マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

冬至の日の朝の記憶


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▶昨日は冬至だった。国立天文台によると、東京では、日の出が6時47分、日の入りが16時32分となっており、太陽が出ている時間が1年で最も短い一日だ。太陽の出入りの時刻というのは、太陽の上辺が地平線に一致する時刻と定義されているとのことで、太陽が西の地平線に半分沈んでも、日の入りとはならない、ということを初めて知った。いくつになっても知らないことは無限だ。要するに、僅かでも太陽光が観測できれば昼間ということになるが、これは我々の常識に一致する。

▶ところで私は、子供のころ母から一年で最も日が短いのは、冬至十日前だと聞かされていた。学校では冬至の日が一番日が短いと教わったのに、物知りだった母がなぜ違うことを言うのか、当時の私には理解できなかった。このからくりは、大人になって分かった。母が言う「日が短い」というのは、単純に日没時刻が早いということであり、確かに東京では(冬至ではなく)12月上旬の日没時刻が16時28分と、一年を通じて最も早い。

▶その東京では、12月中旬以降、日の入り時刻は次第に遅れ(※つまり日が伸びる)、冬至の日では16時32分となっていることは既に述べた通り。一方、日の出時刻はというと、こちらは12月以降どんどん遅くなり、冬至を過ぎてもさらに日の出は遅れ、最も遅くなるのは年明け後の一週間となる。昼間の時間を差し引き計算すれば、冬至の日が一番短いのは確かに事実だが、「日が短い」というのが「日没が早い」と同義に解釈すれば、昔の人が「冬至十日前が、最も日が短い」というのは、まさしく生活実感であったのだ。

▶もう一つ。ここで日の出が遅いというのがあまり問題とならない理由としては、12月から正月にかけては完全な農閑期なので、夜明けの遅さは、日没の早さと比べて関心が薄いということの表れかも知れない。話は飛ぶが、かつてインドネシアジャカルタに行った折り、午前7時を回っても屋外が暗いことに驚いたことがある。赤道直下のジャカルタは年中夏と言っていいが、夏にも関わらず日の出が遅いのがいたって不思議である。こちらは、単純に標準時刻の設定がズレているのが原因だと思うが、午前4時過ぎには明るくなる日本の夏とは違って、生暖かくて暗い午前7時のジャカルタ市内の朝の風景は、いかにも異国に来たことを感じさせた。

▶さて、快晴の冬至の昨日は、以前勤めていた会社の先輩の方々と成田でゴルフを楽しんだ。皆さん私より年上なので結構な年齢だが、ゴルフをやっている間は前の組のプレーが遅いなどとキャディさんに文句を言ってみたりして(※自分達のキャディに言っても詮方ないと思うが・・・)、意気軒高だった。昼食をパスしてスルーでラウンドしたが、後半ではエネルギー不足が著しく、年相応以上にスコアを落としたのは、当然と言えば当然だった。終了後は、場所を変えての反省会で盛り上がり、家に戻ったのは午後8時を回っていたから、いい一日だった。

▶実は、12月22日は父親の命日だ。若くして亡くなった父のことを思い出すことは、既にしてめったにないが、今年は残り少なくなっていたカレンダーの日にちを眺めながら、ある時ふと思い出した。前日には、父の好物だったおはぎを買って仏壇に供えてやった。ゴルフが終わって家に戻り仏壇に供えてあったおはぎを見た時、改めて父のことを思った。同時に、55年前の冬至の日の午前6時前、まだ暗く寒かった冬の朝の道を、親戚の人達が運ぶ父の遺体と共に、亡くなった病院から当時住んでいた紅雲町の家まで母と妹と歩いて戻った情景が、昨日のことのように瞼に浮かんだのだった。