マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

千葉公園の大賀ハス


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▶昨日は、午後10時前にベッドに入った。ここ数日は蒸し暑かったが、昨晩は比較的涼しかったのでエアコンはつけなかった。横になってふと南の窓を見上げると、少し開いたカーテンの隙間から夜空が明るく見える。不思議に思い起き上がってカーテンを開けると、東南の空に満月が上がっているのが見えた。梅雨の時季にこんな美しい月を見ることができるとは珍しい。しばらくカーテンを開けたまま、枕をベッドの足元側に置いて窓越しの満月を楽しんだ。

▶夜中に目が覚めたので時計を見ると午前2時。NHKラジオ深夜便をつけると、鶴田浩二の「傷だらけの人生」が流れていた。再び寝入って、今朝目を覚ますと午前7時半だった。いつもは6時前には目を覚ますのだが、今日は少し寝坊したようだと思いつつ階下に降りて行く。玄関を出てポストから朝刊をとってくる。そうか今日は木曜日だったか・・・ならばゴミ出しをしなければと思ったが、出すほどのゴミは溜まっていなかった。

▶さて、朝飯をどうしようかと思ったが、時間も遅いので昼飯と兼ねたブランチにすることにした。時間があるので、散歩にでも出かけようかと思いつつ数日前の新聞の千葉版に、千葉公園大賀ハスが見ごろを迎えているとの記事があったことを思い出した。それなら散歩がてらにハスでも見に行こうか。空を見上げると薄曇りなので、早速車庫からバイクを引っ張り出す。

千葉公園は、バイクで5~6分と近い。公園の入り口の空いたスペースにバイクを止めて中に入る。時刻は午前8時半頃だったが、比較的年齢の高い人たちを中心に、結構多くの人が歩いているのに驚く。大賀ハスが生息している池は、千葉公園のボートが浮かぶ大きな池の傍にある。入り口を入ってしばらく歩くと、前方にハス池が見えてきた。

▶到着すると、既に多くの人達がカメラ片手に、ハス池の中の木道を散策していた。池の大きさは端から端までで70メートル近くはあろうか。そこの池一面に緑鮮やかなハスの大きな葉が生い茂り水面は全く見えない。その緑の重なりの中からピンク色をした直径20センチ以上はあろうかというハスの花が、無数に顔をもたげている。あるものは大きく花弁を開き、またまだ濃いピンク色のつぼみを膨らませただけの花もある。仏教で出てくるハスの花は白が中心のような気がするが、ここのハスは本当にきれいなピンク色をしている。実に見事で、想像以上だ。これが、本当に2000年前の種から発芽したハスの花なのか・・・。
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古代ハスの研究者だった東大の大賀博士は、2500年前の縄文晩期とされる千葉県の検見川で発見された丸木舟の中に、古代ハスの果托(花が開いた後に残る芯)があることを知り、検見川の遺跡(現在の東大検見川グラウンド)を掘れば古代ハスの種子が見つかるとの思いを強くし、昭和26年3月、周囲を巻き込んで大発掘作業を開始した。

▶しかし、当時の検見川の発掘地は泥湿地だったため作業は難渋し、毎日作業員25人、近隣の中学校の生徒40人が発掘に従事するも種子の発見には及ばず、一週間の工期予定が四週間に及んだ。費用も限界に達した3月30日午後5時過ぎ、発掘作業に従事していた市内第七中学校の女生徒西野真理子さんが、とうとうハスの種子一粒を発見する。これに勢を得て、4月6日に更に二粒の種子を発見した。

▶大賀博士は、府中の自宅にこのハスの種子を持ち帰り発芽実験を行ったところ、同年5月9日をかわきりに三粒とも発芽した。しかし、最終的に生長したのは最初に発見された種子から発芽した一株だけだった。翌年、この株から掘り上げた蓮根を、大中小三つに分割して、大は東大農場へ、中は千葉公園へ、小は千葉県農業試験場に移植した。

▶昭和27年7月18日、東大株がまず26㎝のピンクの大輪の花を開いた。翌28年に千葉公園の株、そして30年には農業試験場の株も開花する。この古代ハスの生育時代の推定は、同じ場所で発掘された丸木舟の櫂の木片を、放射線炭素測定法で測定した結果の3075年前±180年前と、大賀博士のたんぱく質の凝固に関する独自理論を重ね合わせた結果、約2000年前の種子であると推定されている。
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▶今朝は曇り空の下、多くの人が咲き誇る古代ハスの姿を鑑賞していた。私は、傍らに立って交通整理をしていた整理員の人にそれとなく見頃の時期はいつ頃なのかと尋ねると、「いや、今日が一番ですよ。今日の花は本当に見事ですよ」と言っていた。さもありなんと私も思った。別に今日を狙ってこの大賀ハスの開花を見に来たわけではないが、ここに来たのも何かの縁だろう・・・。

大賀ハスがここで初めて開花したのが昭和28年。昭和28年は、私の妻が生まれた年だ。ハスは2000年の雌伏の時を経て開花し、それから現在まで変わらず毎年咲き続けている。個々の花は枯れて実をつけるが、その実からまた次世代が生まれてくる。思えば生命の不思議がここにある。ノンフィクション作家の立花隆が亡くなっていたとの報道が昨日あった。晩年の立花は、生命と死の神秘について多くの著作を残したが、私もまた、咲き誇るハス池の畔を巡りながら、きっと「極楽浄土」にはここにあるように、否ここより更に多くのハスの花が咲いているのだろうと思った。まるで亡くなった人と共に歩いているような不思議な感慨だった。
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▶色々いきさつを書いたが、これらは今年が大賀ハス発掘70周年であることを記念して、千葉公園内にあるハス池観覧の施設の中に展示されていた資料をもとにしている。