マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

東京藝大美術館の「みろく展」に行く


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▶四国遍路から戻ったばかりの10月9日の土曜日、東京で午後から友人達との会食が予定されていたので、せっかく東京に行くならと、あいている午前中の時間を割いて、以前から気にかけていた東京藝術大学美術館で開催されている「みろく・・終わりの彼方、弥勒の世界」に行った。この展覧会のことを知ったのは、通っているNHK文化講座「シルクロード物語」の中村清次先生の紹介(※ご友人がこの展覧会の関係者)なのだが、たまたま四国から帰った翌日に溜まっていた新聞に目を通していたら、文化欄に偶然にもこの展覧会のことが掲載されているのを見つけ、よくよく見ると会期が10日までしかないので、それなら9日に行くしかないだろうと思い、急遽行くことに決めた次第。

▶何度も書いているが、現在の私の興味の主体は「シルクロード」と「仏教伝来」で、この二つが特に色濃く交差する地域は、「中国・敦煌」であり「アフガニスタンバーミヤン」と「パキスタンガンダーラ」であると言っていいだろう。今回の東京藝大の展覧会は、パキスタンアフガニスタン、中国、日本へと繋がるシルクロードにおける東西文化交流の足跡を、弥勒菩薩誕生の経緯とその伝播と変遷に焦点をあてて示そうとするものである。

▶しかし何と言っても、展覧会の目玉は、2001年にタリバンによって破壊されたバーミヤン東大仏の仏龕(石窟)天井に描かれた「天翔る太陽神」と、バーミヤンE窟天井壁画「青の弥勒」の復元展示である。復元の元になったのは、日本が保有する在りし日のバーミヤン大仏やE窟天井画に関する膨大な資料であり、「天翔る太陽神」は2016年に復元が完了し、「青の弥勒」は今回やっと復元が終了したことで、展覧会開催の運びとなったようだ、とは中村先生の話である。下の写真は「天翔る太陽神」。
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▶そもそも、弥勒菩薩とは何か。まず、菩薩とは「菩提薩埵」の略で、簡単に言えば「悟りを求める人」という意味だ。釈迦が入滅したのは紀元前4世紀頃と言われていますが、原始仏教教団には菩薩という概念はありませんでした。しかし、教団の分派と大乗仏教の概念が成立するにつれて、遅くとも紀元前1世紀には「菩薩」という概念が現れたようです。その中にあって、弥勒菩薩というのは、釈迦入滅後56億7千万年後(※お経に書かれた数字を現代風に計算しなおすとこうなるそうです・・)にこの世に現れて衆生を救う当来仏で、現在は兜率天という天上世界で修行されていると信じられている仏のことである。弥勒は、大乗仏教の成立以降、おそらく最も早い段階で現れた菩薩と言っていいかも知れません。

弥勒菩薩サンスクリット語マイトレーヤ(Mitreya)と言います。そうです、私のブログの名前はここから採っています。最近の研究成果によって、この弥勒菩薩の前身は古代ペルシアのゾロアスター教の神の一つであるミスラ神(Mithra=太陽神)ではないかとういことが分かってきています。バーミヤン東大仏の仏龕天井に描かれた「天翔る太陽神」とは、このミスラ神を描いたもので、つまり古いゾロアスター教の神様(ミスラ)が新しい仏教の大仏の仏龕天井に描かれているということになりますが、その図式は、極めて興味深いものです。

▶さて、このミスラ神(太陽神)とメシア(救世主)信仰が結びついて東方に伝播したのが現在ある弥勒菩薩なのだということだが、実はゾロアスター教のミスラは更に古いミトラ(Mithra)信仰(インド・ペルシア地域)に淵源をもっている。このミトラ信仰はミトラ教(太陽神崇拝)とも言われ、西アジアから更に西方に伝播し、古代ローマ帝政期にはミトラス(Mithras)信仰としてローマ市内に多くの遺物を残しているというから、話は更に広がって面白くなる。先日もNHKシルクロード特集で、このあたりの経緯を解説していたが、まあ、ここら辺りを面白いと思うかどうかは、人生色々、人それぞれということになる。下はローマのミトラス神。
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弥勒菩薩像と言えば、我が国では京都広隆寺や奈良中宮寺の半跏思惟像が有名である。しかし、この形像は朝鮮半島や日本に特有なもので、中国の敦煌莫高窟雲崗石窟弥勒像は交脚像(座って脚を交差させている)で、今回復元されたバーミヤンの「青の弥勒」も交脚像である。写真は今回展示されている敦煌莫高窟275窟の弥勒菩薩像(模像)だが、中宮寺の半跏思惟像と比較すると、大分雰囲気は異なる。両者を芸術的感興の観点から比較するのは外道だと承知の上で、改めて中宮寺弥勒菩薩像を見るとやはりその完成度の高さが際立っていると思うのは、私だけではないでしょう。下の写真は敦煌弥勒菩薩像と中宮寺の国宝弥勒菩薩像。
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▶今回の展覧会で特筆すべきは、一部を除き写真撮影OKという藝大の太っ腹である。当日はカメラやスマホを片手に、多くの人達が見学していたが、撮影禁止となっているのが、仏像や制作物ではなく展示されている写真や動画の映像の類だったので、何か不思議な感じがした。おそらく著作権に抵触するからだろうと思われる。

▶今回目玉の「青の弥勒」(復元)を至近から見させてもらった。壁画が描かれたのは7世紀のことで、ラピスラズリの青によって描かれた天衣や背景が美しい。解説を読むと「629年にバーミヤンを訪れた玄奘三蔵法師も、きっとこの弥勒菩薩を見たかもしれない」とあったが、見ているとまるで遠い昔の景色が浮かんでくるようだった。とにかく現物と寸分違わぬ超絶技巧の復元作品で、この分野における東京藝大の力量の凄さに改めて感心した。また、一連の文化財の保護と復元の活動が平山郁夫画伯(元東京藝大学長)によって始められたことも分かって、一層頭が下がる思いだった。下の写真は「青の弥勒」。
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▶正午過ぎから渋谷で友人達との飲み会の約束があったので、上野の藝大美術館を出たのは午前11時と早かったが、それでも館内を二度も回ってしまうほどしっかり見ることができたのは良かった。その後参加した渋谷での飲み会は、小さな割烹を貸し切りにしてもらい、気の置けない友人達と昼酒を飲みながら楽しく会話をしたが、ここでの話題は、もっぱら自民党の総裁選とか政治がらみの生臭い話題が多かった。弥勒菩薩の話もいいが、友人達との話も滅法面白かったので、ついつい飲み過ぎてしまい、千葉に戻ったのは夕方近かった。