マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な60代「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(4ー7)

▶気の早い梅雨前線が南下したため、天気は回復し、午後からは陽射しも見えるなか、高知県愛媛県の県境にある松尾峠を超えて、伊予の国(愛媛)に入った。時刻は午前9時20分。峠からは通ってきた宿毛湾の景色が良く見える。

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▶この峠には昭和の初めまでは茶屋があったそうで、ようやくたどり着いた旅人は、ここで一服して茶を飲み団子を食べたことだろう。私もここで荷物を下ろして一息入れた。
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▶今日登ってきたのは土佐側からだが、その登り口には江戸時代には番所があり、ここを通る旅人や遍路の通行を取り締まったそうだ。こんな道をと思うような細い山道を、1日200人、最高300人が通過したと古記録に残っている。土佐と伊予を繋ぐメイン道路だったので、番所も必要だったのだろう。

▶その番所は、代々長田氏がお役を務めていたが、番所の跡地に建っている民家には、現在も子孫の長田さんが住んでいると案内板に書いてあった。念のため表札を確認したが、本当だった。令和の長田さんは何をしておられるのだろうか。

▶ところで、松尾峠には立派な石の標注が2本立っている。伊予側が先に立て「これより西、伊予の国宇和島藩の支配地」と書いた。その後土佐藩が「これより東、土佐の国」と書いて立てた。競い合う当時の両藩の役人の顔が思い浮かぶようで、何だかおかしい。

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▶ゆっくり峠を下って来たら昼近かったので、コンビニで冷やし中華を買った。食べようと思ってベンチを探したが、座れるようなところが一切ない。仕方なくしばらく歩いてから、道端の適当な石に腰を下ろして食べたが、まあこういうのもありですかね。

▶その後、56号線を歩いて午後2時半過ぎに40番観自在寺に到着。ここで以前に会った外人の青年に再会した。何だか久しぶりの感じで、お互いに挨拶を交わして別れたが、こういうのもありだ。

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▶ところで観自在寺で納経が終わったので帰ろうとすると、向こうからテレビカメラを抱えたクルーがやって来た。南海テレビが遍路の取材をしているのだそうだ。アナウンサーとおぼしき人が、何で歩き遍路をしているのかと聞くので・・ちょっとカッコつけて・・妻が亡くなったので供養のために回っているのですと答えると、食いついてきた。結構長く撮影されたので、今夜あたりの南海テレビのニュースに私が登場するかもしれない(笑)。まあ東京近辺では放送はないでしょうけど。