マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な60代「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(4ー9) 宇和島編

▶JR新橋駅から内幸町方向へ路地を少し行った先に、「宇和島」という小料理屋があり、今から20年以上前の私がサラリーマンだった頃、この店でよく職場の同僚達と酒を飲んだ。カウンターと狭い小部屋がいくつかあり、だいたい一番奥の部屋で飲んだが、最初に注文する料理は、とりあえず「じゃこ天」で、最後に食べて帰るのは決まって「たい茶漬け」だった。

▶いつだったか、この店が話題に上がった際、誰が最初にこの店を開発したのかという話で盛り上がった。その時名前が上がったのが私よりも一回り近く上の先輩のN氏だった。N氏に確認すると、高校の同窓の連中とたまに酒を飲む機会があり、その時この店を利用したのが最初だったとのことだった。N氏は、宇和島出身だったのだ。

▶その宇和島市内に今日初めて入った。実は本日の宿は宇和島駅前のビジネスホテルに決めてあり、朝出発した津島町の宿から16㎞ほどしか離れていない為、午前中に宇和島市内に着いてしまったのだ。本来はあと10㎞は先に行っておく必要があるのだが、残念ながら適当な宿が見つからず、やむを得ず宇和島市内に宿を取ったという次第だ。

▶という訳で、午後の日程がガラ空きになったので、市内巡りをする。最初に行ったのは天赦園。もともと宇和島藩の浜御殿があった場所に七代藩主伊達宗紀が自らの隠居の場として築造した大名庭園で、現在は国指定の名勝となっている。

▶市内中心部にある広大な池泉迴遊式庭園は、訪れる人も疎らで、もったいない限りだ。入園料は大人500円だが、65歳以上は300円なので、ありがたいの2乗だ。まるで3400坪の大名庭園を独占したような気分に入り浸ることができた。池のほとりにある茶室近くの藤棚の下で、休憩を兼ねて30分も佇んでいただろうか・・・長閑だ!!
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▶天赦園を出て直ぐのところに伊達博物館を見つけた。宇和島藩と伊達氏の関係とは何かとの思いもあって入館する。宇和島藩の初代は伊達秀宗とのことだが、彼は仙台の伊達政宗の長男である。なぜ政宗の長男が宇和島に来たのかという事情は、この博物館で知った。

伊達政宗は、豊臣秀吉の求めに応じて幼い長男秀宗を人質として提供する。関ヶ原の戦いの後、今度は徳川家の人質になった秀宗は、大阪冬の陣で父と共に軍功を上げるが、秀吉から一字を貰い豊臣秀頼とも近かったことで仙台伊達藩の家督を継ぐことを許されず、1614年に遠く離れた宇和島の地に、伊達氏別家として移封された。宇和島伊達藩は、この時に始まるのだ。

▶その宇和島藩は、江戸末期に脚光を浴びることになる。8代当主伊達宗城は、幕末四賢侯の一人として国政に関与することになるのだ。水戸の徳川斉昭徳川慶喜とも深い交流があり、宇和島にも当時の歴史資料が多く残っている。伊予宇和島藩がこのような位置付けの藩とはこれまで知らなかったが、こちらに遍路に来て少しは賢くなったような気がする。
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▶伊達氏博物館を出て宇和島城を見に行った。宇和島城藤堂高虎が築城を手掛けたもので、当時は珍しい海に浮かぶ城だった。80mの高台に天守閣を持つこの城は、二面が直接海に接していて、周りの掘も海水が入っていたのだ。現在は埋め立てが進んでしまったので、城は内陸にあるように見えるが、これもまた面白い。タモリが来たら喜ぶだろう。
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▶先輩であるN氏に導かれて、思いもかけず宇和島見物ができた。本当にラッキーだった。

閑話休題。このブログを書き上げてから(正直、大変な負荷です)、ホテルのスタッフに聞いて、宇和島駅から直ぐ近くの地元の銭湯に行ってきました。その銭湯で同じ風呂に倶利伽羅モンモンのヤクザのお兄さんが湯船に浸かっていました。昭和の銭湯は、宇和島では健在でした。

▶私はその後、近くの宇和島料理の店で、しこたま飲んで、無事ホテルに戻りました。今日は、亡き妻の誕生日です。