マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

今日は本当に寒い・・・


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▶1月20日は、二十四節気でいう大寒。暦の上では、ここから2月4日の立春までが一年で最も寒さが厳しい時期となる。ただ大寒と言っても、20日を過ぎてもそれほどの寒さは感じなかったが、今朝起きてベッドを出るとさすがに寒い。階下の居間の温度計を見ると、10℃だった。新聞を取りに玄関を出る。突き刺すような寒さだ。不用意にパジャマのまま外に出たから寒いのは当たり前だが、気温はおそらく0℃前後だろう。

▶1月25日現在、日本列島の上空1500mには、マイナス15℃の寒気団がやってきているとかで、日本海側の地方ではドカ雪が予想されている。何でも10年に一度という寒さらしい。この寒気は明日までは居座るので、油断はできない。昨晩からテレビが水道管の凍結に注意するようにと言っていたのを思い出し、試しに蛇口をひねったら勢いよく水が出た。我が家の水道管はどうやら大丈夫そうだ。

▶昨年のこの時期にもブログに書いたが、1月25日というのは、明治35年旭川でマイナス41℃の日本最低気温を記録した日であり、同時に(それが原因の一つで)八甲田山の大量遭難事件があった日でもある。今日の旭川の最低気温がマイナス12℃で、昼過ぎの千葉の気温が2℃ということだから、寒いということには変わりはないが、それでも昔と比べると、現在の方が相対的に温かい感じがする。やはり温暖化してきているのだろうか。

▶子どもの頃の冬というと、とにかく寒かった記憶しかない。住んでいた前橋では、一冬に何度か干した洗濯物がそのまま凍ってしまうような日があった。家の壁が板張りで粗末だったからという理由もあるが、前の晩に焚いて入った風呂桶の湯が、翌朝に凍っていたこともある。だいたい1月になると学校の校庭にはあちこちに10㎝くらいの霜柱が立って、昼ころになるとそれが溶け出して泥状になるから、校庭がまともに使えなかった。当時の教室の暖房は石炭ストーブで、児童が登校してから用務員さんが火を入れるので、朝早く登校すると教室は冷え切っていて寒さが身に染みた。

▶それに比べれば、現在の千葉は暖かい。冬といっても、めったに氷が張ったのを見ることはなくなった。それでも若い頃と比べると耐寒能力が衰えてきているためか、寒いと外出する意気地がなくなる。春や秋には日課にしていた散歩も、最近は数日に一度と頻度が落ちた。まったく情けない話だ。それでも今日は夕方から千葉の焼肉屋で新年会の約束があったので、ダウンジャケットに襟巻をグルグル巻いて出かけた。

▶三々五々集まってきたメンバーは、皆さん完全装備で、口々に「今日は寒いね」と言っていた。それでも焼肉用のガスコンロを全開にした部屋はとても暖かくて、いつもの通り迷わずビールで乾杯。こんな寒い日に、冷たいビールを飲みながら焼肉が食べられるというのは贅沢なことだ。その焼肉屋はコロナにも関わらず満員で、2時間のタイムリミット制だったから、新年会は午後7時半には散会し、寒空の下、我々はまた完全装備で電車に乗って家に帰った・・・。

▶・・・といいたいところだが、最寄りの駅に降りたらいつもの居酒屋が目に飛び込んできたので、躊躇することなく中に入ってしまった。その後カウンターで仕上げの酒を飲みながら、横に居たお客と色々な話をして盛り上がったので、結局家に着いたのは9時半を廻っていた。それにしても、今日は寒い一日だった。