マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(3ー2)

▶絶好の遍路日和を迎えて、高知市内のホテルから33番札所雪蹊寺まで25㎞ほど歩いた。正直、疲れました。宿に入って、こうしてブログを書いています。

▶朝いつも通り7時過ぎに宿を出て歩き出したが、歩き始めは少し寒く感じるものだ。30分も歩くと身体が温まってくる。31番竹林寺までは比較的近いが、寺は山の上にあるので上りがキツイ。
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▶この寺は、高知出身の世界的植物学者であった牧野富太郎博士の功績を記念して高知県が五台山の山麓に開設した「県立牧野記念館、植物園」に隣接している。朝の早い時間に遍路道を上り詰めると、ナント道は自然に植物園の中に入ってしまうから驚きだ。昔からの遍路道が植物園の中を通っているのだ。

▶朝早い植物園には桜や桃の花が咲き乱れ、 

それはそれは美しい。しかも開園前の時間帯だったので、一般人は入園出来ない。私は全く人影が見えないという贅沢を味わった。
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▶この植物園から外に出る仕組みが傑作で、園の入場口近くのトイレ裏の幅50センチほどの隠れたスペースを通って行くと入場門の脇に出られるのだ。目立たないように設置された扉があるが、そこから中に入れるとは誰しも思わないだろう。ちなみに入園料は大人730円と書いてあったが当然私はタダでした。なお、本件はホームページにも記載はありません。

▶さて、植物園を出るとその先に竹林寺の山門に向かう階段があった。そこがもう竹林寺である。
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竹林寺は、国分寺と同じく聖武天皇の勅願によって行基が開創したと言われているが、何で聖武天皇絡みが多いのかは、私は知りません。しかし、前回の遍路日記にも書いているが、竹林寺は「純信とお馬」の駆け落ちで有名である。分かり易く言えば、ヨサコイ節で歌われている「はりまや橋でかんざしを買った坊さん」が、純信である。純信は竹林寺の学僧の指導教官だった。

▶この話は、竹林寺の看板の説明書きにも書いてあったが、果たして竹林寺にとって名誉な話なのか不名誉な話なのか、一体どっちだろう。

竹林寺から次の禅師峰寺(ぜんじぶじ)に向かう途中、土佐勤王党の代表だった武市半平太の旧家と記念館に立ち寄った。ここで武市半平太のことを述べるつもりはないが、私は記念館でじっくりと武市の生き様に向かい合った。こういう男もいたんですね。しかし、37歳で切腹とは、言葉が出ない。さすが坂本龍馬が師と仰いだ人物というのも分かる気がする。下は武市の墓である。
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禅師峰寺は印象の薄い寺であるが、そこを出たのが11時前で、そこから日差しが照りつける道を桂浜に向かってひたすら歩いた。正午過ぎに、殆んど自動車専用道路と言ってもいい1480mの浦戸大橋を、恐々と超えて桂浜に入った。
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直ぐに行ったのは坂本龍馬記念館。ここで龍馬の手紙をじっくり読ませてもらった。(当然、現代語訳ですけど・・・)

▶これについては言いたいことが山ほどあつが、それはまた別の機会に。記念館を出たあとは、一度行って見たかった桂浜の坂本龍馬像である。その像は、意外にも砂浜ではなく小高い丘の上にあって、太平洋を眺めるが如く立っていた。
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この写真は特別のアングルなのでお楽しみあれ。しかし、本当に雰囲気あるね。下は桂浜です。
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▶時刻を見ると午後2時を回ってしまったので、あとはひたすら本日最後の札所である33番雪蹊寺に急ぐ。この辺りからドッと疲れが押し寄せてきて、途中で道を外れてしまった。さらに疲れが増したが、午後3時半に雪蹊寺に着いた。今日はこれでオシマイ。門前に構える民宿高知屋さんに入ったのは4時だった。

 

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