マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(2の8)

▶第2ステージの四国遍路も残り2日となった15日の朝7時、今回の打ち止め(※遍路では札所の参拝を打つと言います)となる27番神峯寺を目指して宿を出る。宿から神峯寺まではかなり厳しい山道の往復となるので、宿に荷物を預けて、空身で出かけることにした。

▶この辺りは昔は安田の神峯と呼ばれて、神峯寺の参拝客目当ての旅籠が沢山居並ぶ繁華な所だったようだが、現在は全く寂れて、宿も私が泊まった民宿一軒しか営業していない有り様となっている。

▶高知には第31番札所の有名な五台山竹林寺という大寺がある。安政の大地震があった翌年に、ここの学僧を指導する立場にあった純信という僧侶と、若くて美人と評判のお馬という女が駆け落ちするために国抜けをはかるのだが、捕まってしまう。

▶この時の様子がヨサコイ節に以下のように歌われている。「土佐の高知のはりまや橋で、坊さんかんざし買うを見た。」坊さんとは純信のことである。

▶裁きを受けた純信は、伊予の国川之江で私塾の教授となる。一方お馬は、ここ安田の神峯にあった大旅籠の「坂本屋」に預けられ、その後は地元の大工と結婚して二男二女をもうけたとか。

▶実は、安田の神峯も、ヨサコイ節にも歌われている。「思うてかなわにゃ願掛けなはれ、流行る安田の神峯」と。以上は、朝早く神峯寺に登る途中の看板に書いてあった。しかし看板が伝える神峯の賑わいも、今は昔となってしまった。

▶空身で登ったのだが、寺に着くまでは結構大変だった。ダラダラとした上りが続いたあと、最後は真っ立てと呼ばれる九十九折りの遍路道を喘ぎながら登った。山門をくぐってから、本殿までは更に150段の石段があるのだが、このパターンは厳しい。しかし、静まりかえった寺で唱える般若心経も実にいいものだ。


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神峯寺を打ち終わってから、再び宿に戻り、荷物を受け取ってから国道55号線を高知方面に歩く。今日は早めに安芸市内のホテルに入ってゆっくりするつもりだったが、少し早めに到着したので、チェックインができない。それならと、ホテルに荷物を預けて、更に先まで歩いてから、鉄道で安芸まで戻ることにしたのだが、この選択はかなり無謀だったようで、これまで大事にしていた足裏に、大きなマメを作ってしまった。

▶泊まったホテルは、阪神タイガースの二軍がキャンプを張る時に使っているそうで、風呂もレストランも立派だった。遍路も残すところ後1日となった夜は、遍路旅にしては豪勢な夕食だったが、一人で食べるのは、どこか味気ないものです・・・。