マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

国葬と宗教あれこれ


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▶27日は、いつもの居酒屋の常連さんと四街道ゴルフ倶楽部でゴルフを楽しんで家に戻ったら、ちょうど午後2時を回ったところだった。夜はその居酒屋で反省会をすることになっているので、それまで昼寝でもしようかとソファーに寝転んだが、今日は安倍晋三国葬があることを思い出したので、早速テレビをつけた。

日本武道館での国葬(正式には国葬儀というらしい)は、しかし、日本人が一般に想像する葬儀というものより、最近はやりの「お別れの会」に近いように私には思われた。死者を悼むという行為から神や仏の存在(つまり宗教性)を抜き去ってしまうと、「葬儀」の神聖さは薄れ、「お別れの会」という全く中性的なものに変質するようだ。政教分離の日本において、それはそれで悪い訳ではないが、それにしても、あれだけ騒いだ「国葬」が、この程度のものなのかと言う中途半端感はどうしても拭えなかった。

▶そう思ったのは、19日のエリザベス女王国葬があまりにも「立派」だったからで、立派に見えた理由は、イギリス女王の国葬キリスト教の礼拝の形式に基づいて行われたという面は当然あるが、イギリス政府が自らの威信をかけて、国葬プロパガンダとしての側面を徹底活用したからである。何と言っても「ロンドン橋作戦」である。

国葬は時の政権のプロパガンダであるという考え方は、28日のテレビ朝日のモーニングショーで玉川徹が言っていたことで、一部野党も同じことを言っている。彼らは、だから国葬をやめろと言っているのだが、もしこの話をイギリス政府がまじめに聞いていたとしたら、アホらしいと思ったに違いない。国が行う儀式は、国葬であれ何であれ(例えば戦没者慰霊式や自衛隊の火力演習など)、政府がプロパガンダとして活用するのは当たり前で、それが政治の本質というものでしょう、とういう具合に。

▶もっとも、玉川徹もどこかの野党も、それが政治の本質であることは十分承知していて、要するに、自分と違う考えをもっている相手がやる宣伝は許せない(※ただし、自分がやる場合は許される)と言っているだけなのかも知れない。それが証拠に、どこかの党は、死者を政治利用するなという掛け声とともに、ここぞとばかりに「国葬反対」というデモ隊を仕立てあげて、国葬を自分の党のプロパガンダとしてせっせと政治利用している。所詮、政治とはそういうものだ。

▶ところで、統一教会問題にからんで、信教の自由という概念や、政教分離ということがメディアでも取り上げられているが、こちらも分かったような分からないような話の一つだ。現代日本では憲法20条によって、政教分離や信教の自由が保証されている。戦前は条件付きで信教の自由は一応保証されていたが、最後は全ての宗教は天皇制(国家神道)の名のものとに実質的に統合された。兵隊さんは、死ねば誰でも有無を言わせず靖国神社に祀られたのである。(※文句を言ったキリスト教徒もいたらしいが)


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▶日本の信教の自由や政教分離原則は、敗戦後にアメリカによってもたらされたものだが、そのご本家のアメリカの宗教事情を「宗教からよむアメリカ」(森孝一著)によって知った。極めて分かりやすく有益な本であるが、読み終わってから、さらに分からなくなった部分も実はある。

アメリカは、歴史上はじめて国教制度を否定し信教の自由を保証した国ではあるが、現在のアメリカ大統領の就任式は、殆どプロテスタントの礼拝儀式そのものであり、新大統領は、牧師を前にして聖書に手を置いて、宣誓することで大統領に就任する。これって、なんかおかしいですよね。

▶現在のアメリカ国民の85%は、プロテスタントカトリックユダヤ教徒で、それ以外にイスラム教や仏教信者が5%、残り10%は無宗教だそうだが、15%のキリスト教ユダヤ教系以外の人々から、大統領就任式は政教分離原則に反し、憲法違反であると言う訴えは出たことがない。何でだろうか。

▶ちなみに、NHK総合テレビは、ビル・クリントンの大統領就任式において、このアメリカ大統領就任式の宗教的部分を意図的にカットする形で報道していたそうだが(※トランプやバイデンの時は知らないが)、日本の公共放送が、なぜこの宗教的儀式を報道しなかったのかは、よくわからない。他人様の国であっても、宗教が政治に関わるのはNHKとして見るにしのびないと思ったのかどうか(笑い)。

アイゼンハワー大統領は、「アメリカの政治体制は、熱心な宗教的な信条の上に基礎づけられていない場合は、意味をなさない」といみじくも言っている。ただし、「私は、その信仰が何であっても気にしない」と。しかし、本当にイスラム教の大統領が出ても大丈夫なんだろうか・・・。

モルモン教は、1830年に始められた歴史の浅い宗教だが、キリスト教の一派である。しかし、1844年に教祖の暗殺も含めて、アメリカ軍によって大弾圧を受けた。理由の一つは、当時のモルモン教団が一夫多妻制度をとっていたからである。一夫多妻は、イスラム教でも認められている宗教上の掟であるが、これはアメリカにとって、許されざる教義であったのだ。つまり、近代国家においては、信教の自由は、二重基準のようなものだ。その後モルモン教は、一夫多妻を放棄し、現在では、大統領の与党的性格の宗教に様変わりしている。つまり、今では何でも賛成モルモン教

統一教会というのは、アメリカでは完全に市民権を得ている。ワシントンのメディアにも進出しており、共和党とは蜜月関係にある。アメリカではいわゆる反共連合的キリスト教会は数多く存在しており、とうぜん選挙活動は資金援助も含めて全面に出てくる。統一教会も、その中の一つであるのだろう。しかし、アメリカでは日本におけるような、信者に高額献金を強いるようなことはしていない。だから日本の統一教会だけが、特殊な位置づけにあるようだ。それが、韓国に対する贖罪にあるというなら、統一教会員だけが戦後賠償の一部を今でも払わされているというに等しい。なんたることか・・・。

▶等々、色々書いていたら、とりとめがつかなくなってしまった。時刻はもう午後7時を回っている。今日はこれでおしまい。さて、夕飯の支度でもするか。