最古の木造建築と言われている。しかし、日本書紀にその後(670年)焼失したとの記述があり、現存する建物がいつのものかは、明治以来論争が続いていたらしい。しかし昭和になって焼失されたとされる旧伽藍の跡が発見されたことで、現在の建物は7世紀末から8世紀初めのものであることがほぼ確定した。いずれにせよ、1300年以上前に建立された木造建物が目の前に厳然としてそびえている様には圧倒される。建物の軒の出が大きく立派だ。

▶早速金堂に入る。東の入り口から入り南がわの回廊から内陣を覗くと、薄暗い中に教科書で見た釈迦三尊像があった。典型的な推古時代の仏像で、渡来系の鞍作の止利が製作したとされる国宝である。典型的と言ったのは、表情がわずかに微笑む姿が特徴的だからで、時代が下った奈良朝時代の仏像と比べると、写実性では劣るが、雄渾な感じがなかなかいい。中国の北魏様式を踏襲しているものだと説明書きにあった。

五重塔も近くによって見た。この塔には、東西南北に塑像が配置されていて、それがなかなかいいということだが、中が暗くて残念ながらよく見えなかった。まあ、次回来た時にでも、じっくり見ることにして、大宝蔵院へ向かう。ここは、有名な百済観音が安置されているのだ。

百済観音は、静かにそこに佇んでいた。八頭身にもなる細身の姿は、日本の仏像には見られない形像をしている。来歴も複雑で、いつ頃どこで作られて法隆寺にあるのかはよく分からないとのこと。観音とされているが、虚空蔵菩薩との伝もあり、百済観音と呼ばれるようになったのも大正時代以降だというから、要するに分からないことが多い仏像ということだ。和辻哲郎の「古寺巡礼」や亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」で紹介されているので、私も読んだうえでここに来て見ているのだが、確かに良いものに見える。横顔がどこか異国系の顔立ちであった。

▶大宝蔵院を出て、東院伽藍に回る。夢殿を覗いたが、秘仏の救世観音は開帳されていないので見ることはできず、その足で隣の中宮寺に向かった。

中宮寺は、尼寺で、ここには有名な弥勒菩薩があるので、じっくりと見ることにする。開け放たれた本堂の奥に、漆黒の弥勒菩薩が半跏思惟の形で座っている。寺ではこれを、如意輪観音として説明しているが、京都の広隆寺にある仏像と同じく、これは弥勒菩薩だろうと思ってしまう。その右手を軽く頬にあてる姿が、なんともあでやかだ。仏に男性も女性もないのだが、これはどこから見ても女性的な仏像である。軽く目をつぶっていったい何を思っているのか。この弥勒菩薩像を絶賛しない人はいないことから、法隆寺に来た人は必ず中宮寺に寄るとのこと。しかし、私が行った時は人がほとんどいなかったので、本堂に座って受付の女性とよもやま話をしながら、かれこれ30分もこの像を見ていた。至福の時であった。

唐招提寺薬師寺編に続く。