マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

法隆寺から中宮寺へ(奈良編その2)


f:id:Mitreya:20231205071701j:image
▶奈良に来ると必ず訪れるのが斑鳩法隆寺。このブログの壁紙にも使わせていただいているように、私にとっては特別な寺でもある。初めてこの寺を訪れたのは高校2年の秋の修学旅行の時のはずだが、残念なことに記憶らしい記憶は全く残っていない。それから約50年の日月を経て、次に訪ねたのが令和元年の12月。今から4年前のことだ。以後は訪問が重なり何と今回が5度目である。

法隆寺に流れる時間は、なぜだかゆっくりしている。創建以来、幾たびの戦乱や災禍に堪えること1300有余年、これだけの時を経ても変わらずそこにあるのが法隆寺だ。その奇跡的とも思える事実の重みが、私にそう感じさせる。一方、この寺に来る人間の多くは、程度の差はあれ己の人生に対する向き合い方や、人の世の儚さを知らされることになる。私もその一人だが、かといって居心地が悪いわけではない。むしろ反対で、それを味わうためにこそ、この寺に来るのだ。
f:id:Mitreya:20231205071742j:image

▶11月29日、午前8時過ぎにJR法隆寺駅から歩いて15分で南大門に到着する。この門をくぐると幾重の塀が連なる正面に中門がどっしりと構え、その先に五重塔が聳えているのが見える。朝まだ早いので観光客の姿は見えない。実はこの時間に来るというのが私の流儀で、静かな境内には掃除をする寺人の箒を使う音と自らの砂利を踏む足音だけが響いている。いつもはすぐに西院伽藍の回廊の中に入っていくのだが、今回は西側の寺域のはずれにある西円堂を見に行く。

▶西円堂は観光コースから外れているので、見に行く人は稀だ。私も初めてのことだが、小高い丘を上ると八角形のお堂があった。傍らにいた寺人に挨拶して、扉の格子の間から堂の中を覗かせてもらう。中央に丈六の薬師如来が座っていた。周囲を十二神将が囲んでいる。堂の大きさに比べて思いのほか如来像が大きいのに驚くが、いまだ金箔が残るこの如来像は奈良時代に作られた脱乾漆像で国宝である。こんなところにも国宝が控えているとは、法隆寺の懐の深さを改めて知る。

▶続いて西院伽藍の回廊の中に入る。間近に見える五重塔と金堂には、お久しぶりですと思わず挨拶したくなる気分だ。五重塔の最上部の相輪を双眼鏡で眺めると、基部に草刈り鎌が刺さっているのが見えるが、これも法隆寺の特徴の一つ。この塔の見どころは一階内部の東西南北に飾られている塑像群の見事さで、いずれも釈迦の説話を表わしているが、中でも釈迦の涅槃にあたって弟子たちが泣き叫ぶ姿を表わした像などは、迫真の表現である。

▶次いで隣の金堂に入る。飛鳥時代に止利仏師が造ったとされる釈迦三尊像薬師如来像が迎えてくれた。これらの像は飛鳥仏に見られる口元の微笑みとアーモンド形の目の特徴を備えており、我が国では最古級にあたる仏像である。年代的には薬師如来が僅かに古く607年、本尊の釈迦三尊像は622年前後に造られたことがそれぞれの像の光背の裏に刻まれた説明書きによって分かっている。しかし、このように製造年代が推定できる古代の仏像は極めて珍しい。いずれも北魏様式の仏像だ。

▶金堂内部は、これらの仏像を囲む形で壁画が描かれている。これらの壁画は、日本における仏教美術史上の白眉とも言える存在であったが、残念なことに昭和24年に金堂内部を解体修理をしている時に失火によって焼失した。現在あるのは模写である。中にあった仏像群は、たまたま失火前に別の場所に運ばれていたので災禍を免れたが、壁画は持ち出すことができなかった。

▶壁画のうち、西面を飾る6号壁画は、阿弥陀来迎図と呼ばれる三尊像で、中央に阿弥陀如来、正面右には脇侍の観音菩薩、左には勢至菩薩が描かれている。私が最も好きなのは右の観音菩薩像で、妖艶な美しさの中に深い慈愛を感じさせる素晴らしい壁画である。本物が既にこの世にはないということは悔やみきれないが、幸いなことに当時既に精巧な写真原版が残っていたので、これをもとに現在ある形に復元された。それにしても残念きわまりない話である。当時の関係者の苦しみと悲しみは、いかばかりであったか。

▶金堂を出て国宝館に向かう。ここには百済観音像がある。この像も数奇な運命の果てに現在あるようだが、こちらも持参した双眼鏡でじっくり見ることができた。百済観音の場合、表面の剥落から表情を読み取るのが難しいが、双眼鏡で拡大すると、これまで気づかなかったものが見えてくる。私には観音の左目がどう見ても二重瞼に見えるのだが、どんなものだろう。仏像が二重瞼というのもどうにも信じがたいが・・・。

▶ここまでで約2時間が経過。だいぶゆっくりと時間を使った感じがする。国宝館を出て東院伽藍に向かう。こちらは夢殿と中の厨子内に安置されている秘仏の救世観音が有名。救世観音は秘仏ゆえ時期を選ばないと見ることができず、私もこれまで一度も直接見たことはない。今回も見ることかなわなかったが、いつかは見ることができるかも知れぬと思い、そそくさと隣にある尼寺の中宮寺に向かった。そう思ったのも訳があって、なにを隠そう、救世観音は極めて不気味な像なのだが、説明しだすとキリがないので、別の機会にゆずりたい。
f:id:Mitreya:20231205072822j:image

▶さて、中宮寺と言えば半跏思惟の菩薩像。あまりにも有名なこの仏像は、その古典的微笑(アルカイックスマイル)の素晴らしさから、エジプトのスフィンクス、ダビンチのモナリザと並ぶ三大微笑の一つであると言われている。スフィンクスは見たことがないが、モナリザは今年の6月にもルーブルで見ている。モナリザの微笑は見るものに不可思議な印象を与えるが、この菩薩像の微笑には不可思議な感じはない。というより、その裏に隠されている慈愛や精神性のようなものを強く感じることができる点で、東洋的な魅力に満ち溢れている。
f:id:Mitreya:20231205073355j:image

▶かつては宝冠や胸飾りをつけていたことが像に空いた穴によって知ることができ、それゆえにこの像は如意輪観音であるというのが寺伝となっているが、半跏思惟のこの像は、京都太秦広隆寺の像と同じく、弥勒菩薩像とするのが妥当だろう。堂内の説明役の人も同じ意見のようだった。とにかく、この像こそは何度見ても見飽きない。毎日欠かすことなくこの像に向かい続けている中宮寺の尼門跡の方も、さぞかし同じ気持ちでおられるのだろうと思いながら、この寺を後にした。