マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

「土門拳の古寺巡礼」に行く


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サッポロビールが恵比寿にあった旧工場跡地を再開発するのではないかとの話が出たのは、随分前のことだったような気がする。あれはバブルの頃だったか・・。それから30年以上経った5月10日、東京に出たついでに、再開発された「恵比寿ガーデンプレイス」に行った。特段、再開発された街に興味があった訳ではない。たまたまガーデンプレイス内にある東京都写真美術館で「土門拳の古寺巡礼」の写真展が開催されており、会期が5月14日までなので、かねてより何とか一度は覗いてみたいと思っていたからである。

▶写真に興味がある人なら、写真家・土門拳(どもんけん)の名前を知らない人はいないだろう。ただ彼は既に30年以上前に亡くなっており、写真に興味がない人にとってみれば、土門拳って誰なの?ということになる。土門拳は、1909年山形県酒田市生まれの写真家で、戦前・戦後を通じてリアリズム写真を徹底して追及した写真の鬼、昭和を代表する写真界の巨匠である。彼がカメラを向けた領域は、ドキュメント・人物・美術・建築・風景など多岐にわたっているが、後半生で自身が脳出血で倒れて以降、作品作りの中心となったのは仏像や古刹の撮影であった。

▶土門のライフワークとなったのは写真集「古寺巡礼」で、1963年に第一集が限定2000部(価格は2万3千円)で発刊されるや人気を博し、1975年の第五集で完結した。ところで、私が土門拳を知ったのは昭和47年(1972年)のことである。大学入学と同時に世田谷の経堂にあった群馬県育英会が運営する「上毛学舎」という名の寮に入寮するのだが(※この寮は建て替えられて現在も同じ場所にある)、その際、先輩に誘われて寮内の写真クラブに入部する。10人前後の同好会だったが、寮の一室には現像用の暗室もあって、私は小遣いをはたいて買った一眼レフを担いであちこちに出かけて写真を撮りまくった。この時指導してくれた先輩の一人から、初めて土門拳のことを聞いたのである。

▶しかし、古寺巡礼と言えばばまず思い浮かぶのは、哲学者和辻哲郎が大正時代に書いた「古寺巡礼」であろう。これは和辻が20代の頃に大和の古寺を歩いたときに受けた芸術的感興を率直な言葉で記した随筆で、戦前から戦後にかけて、日本の古美術や文化を愛する一部の若者たちのバイブルとなった名著である。土門も当然和辻の「古寺巡礼」を読んでいるが、土門が和辻の「古寺巡礼」の名前をかりて、敢えて自らの写真集に「古寺巡礼」と名付けたところに、彼の和辻に対するこだわりと、自らの審美眼に対する自信のほどが感じられる。土門は和辻に挑戦しているのだ。
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▶さて、当日は天気もよくて、昼過ぎに恵比寿駅からガーデンプレイス内の東京都写真美術館まで歩いた。美術館が近づくにつれて、ワクワク感が高まってくる。館内では他の写真展も開かれていて、受付嬢からは共通入館券を勧められたが、当然断った。入館してすぐの壁に、飛鳥寺の飛鳥大仏の眼の部分のクロースアップ写真が展示されていて度肝を抜かれる。飛鳥大仏は日本最古の仏像と云われているが、実は国宝ではない。破損が激しく、近世に修理されたと言われる顔は、修理跡が目立って無残な表情となっており、だから国宝指定はされていないのだが、私はかつて実物を見た際に正直かなり落胆した記憶がある。

▶しかし、土門は飛鳥時代に制作されたと伝わる眼の部分のみをファインダーで見事に切り取った。これは凄い。その眼を真近で見ていると、実物を見た時の無残な感じは消え去り、そこには創建当時の飛鳥大仏が、そのままの形で鎮座していると感じられるのである。思うに、かつての私は飛鳥大仏の本質を見ることができなかったが、土門は、写真を通して大仏の本質に迫り、切り取り、抉り出すことに成功している。
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▶その後の法隆寺金堂の釈迦三尊や、夢殿の救世観音の写真は、見慣れた感じもあって、それほどの感興は無かった。いずれも正面から撮影されたものだが、もともと飛鳥時代北魏様式の仏像は、正面性と左右対称性を強く意識されて作られているので、さすがの土門も撮りようがなかったのか。ただ、聖徳太子を等身大に写したとされる救世観音は・・土門も言っているが・・やや不気味である。一方、中宮寺の半跏思惟弥勒菩薩像は、うつむき加減のお顔の右側面を下から仰ぐように撮影しており、鼻から唇にかけての輪郭が陰影豊かに強調されていて見事であり、振いつきたくなるような美しさである。この表情は、正面から見たのでは分かるまい。同様に、京都広隆寺弥勒菩薩像のお顔のクロースアップも美しいが、こちらは仏像の材質までが見事に表現されている。

▶土門の仏像の撮り方は、暗い中で、ここぞと狙ったアングルで大判カメラを固定し、絞りを思い切って絞り込んで被写界深度(ピントの合う範囲)を深くし、一方でシャッターを開放させたまま、あらかじめ計算された角度からフラッシュを何度も焚いて、多重露光させるやり方で必要な光量を確保して写真を撮っている。映画監督が、自分が思ったシーンを撮ることに全力を注ぐように、土門も自らの審美眼にかなった対象およびアングルに徹底的にこだわり、そこから仏像に内在する美しさや本質(凡人には気がつかない)を引き出している。

▶仏像以外の写真で特に印象的だったのは、真夏の室生寺の金堂を見下ろす一辺が2メートル近くもある白黒の風景写真である。この写真の前に立っていると、夏の強い日差しの下に静かにたたずむ室生寺金堂を囲む樹々が、微風に揺れて今にも動き出しそうで、そこに流れる時間までもが映し出されているように感じられる。なんだかタイムマシンに乗って過去に遡っているような不思議な感覚なのだ。今一度こんな時代に帰りたいとの思いが募り、しばらくその前から動くことができなかった。
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▶1時間半近く会場に居て、その中を行ったり来たりと3回りもしたので、かなり疲れた。それでも誰かに急かされることもなくじっくり鑑賞できたのは何物にも代えがたい。帰りがけにショップに立ち寄り土門の写真集を買い求めた。あいかわらず5月にもかかわらず、真夏のような陽射しであったが、念願の土門に会えた幸せを感じつつ、夕方に千葉まで戻った。