マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

雨の日に津田左右吉を読む


f:id:Mitreya:20220214150240j:image
▶日曜日は朝から雨模様で、テレビでは本州南岸に低気圧が通過する影響で、夜から関東地方では雪が降るだろうと言っていた。先日降った雪が日陰ではまだ残っているというのに、また雪が降るのかよと思いつつ、昼食と夕食の食材を調達する必要があるので、雨がぱらつく中を四街道にある少し遠くのスーパーに車で買い出しに出かけた。わざわざ遠くまで出かけたのは、近所のスーパーで扱う食材に飽きたからだが、コロナ禍の単調な毎日の生活に、少しでもアクセントをつけたいというのが、意外と本当のところかもしれぬ。

▶そのスーパーで、夕食用に普段では買わない洋風のおつまみセットと、甘辛のチキンナゲットと、海苔の代わりに青菜を使って巻いた鯖寿司と、昼食用のサンドイッチを買い込んでいそいそと家に戻り、録画してあったNHK杯将棋トーナメントを見ながら買ってきたサンドイッチを食べた。一人暮らしの場合、食事の心配をしなくて済むというのは気分が楽だ。夕方からは雪だろうし、夕食は買ってあるし、早く風呂に入って(※風呂掃除も済んでいるしね・・)、今晩は好きなワインでも開けて、テレビでオリンピック観戦をするというのも悪くはない。

▶午後は、読みかけの「古事記及び日本書紀の研究」(津田左右吉著)を読み上げた。この本は、知る人ぞ知る戦前(昭和17年)に軍部によって発禁処分となった曰くつきの名著である。この本を選んだのは、もともと私が日本の古代史(※特に仏教伝来やシルクロード)に興味があったからだが、どうせ読むなら評価の定まった名著と呼ばれているものの方が、最近書かれた流行ものよりはいいだろうという程度の考えで、先日アマゾンで購入した。正直なところ、私は津田左右吉という人のことは、その名前しか知らなかった。(話は外れるが、アマゾンは便利だね。家に居たまま昔の希少本が手軽に手にはいるのだから。)

津田左右吉は、昭和36年に88歳で亡くなった元早稲田大学文学部教授の歴史学者で、その主張は一般には津田史観と呼ばれているが、戦前の軍部の弾圧や諸々の曲折を経て、現在の歴史学につながる大きな流れを作った人である、と言われている。しかし今回分かったことだが、天皇が神と言われ、昭和15年が初代の神武天皇が即位してから2600年目の紀元にあたるとして国を挙げて?大騒ぎをしている最中に、古代天皇の事蹟を書いた古事記日本書紀は史実を書いたものではなく、従ってそこに書かれた天皇の多くは実在していないと言い切るのは、よほどの勇気がいったことだろうと思わずにはいられない。

▶津田は、古事記日本書紀(※略して記紀と呼ぶ)は日本民族の歴史を書いたものではなく、皇室および皇祖の系譜を書いた説話にすぎないと云う。しかし津田は、記紀の歴史書としての価値を否定しているわけではなく、読むに値しないものであるとも言っていない。記紀には、書かれた当時の日本の支配層(天皇・皇族・有力豪族等)が有していた「思想や精神構造」がよく書かれているのであって、その現われ方こそが「歴史的事実」と呼ぶべきもので、内容として書かれている各天皇の事蹟は、「歴史的事実」ではないという。

▶これはある意味で「原理主義」を否定する考え方だ。世界には、進化論を否定し、人間は聖書に書かれているように神によって作られたと信じている「キリスト教原理主義者」や、コーランに書かれていることは一言一句正しいので、これのみに従うべきと考える「イスラム原理主義者」が依然として存在している。だからこそ、私は古代文献に向き合うアンチ原理主義的な津田の考え方に共感を覚えるし、よくぞ言ったと思う。

▶それにしても、いかな戦前とはいえ、「邪馬台国」の時代がせいぜい3世紀前半のことで、それが日本における歴史的事実の始まりに近いだろうというのが知識人に共通する理解であったろうと思われるなかで、2600年前(つまり紀元前7世紀の縄文時代)に神武天皇が日本全国を統一したという物語が歴史的には荒唐無稽な話であることは当然分かっていたはずである。にもかかわらず、昭和15年には国を挙げて皇紀2600年を祝い、その無意味さを公けに口にする人はいなかった。唯一、津田左右吉を除いてである。それが天皇原理主義を貫いた大日本帝国の現実だったということなのだろう。

▶津田の「古事記及び日本書紀の研究」は名著である。しかし、さすがに戦前の本は読みづらい。文章には段落分けや改行が殆どなく、しかも全体の結論部分が最後にしか書かれていないので、読んでいる途中は、著者の本当に言いたいことがどこにあるのかよく分からない。まるで分厚い外国の推理小説を読んでいる感覚だ。そういう意味では、ベッド・ディテクティブ(探偵が現場に行かずに、ベッドの中で推理する)として有名な高木彬光邪馬台国の秘密」によく似ている。しかし、津田の著作に小説的な面白さは全くないので、読み進めるには相当の辛抱が必要だった。

▶津田は最後に至って、記紀の中心命題の一つである神武東遷(東征)の物語(※皇室の祖先である初代神武天皇が、九州の日向の国で全国統一した後、瀬戸内海を通って大和の国に移ってきたとする話)は作り話であり、それに続く天皇の事蹟も事実ではないと言い切っているが、それは驚きであると共に爽快であるのだが、それならもっと早く言ってくれよ、と読んでいて思った次第。書きぶりがなんとなく主観的判断に偏っているのではと思わせるところがあり、それによって実際に津田のことを批判する専門家もいるようだが、全体としては、我慢して読んできて良かったと思わせる内容だった。やはり名著である。

▶その晩は、いつもの通り軽くビールを飲んだあと、予定どおりワインを開けて飲みながらテレビを見た。アメリカの国務長官が、プーチン大統領北京オリンピック期間中にでもウクライナに侵攻するかもしれないと真剣な顔で警告していた。アメリカは、ウクライナ問題の原因はロシアの拡張主義にあるといい、ロシアは、西側(NATO)こそが東側に覇権を拡大しようとしているという。現在起きていることでも、その実相がどこにあるのかが分からない。さすれば、遠い昔の話がどうであったのかを論じる歴史家が苦労するというのも、けだし当然ではあるまいか。

▶夕食を食べながら、それにしてもこの忙しくも騒がしいご時勢に、古代天皇の在りようがどうであったのかなどと、あれこれ詮索しながら、80年以上も前に書かれた希少本を有難がって読むというのは、我ながらまったくもって浮世離れしているなと一人苦笑いしていたが、気がつけば時計は既に午後9時を回っていて、ワインボトルの中身は半分ほどになっていた・・・。