マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

またまた、奈良を訪れる・・(1)三月堂不空羂索観音像と興福寺仏頭


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▶妻を亡くしたその年(令和元年)の暮れ、勤めていた会社の用事で大阪に行ったついでに、一人京都・奈良を散策した。そして、翌年3月には友人と二人で東大寺二月堂の修二会(お水取り)を見た。これらについては、既にこのブログに書いた。ところで私は、昨年12月になんと3回目の奈良訪問を果たした。千葉に住んで1年間に3回も奈良に行くとは、相当な好き者の類と思われても仕方ないが、大和の国は、知れば知るほど奥深くなっていくので、「どうにも止まらない」・・・といった心境です。

▶昨年の秋は、精神的にも身体的にも回復が見られたので、会津・檜枝岐・奥只見の紅葉をバイクツーリングで堪能したが、依然として政府の「GOTO トラベル」キャンペーンが大々的に展開されていた時期だったので、これを利用して3度目の奈良旅行を計画した。旅行の楽しみの半分は計画を立てるところにあるので、日程作成に数日かけたが、結果的にJAL便で伊丹に飛んで、そこからリムジンバスで奈良市内に入るルートを試してみることに決定。航空券も宿もJALのパッケージプランを通じて予約して、これらがすべてキャンペーンで割引となったのだから、経済的にも大正解だった。

▶当日(11月30日)の朝は、羽田までリムジンで行き、予定のJAL111便に搭乗すると満席だったので驚いてしまった。久しぶりのフライトを楽しんで、昼前に伊丹空港に到着。奈良行きのリムジンバス乗り場はすぐ分かった。昼食を買ってすぐにリムジンに乗り込み(※こちらは乗客が3人のみのガラガラ)、午後1時半頃にはJR奈良駅前に無事到着した。初日なので、宿泊予定の駅前のホテルに荷物を預けて、軽く奈良公園を中心に散策する。

▶最初に東大寺ミュージアムに入る。ここに入ったのは初めてだったが、入り口を入るとすぐの壁一面がスクリーンになっていて、そこに当時の平城京の様子を再現したCG映像が映し出されている。これがなかなか美しくて素敵なんですね。展示のメインは、以前は三月堂に安置されていた日光・月光両菩薩像である。空いていたのでこの仏像はじっくり鑑賞できたが、こちらもなかなかよかった。次いで大仏殿を見る。大仏殿は前回も見ているが、素通りするのも大仏様には申し訳ないと思い参拝した。こちらは、大仏様より大仏殿の中に展示してある建立当初の東大寺の模型が面白い。続いて本日の目的の三月堂に行く。


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▶三月堂(別名、法華堂。この堂宇自体も国宝。)は初回の訪問時に立ち寄ったので、今回が2回目である。まず古い堂内に入って大変驚いたのは、明るくて風が通っていることだった。何事かと思って見ると外部に面した門扉が開いている。コロナ対策で門扉を開けて換気しているのだ。普通であれば絶対考えられない事態に、これには本当に驚いた。そこには、前回の印象とは全く違った本尊の国宝・不空羂索観音像が立っていた。

▶この不空羂索観音像が素晴らしいのは、頭上に戴いた高さ88センチの銀製鍍金の宝冠に、1万個以上の宝石(ヒスイ、琥珀、真珠、水晶)が使用されているという事実である。2012年に実際にこの宝冠を外して宝石の数を数えたら、1万1千個あったと言うから、まったくただものではない。しかし、もらったパンフレットにはこれについては何も記載がない。国宝としての芸術的な価値だけでなく、実物としての価値も高いのだから、防犯上も考えて記載していないのかとも思った。(※実際、昭和12年には宝冠の一部が盗難被害にあっている。)

▶この観音様は、胸の前で合掌しているが、その合掌した手の平の間に、ルビーのような赤い宝石を挟んでいる。前回訪ねた時は、私にはこのような知識は皆無で、しかも薄暗い堂内でこの観音様を見たので、「ああ、これが教科書に載っていた例の観音様か」といった程度の記憶しか残らないものだった。しかし、今回は堂内が明るいので、豪華な宝冠と合掌した掌の間の宝石もしっかり鑑賞できたのだ。これは本当にラッキーだった。私はこの事実を誰かに告げたくて、おせっかいにも、たまたま近くにいた観光客の夫婦に教えてあげたのだが、この夫婦も大変驚いていた。

▶三月堂を出て、東大寺の裏道を抜けて興福寺に戻る。途中、吉城園という日本庭園が開放されていたので、しばしそこを覗いてから、興福寺国宝館に入った。ここには有名な阿修羅像が展示されている。前回は修学旅行生の皆さんと一緒だったが、今回は空いていたので、これもじっくり鑑賞することができた。阿修羅像はもちろんよかったが、ここには国宝の仏頭が展示されている。

▶この仏頭は、興福寺の東金堂に祀られていた本尊座像の頭部で、大きさは1メートル近くある。この仏像は、もともとは桜井の山田寺にあったものらしいが、いつしか興福寺の東金堂に移され、その後は東金堂の本尊となっていた。ところが、1411年の火災で東金堂が焼け落ちた際、本尊の仏像も頭部のみを残して焼失した。残ったのがこの仏頭である。この仏頭は、昭和になってから、現在の東金堂の本尊(薬師如来)の台座の下から偶然発見されたのだという。そして国宝になった。

▶この仏頭の何が素晴らしいかと言えば、それは見れば分かる・・・と言ってしまえば身も蓋もないが、製作時期が記録によって白鳳時代(678年)と明確で、その造形美がまことに美しいことが理由のようだ。確かに、頭だけだが、大変美しい顔立ちで、これが完成された形で残っていたら、果たしてその姿はいかばかりかと思わずにはいられない。ルーブル美術館の、「ミロのビーナス」の腕や「サモトラケのニケ」の頭部も欠けているが、偉大な芸術は、欠損した部分があっても人を感動させることができるものだ。私はこの仏頭の前から、しばらく動くことができなかった・・・。

▶初日ではあったが、収穫の多い一日だった。興福寺を出て、大分暗くなった道を駅前の宿まで歩いて戻った。早速宿の温泉風呂(※なんと温泉です)に入ってから、近くの居酒屋に出向いて酒を飲んだ。GOTOトラベルの地域クーポンがあったので、居酒屋の支払いは殆ど必要なかったのだから、全くありがたいことです・・・。