マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(6ー5)

▶気持ちの良い天気が続いている。こちらへ来る前の予報では、週末は雨模様とのことだったが、良い方向にハズレたのは有難い。今朝は6時から善通寺御影堂で勤行に参加した。宿坊に泊まった人の義務みたいなものだ。

▶住職が出張で不在のため、新米の若い僧侶が対応してくれるのだが、話の中身が薄く、時々つかえて手元の紙をみたりするので、おごそかな勤行を期待した者にとっては意外な感じがした。何事につけ訓練は必要だが、できれば訓練を終えてからの説教を聞きたいものだ。お釈迦様の最初の説法(サルナートの初転法輪)も、同じようなものだったのだろうか。考えるだけで、罰が当たりそうだ。

▶勤行のオマケに御影堂の地下の回壇巡りに参加。左手で壁を触りながら真っ暗やみの中を歩くのだが、こちらは長野の善光寺と同じ趣向だった。しかし、目を開けていくら凝らして見ても何も見えないという状況は、不思議な空間ではある。「死ねば虚無の世界」を一瞬ではあるが、体感できる。

▶7時半すぎに善通寺宿坊を出て、1時間ほどの歩きで76番金倉寺に到着。そこから多度津にある77番道隆寺に向かう。道すがらカネと太鼓の音が聞こえるので足を止めると、獅子舞をやっていた。これもこの地方の秋祭りの一部なのだろう。しかし見ていて懐かしい感じがする光景だ。

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多度津から丸亀市内を歩くのは初めてだ。昔、倉敷にある製鉄所に勤務していたことがあり、その時Mさんという地元の先輩が、丸亀市内から通勤していたことを思い出した。彼は、丸亀からフェリーで児島まで渡り、そこから自分の車で製鉄所まで通っていた。海が荒れる晩は、フェリーが欠航するので、自宅に帰れないMさんの酒に付き合った。あれから何年経ったやら。Mさんは元気でいるだろうか。

丸亀市内を抜けて78番郷照寺に向かう途中、坂出八幡の大祭に出会う。お馴染みの「ちょうさ」である。神輿の下に太鼓が仕込まれていて、叩き手が中に入って叩く。この太鼓の音は、とどまるところがない。いなせな若衆が、コロナも何処へやら、大きな声で叫んでいる。祭りは、やるのも見るのも大変だ。
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郷照寺は高台にあって、気持ちの良い風が吹き抜けていた。境内から真下に見えるのは坂出市街で、その遥か向こうに瀬戸大橋がかかっている。開通したのは昭和63年で、その年の5月、私は重病の妹を岡山の病院に引き取って介護していた。天気の良かったある日、妻と一緒に病床の妹を見舞った帰りに、開通間際の瀬戸大橋を見に行った。巨大な橋だった。遍路に来ると、いろんなことを思い出す。
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▶次に行った79番天皇寺というのは、白峰神社に併設された神宮寺で、白峰神社は讃岐の地で不遇の死を遂げた崇徳上皇の鎮魂のために設立されたものだ。鎮魂とは、要するに祟りを防ぐと言う意味で、例えば有名な菅原道真を祀った大宰府天満宮と基本的に同じである。つまりもとは怖い寺なのだ。誰もいない境内で、納経所の場所が見つけづらく、対応も悪かった。寺の名前が泣く。
▶その後疲れ切った足を引き摺る思いで80番国分寺まで歩いたが、今日は歩く距離の見込み違いもあり、寺に着いたのは既に5時近かった。その国分寺は、天皇寺と同じく愛想のない寺で、納経所では15分前にもかかわらず、坊さんが窓口を締めようとしていた。山門も5時前に閉めてしまったので、私はそこから出られない。そんなバカな。国分寺はかつて役所の寺だったが、讃岐の国分寺は今や役所以下である。

▶門前にある宿に泊まり、愛想の良いおかみさんと話していたら、最近は多くのお客さんが私と同じ目にあっているとか。その晩はその話で大いに盛り上がった。