マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

東京国立博物館の二つの特別展


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▶先週の金曜日は、月に一度のNHK文化講座「シルクロード物語」の日だった。前回はうっかり40分もの遅刻をして恥をかいたので、今回は満を持して参加した。ところで講座が始まる前、受講生の女性の一人が、東京国立博物館の特別展に行った話をしてくれた。興奮気味に話された内容は、展示されていた国宝「四騎獅子狩文錦(しきししかりもんきん」についてであった。

▶国宝「四騎獅子狩文錦」は、明治17年法隆寺夢殿の救世観音がフェノロサ岡倉天心によって何百年もの封印が解かれた際、同時に発見された国際色豊かな古代錦の傑作であり、これについては既にこのブログ(6月19日)に書いたとおりである。めったに見ることのできないその実物が展示されているというのは驚きであり、見たいとは思ったが、コロナによって厳しい入場制限が施され、しかも予約が前提なので、所詮は無理だろうと思って確かめると、当日券なら十分見られるという。これはチャンスかも知れない・・・。

▶一日おいた日曜日。朝食を食べると俄然行く気が沸いてきて、早速電車の時刻表を調べるが、外の天気は曇り空なので、これならバイクで出かけるのが一石二鳥かもしれないと思い、急遽支度を整えて午前8時過ぎにバイクで家を出た。日曜朝の道路は空いている。国道357号、298号、14号を通って東京に入った。そのまま靖国通りに入り、中央線の高架をくぐって右折して中央通りに入ると、その先に上野公園が見えてくる。

上野駅と上野公園の間の細い道を上がると以前使ったバイクの駐車場がある・・・はずだったが、何故か道は行き止まりに変更されており、目当ての駐車場が無くなっていた。仕方がないので、少し戻ってから、原付専用と書いてあった無人駐輪場に強引に入れた。私のバイクは中型だが、他のバイクに迷惑をかけることはないと思ったので、やむを得ずの処置だったが、本当にゴメンナサイ。

▶午前9時半の上野公園は空いていた。まっすぐ博物館に行き当日券を申し込むと、全く問題なく手に入れることができた。東博(トーハク)では現在二つの特別展が開催されている。一つは平成館の「聖徳太子法隆寺」展、もう一つは本館一階の「国宝聖林寺十一面観音」展である。聖林寺の十一面観音は、我が国の仏像の中でも激賞されている名高い仏像の一つでもあるので、こちらも当然外すことができない。両方合わせて3700円の拝観料は決して安くはないが、まあ十分もとはとれるだろう。

▶最初に平成館に入る。入ると正面に如意輪観音菩薩が半跏思惟の姿で鎮座されている。平安時代の作で、聖徳太子の実の姿だと信じられてきた仏像なのだという。展示室に入ると中は照明が落とされて、静寂の中に人が集まっている。係員が私語厳禁の看板を掲げて歩いている。この特別展は、国宝が23、重文が82も陳列されているトンデモナイ展覧会で、じっくり見ているといくら時間があっても足りないほどだ。この時のために6倍の双眼鏡を持参したが、これが実は大変に役立った。

▶仏像というと、大きなものが一般的だが、小さな菩薩立像を少し離れて双眼鏡で覘くと、実にいい表情をしていて、そこには全く別の世界が広がっているのを知って驚いた。空いているので、一体一体自分のペースで鑑賞できるのがなんとも贅沢だ。聖徳太子の関連する御物が沢山展示されているが、極めてユニークなのが夾紵棺(きょうちょかん)で、何かというと聖徳太子が葬られた時のお棺の一部なのだと言われている。

▶この夾紵棺は、50㎝×100㎝くらいに板状のものだが、木板ではなく45層に絹織物を積層して作られている代物だ。一般に天皇の棺でも麻を積層して作られており、絹織物が使用されているのはこの1例しか知られていないという。サイズも通常の棺よりは大きいということで、聖徳太子のものではないかと比定されている。後で調べたところでは、昭和33年に大阪の安福寺の床の間の花瓶敷に使われていたものを、たまたま寄宿していた猪熊兼勝という考古学者が発見したというから、かなり笑える話だ。

法隆寺金堂からは、薬師如来像と四天王像(2体)が出品されている。薬師如来像は、その光背に刻まれた銘文から、607年に推古天皇聖徳太子によって建立されたと言われる典型的な飛鳥様式(止利様式)の仏像だが、成立年代についてはもっと新しいものではないかとの謎も秘められいる点が興味深く、幾多ある法隆寺にまつわる謎の一つである。面白かったのは、薬師如来の指の爪が長いことで、私の亡き妻の指の爪にそっくりで、突然彼女のことを思い出した。仏像の爪はこんなに長かったのかと思い、その後、他の仏像の指を双眼鏡でチェックしたが、いずれも指の先から出ているほどの長さのものはなかった。

▶四天王像(広目天多聞天)も近くで見られるので素晴らしかった。通常、金堂内部は暗いので、この四天王像まではとても目が届かないが、それもじっくり観察できた。飛鳥時代の赤い色彩が残っているのも見事なものだ。また、金堂6号壁画を焼失前の戦前に写真をベースに模写した阿弥陀来迎図は、以前から興味があっただけに、双眼鏡を使ってなめるように鑑賞した。これは、模写ではあるが本体が焼けてしまった今となっては全く貴重なもので、右側の観音菩薩像などは、日本の壁画美術の白眉だろう。私は、昨年法隆寺に遊んだ際にこの観音像の複製を求め、現在それを額装して寝室にかざってあるが、実に美しくて見飽きないものだ。そう言えば、昔切手のデザインにこの菩薩像が使われたこともあった。

▶そして、本日お目当ての一つ、国宝「四騎獅子狩文錦」が、6号壁画の模写の前に平置きされて陳列されている。ああ、これが実物の古代錦なのかと、思わず駆け寄って覗き込む。縦250㎝、横幅134㎝の大きさで、色は既に退色しているが、当時は赤い色の鮮やかな中国で織られた古代錦の傑作だ。ペルシャ特有の丸い紋様の中に、ライオンを狩る騎士の図柄が描かれており、これを双眼鏡を使ってしっかりと鑑賞した。この古代錦にソグド人が関係していることは、既にこのブログに書いているが、頭で覚えた知識と、実際に自分の眼で見て確認した経験による知識とは、大きな差があることを実感する。百聞は一見に如かずとはよく言ったものだ。しかし、周りにいる人は、これを一瞥しただけで通り過ぎていく人が圧倒的に多いのだから、知らないということは恐ろしい。

▶ここまで見てきて、既に12時を回ってしまった。立ち通しなのでさすがに疲れる。しかし、最後に見た「伝橘夫人念持仏厨子」内に安置されているブロンズ製の「阿弥陀三尊像」は、小さなものだが、近くで見ると驚嘆するほど精巧に作られている。前年、これを法隆寺の宝物殿の中で見た時は、厨子の中に安置されているのと照明の関係で、その全貌は殆ど分からずじまいだったが、こうして博物館の中で見ると細部まで実によくわかる。

亀井勝一郎は「大和古寺風物詩」の中で、仏像を博物館の中で鑑賞するのはおかしい、と言っているが、確かに信仰の所産を美術鑑賞に置き換えるのはいかがなものかと言う主張は分からなくはないものの、やはり博物館でこうして見られるのは、信仰薄い現代人にとっては悪くないものである。もちろん、寺院の暗がりの中で見る仏像も、それはそれで充分に美しいのですが・・・。

▶やっと平成館の「聖徳太子法隆寺展」を見終わって外に出た。いささか疲れたが、本館裏の博物館の庭園を覗いてから、表に回ると庭にキッチンカーが出ているのを発見。お腹が空いていたので、ここでジャンキーなジャマイカ料理をテイクアウトして、近くの木陰のベンチに座って一人ランチとする。私の前を帰る人が通りすぎていくが、人数は多くない。本当に空いている。

▶昼食後、本館に入った。こちらは「国宝聖林寺十一面観音・・三輪山信仰のみほとけ」特別展だ。厳重なコロナチェックを受けて一階の特別展示室に入る。大きな展示室の後壁は、奈良の三輪山の巨大な背景写真で占められており、その前に大神神社の白い鳥居がセットされている。そして、展示室の中央には、ガラスケースに入ってはいるものの、有名な国宝「聖林寺十一面観音像」が厳かに立っている。これは、その見せ方といい、周囲の雰囲気といい、なんとも言えず劇的な構成で、一人の女性がこの像に向かって手を合わせているのを見て、博物館もなかなかやるではないか、と思った次第。

▶「聖林寺十一面観音菩薩立像」は、天平時代の仏像としては屈指の名品と言われており、薬師寺東院堂の「聖観音菩薩像」(白鳳時代)や中宮寺弥勒菩薩像(伝如意輪観音像)と並んで、我が国を代表する美仏の一つである。木芯の上に木の粉と漆を用いて造形してある乾漆像なので、細部にわたって仏師の心待ちが行き届いている気がする作りだ。天平仏特有の写実性が進んでいるためか、全体のバランスが絶妙で、中国・盛唐時代の仏像(例えば敦煌莫高窟の仏像)の雰囲気が色濃い。

▶本面のお顔も堂々としていて見事だが、頭上に配置された十一面の観音像のうち、正面左斜め前のお顔が、私には特に良く見える。こういう場合、双眼鏡を手にしているのは何より便利で、じっくり細部を手に取るように鑑賞できたのは実によかった。いつまで見ていても見飽きることはないが、帰りの時間もそろそろ気になってきたので、切り上げて展示室を出た。

▶この後、国立博物館NHKが共同で制作した法隆寺夢殿「救世観音」と名高い「百済観音」の巨大な8K映像を見たが、現代技術の粋の塊のようなこの映像は、本当に実物を前にしているような、否、それ以上に見えないところまで見えるような迫力に満ちたもので、これはおまけにしておくにはもったいないものだ。一方、通常展示室にあった、薬師寺東院堂の聖観音像の模刻は、造形は全く一緒とのことだが、表面のブロンズの色の赤味が強く、唇にも薄く赤が見えて、こちらは実物とはかなりの隔たりを感じた。やはり、聖観音像を見るなら、薬師寺に行くしかない。

▶全部見終わって外に出たら午後3時を回っていた。それからバイクに乗って千葉まで戻り、家に着いたのは夕方5時近かった。身体は疲れていたが、それに代わる不思議な充実感があり、大いなる心の栄養補給となった次第。それにしても、また奈良に行きたくなったなあ・・・。