マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

東京オリンピックとコロナ対策


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▶梅雨が明けて朝からジリジリとした日射しが降り注いでいる中、いよいよ明日から東京オリンピックが開催される。しかし、既に昨日から女子のソフトボールやサッカーの予選が始まっているので、実はオリンピックはもう始まっている。コロナ感染症対策と両立し得る五輪開催がいかに困難なものかについては、既にこれまで言い尽くされてきた。直前になって、開会式の楽曲の提供者をめぐって、組織委員会の判断の甘さが露呈される事件もあった。しかしそれでもなお、また東京五輪についての様々な国民感情があることを踏まえても、私個人としては開催を祝福したい。

▶近代オリンピックは、1896年に始まり、第二次大戦中の2回(40年東京返上⇒ヘルシンキ中止、44年ロンドン中止)を除くと4年おきに開催されてきており、今回はコロナパンデミックの中で、1年延期された開催となる極めて異例な大会となっている。しかし、にもかかわらず、全世界から東京に選手団を派遣する国と地域は205の多数にのぼり、しかもこれまでコロナ感染症をリスクととらえて参加を取りやめた個人はあっても、国や地域は、北朝鮮以外一つもない。

▶参加する全ての国と地域の選手は、東京でコロナ感染が進んでいても、自らリスクをとってでも東京五輪に参加する意義を認めているのだ。世界から東京五輪に届くメッセージに、これ以上確かなものが一体あるだろうか。オリンピックは、単なるスポーツの祭典ではない。人類が、自らの身体能力の限界を総体的に知り、その上で、更にそれを乗り越えた者たちを、人類自身がその叡智と努力に対して祝福する場でもあるのだ。しかも、歴史が示すように、戦争があってはオリンピックは開けない。オリンピックが開催されるということは、現実の世界が少なくとも開催されるに足るだけの平和を確保できていることを示している。だから、多少リスクをとってでも、困難を乗り越えてオリンピックを開催する価値があると私は考える。

▶足元の東京ではコロナ感染者数が激増している。そういうリスクのある東京に、自らの人生を賭けたアスリート達が集まってくる。断っておくが、このような状況に極めて大きな切迫したリスク感じているのは「選手たち」であって、駅前で無責任なインタビューに応じる「東京都民」ではない。いわんや、冷房の効いた部屋でテレビを見ている「私達」ではないのだ。にもかかわらず、選手自身がコロナ感染を拡大する元凶でもあるがごとく、だから日本人の安心と安全が守られないと政府や組織委員会叩きに大騒ぎする一部のメディアについては、あきれてものが言えない。この付和雷同的な節操の無さは、ナントカならないものだろうか。
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▶一方、参加する選手のしたたかさを垣間見る瞬間もある。南アとの初戦を控えたサッカー代表の吉田麻也は、対戦相手となる南アの選手の中に感染者が出たことに対し海外記者から「(南アとの対戦について)これが安心安全にプレーできる環境か?」と問われたことに対し、「イエス」と応じ、「陽性者が出場できないルールで自分は1年間イタリアでプレーしてきた。個人的には(対南ア戦は)全く問題がない」と言い切り、オンラインでなく対面での記者会見である「今日が一番危険」だと締めくくった。

▶更にしたたかだったのは、オンライン取材に応じた久保建英。対戦相手の南アに陽性者が出たことを心配する声に対して、「自分たちに陽性者が出たのならマイナスだけど、相手に出たのだからマイナスではない」と発言した。対戦による感染が心配だと言う答えが聞きたかった?メディアとは、次元もレベルも違う発言を聞いて、私は胸のつかえがとれる気分だった。

▶1964年(昭和39年)10月10日、晴れ渡った土曜日の午後。小学5年生だった私は、東京オリンピックの開会式を、前橋市紅雲町の家の白黒テレビで見た。一緒にテレビを見ていたのは、母と妹だったが、開会式が始まる直前に、同級生の一人が外で遊ぼうと誘いに来た。私は誘いを断り、彼も誘って一緒に家のテレビで開会式の行進を見た。穏やかで、胸が躍る秋の一日だった。その2年後に父が亡くなり、当時一緒に見た母も妹も同級生も既に亡くなって今はいない。私は、57年ぶりの二度目の東京オリンピックの開会式を、明日一人で、再びテレビで見ることになるだろう。