マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(5ー1)


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▶またまた四国遍路に行くことになった。今回で5回目である。昨年から通算すると600㎞以上は歩いている計算だが、巡った寺を数えると43で、ほぼ半分。今朝は7時前に家を出て、電車を乗り継ぎ羽田には8時40分に到着した。日頃の節制?の賜物か、はたまた神仏の加護があってのことか、ありがたいことにこの年齢でも体調にさしたる変化はない。

▶実はこのタイミングの遍路になったのには訳がある。3年前のちょうど今頃、既に終末期にあった妻が急に体調を悪化させ、その後10日あまりで永遠に旅立ってしまったのだ。だから8月下旬というのは、特別な思いが連なる日々であり、暑さが続くこの時期にわざわざ四国遍路を計画したことは、これらの思いと無縁ではあり得ないのだ・・・。

▶と言えばやや格好をつけ過ぎた物言いに聞こえなくもないが、真夏のコロナ下ではあれ、用事もなく家に引きこもっているというのも、正直何だか老け込んでいるようで、気が引けるんですよね。(それに、涼しくなったら別のこともやりたいしね。)

▶前置きはこのくらいにして、曇り空の下、松山空港に着いたのは11時過ぎだった。JR松山駅前の喜多方ラーメン屋に入ってから12時24分発の宇和島方面行きの2両編成の特急に乗り込んだ。前回はJR内子駅で終了しているので、今回はその内子駅から歩きを再開する。時刻はちょうど午後1時。

内子町は小さな田舎町だが、旧街道沿いに商家が立ち並ぶ小粋なところだ。駅近くに内子座という昔風の芝居小屋が残っていて、ここでは今でも東京から売れっ子落語家を呼んで定期的に寄席が開かれているというから、知る人ぞ知る町か。そう言えば、隣の伊予大洲もそうだった。知らないのは私だけ。


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▶内子から小田川に沿って走る国道379号線を久万高原町にある44番大寶寺に向かってひたすら上って行く。途中から日が差してきて気温が上がる。大寶寺までは42㎞もあるので、本日は12㎞ほど先にある宿「いかだや」まで行く。水分補給が欠かせない。

▶2時間歩いて大瀬という集落に到着した。休憩所があったのでリュックを下ろして休む。ここには大江健三郎の記念館があると案内板に書いてあるが、確かめるだけの余裕がない。関係も不明。15分休んで出発。すると今度は、曽我兄弟(十郎、五郎)の首塚の標識を見つけた。


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▶曽我兄弟は、先日の「鎌倉殿の13人」にも登場したあの仇討ちで有名な兄弟のことだが、その首がここに埋まっているというから、本当なら事実は小説よりも奇なりだ。そう言えば、青森には「イエスキリストの墓」も国道の標識に出ていたので驚いた記憶がある。

▶仇討ちの本懐を遂げた曽我兄弟は結局殺されたが、部下だった鬼王がその首を持って瀬戸内海を船で下る時、生首が傷んできたので仕方なくここに埋めた跡が現在「曽我神社」になって残っているとのこと。時間がなかったので私は通り過ぎただけだったが、歩いていると色々ありますね。

▶何だかんだだったが、予定通り4時過ぎに目的の「いかだや」に到着。ここは小学校の廃校跡を改装した宿で、場所が場所だけにやたらと広い。設備は比較的新しいが、風呂の湯が突然水になってしまったのには驚いた。これではまるで学校の怪談だ。

▶夕食が終わると一人で仕切っていたおばさんが、「夜中は誰もいないのでよろしくお願いします」と言って引き上げていった。幸い遅れて到着した若い学生さんらしき宿泊客が一人いたから良かったものの、もし運悪く私一人だけこのだだっ広い学校跡で泊まることになったとしたら一体どうしようかと、年甲斐もなく思ったのでした。