マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

Yさんの「ゆるゆる四国歩き遍路旅」


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▶私は、どちらかと言えば、計画的な性分だ。仕事をしている時は必然的に計画的にならざるを得ないのだが、定年後にヒマになっても、そのクセから抜けきれない。昨年から始めた四国遍路に行く際も、まず予定している行程を地図で確認し、往復の飛行機便と宿泊場所をあらかじめ予約する。そうすることが旅の楽しみの一つであると思ってやっている面もあるが、本当を言えば、事前に計画を作っておかないと気が済まない性格だからだ。ところが、世の中には全く行き当たりバッタリでも平気な人もいて、昨年1回目の四国遍路で知り合ったYさんもその一人。

▶先日、既に88ヶ所を巡り終わったYさんから、冊子の形にまとめられた結構な分量の歩き遍路道中記が私のところに送られてきた。読んでみると痛快このうえない。題名が、「私のゆるゆる四国八十八ヶ所歩き遍路旅」で、この冊子には私が実名入りで登場してくる。Yさんと出会ったのは昨年10月初めのこと。徳島市内の第1番札所霊山寺近くに宿をとった際、たまたま同宿したことが縁となった。ちなみに、この時の宿泊客は私達二人だけだった。

▶彼は私と同年配の北九州市八幡の人で、市内で長いこと米屋を営んでいたが、このほど店をたたんだのを機に四国遍路を思い立ち、配達で使っていた90ccバイクで徳島までやって来た。これから霊山寺の駐車場にバイクを残して88ヶ所を一気に回るのだという。話を聞く限り大した準備もせずにここまでやって来た感じで、駐車場にバイクを長期間放置しておいて大丈夫なのかとか、そもそも寺側の了解が得られるのかと疑問に思うが、本人は全く気にしていないのがスゴイ。翌朝、霊山寺山門前でお互い写真を撮りあって、道中無事を誓って別れた。

▶その晩私は、6番安楽寺の宿坊に泊まり、翌日は7番十楽寺、8番熊谷寺を参拝して9番法輪寺に向かうと、門前の茶店で昨日別れたYさんと思しき人が茶を飲んでいた。私はマイペースで歩きたかったので、茶店には寄らずそのまま9番法輪寺を参拝して次の10番切幡寺に向かった。切幡寺は、かなり長い上り坂を登り終えたあとに333段もの急階段が待っていることで有名な山寺で、汗をかきかき参拝を終えて階段を降りて行くと、「オーイ、オーイ」と私を呼ぶ声が下から聞こえる。登ってきたのはYさんであった。

▶その後私は一人で吉野川の中州を貫く道を延々と歩き、夕方11番藤井寺の参拝を終えて予約してあった「旅館吉野」に入ったが、しばらくするとYさんが同じ宿に入ってきた。翌日は「遍路ころがし」で有名な12番焼山寺。誰にでも人懐っこいYさんの要望で、たまたま同宿した遍路3周目のベテランの人に先導をお願いして3人で一緒に歩くことに。途中ペースの早いベテランの人には先に行ってもらい、今度は私が先導してYさんと二人で歩いた。夕方、12番焼山寺を参拝してヘトヘトでたどり着いたのは「すだち庵」という民宿。ここは夕食がレトルトカレーとパックご飯だけというような安宿であったが、Yさんとは酒を飲みながら話がはずむ。

▶明日はどこに泊まるのかと聞かれたので、既に予約してある旅館の名前を告げると、それなら私もそこにしますと言い出したのは想定どおり。結局翌日も一緒に歩いたが、13番大日寺に向かう途中にバカ話で盛り上がり、彼が勝手に道端になっている柿をもいで私にくれたり、ローソンでスイーツを食べたりしながらの弥次喜多道中になり、その晩は4度目の同宿となった。私は、翌日一端遍路を切上げて徳島から千葉に戻る予定なのだが、Yさんはこのまま一緒に88ヶ所回りましょうよと耳元でささやく。

▶計画のある私の場合、そうもいかないので、翌朝宿の前で写真を撮りながら残念がるYさんを残して一人徳島から千葉に戻った。それから何日か経ったある日。千葉地域でかなり大きな地震があったとき、突然私のスマホが鳴る。なんとYさんが地震を心配して電話してくれたのだった。彼はまだ遍路の途中だったので、道中ご無事でと言って電話を切った。そして先日、彼から遍路道中記が届いたのだ。

▶私と別れた後のYさんの行動は、届いた道中記に詳しい。しかしこれがまた読み物としては滅法面白い。高知市内ではYさんは友人の家に泊めてもらうのだが、その後はその友人の車で市内の札所を全て連れていってもらい、歩き遍路とは名ばかりの旅になる。これではいけないと再び歩き始めるが、基本的に行き当たりバッタリのゆるゆる旅なので、通りすがりの人の車にお世話になったり、道に迷って宿に着かなくなったので宿に電話をして車で迎えに来てもらったり、暗くなっても宿が見つからず途方に暮れて町の警察署に駆け込んだりのオンパレードだ。

▶それでも結果的に野宿もせずに88ヶ所を回り切ってしまうのだから、度胸さえあれば計画など立てなくともナントカなるのである。と、ここまで書いてきて突然気がつく。そうなのです。私と同じく奥さんを亡くして一人身のYさんは、まるでフーテンの寅さんなのです。傑作なのは最終の香川県に入った時、北九州に住む彼女(※この人のことは歩きながら聞いた)が突然やってきてドタバタする話も書かれている。その彼女はまるで寅さんに対するリリーさんのようで、この道中記に彩りを添えているのも実に微笑ましい。

▶36日かけて88ヶ所を回って再び1番霊山寺に戻り、風雨にさらされ篭の中に落ち葉が降り積もったバイクのエンジンをかけようとしたが、かからないので困った話とか、最後は高野山までバイクで行って泉佐野市から阪九フェリーで北九州まで帰る際に、フェリー乗り場までの道がわからず出航の時刻が迫るなか、通りすがりのオジサンにバイクで乗り場まで先導してもらったりとか、これでもかというほど傑作な話が続くのであった。

▶さて、私の場合、真面目?かつ計画的に、車のお世話になることもなく全ての行程を歩き遍路で通してきており、現時点まで大したトラブルもなく愛媛の43番明石寺まで終っている。そして、これらについてはその都度ブログにも書いているが、Yさんの破天荒な「ゆるゆる遍路旅」と比較すると、どうしても見劣りしてしまう。まるでトラブルがないのが悪いような気がしてくるのだ。そうかといって次回から行き当たりバッタリの遍路旅に変えることができるかというと、私には到底無理である。

▶Yさんの「私のゆるゆる四国八十八ヶ所歩き遍路旅」の冊子の表紙の裏には、「又、いつか、あえるといいですネ」と書いてある。旅は異質の人と知り合う機会である。それにしても愉快な人と知り合った。「そうですねYさん、今度私の88ヶ所の旅が結願したら、北九州にでも遊びに行きますよ。その時は、Yさんの彼女も交えて、三人で旨い酒でも飲みましょうか・・・。」