マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

西ノ京を歩く(奈良編その4)


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▶世の中何となく分かったような気になっているが、よくよく調べてみると自らの知識が実は間違いだったと気づくことが多い。先日奈良に行った際に、駅前の観光案内所でもらった奈良県の全県観光ガイドマップを見ていたら、南北に長いマップの一番北のはずれの京都府との県境近くに奈良市があることに初めて気がついた。関東に住む私は、何となく奈良市奈良県の中央部にあるものと勝手に思っていたのだが、間違いだった訳である。

▶あらためて近畿地方の地図を確かめると、京都駅と大阪駅の直線距離は約45㎞、京都駅と奈良駅の距離は約40㎞、奈良駅大阪駅の距離は約30㎞であることが分かる。つまり現在の高槻市あたりを中心に半径30㎞の円を描くと、京都も大阪も奈良市内もすっぽり納まってしまう関係にある。これは意外だった。実際の道のりはもう少し長いので、昔の人でも一日で歩くのは無理があるが、二日もあれば十分に歩いて行き来できたのである。奈良はそういう距離感の中にある。

▶前置きが長くなったが、奈良の旅の3日目は、西ノ京の薬師寺唐招提寺を中心に、まだ訪れたことのない西大寺や秋篠寺を廻ることにする。地図を片手にあれやこれやと廻るルートを考えていたら、何のことはないこの地域なら全て歩いて廻れそうな気がしてきた。四国遍路で一日25㎞を歩き続けた身としては、この程度の歩行なら問題はない。そうと決まれば最初に行くのは薬師寺だ。

▶JR奈良駅前からバスに乗り30分ほどで薬師寺に到着。薬師寺天武天皇の発願(680年)により飛鳥の藤原京に造営されたのが始まりで、その後の平城遷都(710年)に伴い、平城京の西ノ京に移されて現在に至る大寺である。西ノ京とは平城京の文字通り西半分という意味で、藤原京平城京の約20㎞南である。薬師寺には既に何度も訪れているが、今回の見どころは今年再建工事が終わったばかりの東塔の見学である。
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薬師寺東塔(国宝)は、白鳳時代の創建当時から残る薬師寺唯一の建造物であり、明治時代に来日したフェノロサは東塔の美しさを「凍れる音楽」と称した。朝一番で行ったので境内は空いていて、今回特別拝観の対象となる東塔と西塔の一階内陣の塑像群も見事であった。これら塑像群はいずれも現代作家によるものであるので、法隆寺五重塔とは比較できないが、薬師寺のプライドを感じさせる出来栄えに仕上がっている。

▶また今回、金堂内部で薬師寺住職による朝のお勤めの儀式が催されていて、私も国宝の薬師如来、日光・月光両菩薩の仏前において、僧侶と共に般若心経を唱えさせていただくことができたことは望外の喜びであった。その後は東院堂に回って聖観世音菩薩(国宝)を見る。前回もこの像の前で釘付けになったが、今回は持参した双眼鏡でさらにじっくりと見た。我が国の数ある仏像の中で、中宮寺の半跏菩薩像と並んで美しいとされるのがこの聖観世音菩薩で、私の大好きな仏像である。

薬師寺では玄奘三蔵院伽藍に奉納されている平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」が圧巻で、薬師寺に来たらこの絵を見ないともったいない。7面に展開するこの絵の前に立つと、本当にシルクロードを旅している気分を味わうことができ、シルクロード好きにはこたえられない。奈良はシルクロードの終点なのだ。

▶そして薬師寺のすぐ北にあるのが唐招提寺。こちらは鑑真和上座像(国宝)が祀られている御影堂の再建が完了したので今回是非見たかったのだが(※東山魁夷画伯の襖絵が素晴らしい)、特別拝観の期間は前週に終わったばかりで、残念ながら見ることはできなかった。しかし境内は紅葉が美しく、南大門をくぐると正面に見える国宝の金堂と天平の甍の威容は相変わらず素晴らしかった。
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▶境内の奥まったところに鑑真の墓があり、かつて鄧小平、趙紫陽胡錦涛などの中国のトップが来日した際にもここに参拝している。昭和57年に来日した趙紫陽は、自らの手で鑑真の故郷揚州の樹木を墓前に植えた。現在その樹が育っており、傍らには記念の石碑が立っている。中国人観光客がしきりにその石碑の写真を撮っているのが印象的だった。日中友好の原点とも言える場所、それが唐招提寺だ。
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唐招提寺を出て田舎道を北に10分も歩くと、今度は第11代垂仁天皇陵が見えてくる。陵は周囲を掘りに囲まれていて、堀を隔てて鳥居越しに天皇陵を参拝することができるが、まことに長閑な景色である。鑑真の墓との対比が面白い。そこから西大寺までは30分程の距離である。途中にあった菅原天神の境内で、持参の軽い昼食をとる。
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西大寺近鉄大和西大寺駅から近い街中にある寺だが、名前からも分かるように、かつては東大寺に匹敵する西の大寺だった。東大寺聖武天皇によって建てられたが、西大寺は娘の称徳天皇の発願による。現在でも大きな寺域を有しているが、見るべきものが少ないのが残念と言えば残念。

西大寺を出て本日最後の寺である秋篠寺に向かう。この寺も名前からも分かる通り皇室に深く関係している。五木寛之の「百寺巡礼」の奈良編にはこの寺のことも書かれており、私はこの本を読んで秋篠寺があることを知った。地図を頼りに秋篠寺に向かって歩いたが、なんだか四国遍路の続きをやっているような気分になってくる。歩くこと30分ほどで到着。山門をくぐると森閑とした寺域に配置された苔の庭園が美しい。
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▶秋篠寺は、光仁天皇の勅願により奈良時代の末に平城京の西北の高台に創建された寺で、息子の桓武天皇の時代に完成した。秋篠とは秋篠氏という豪族に由来するとの説もあるが、よく分かっていない。ところで現在の皇室の秋篠宮の名前はこの寺からとっている。秋篠寺の本堂に入ると多くの仏像が並んでいるが、向かって最も左にあるのが有名な伎芸天像で、美術愛好家などには人気がある。伎芸の神様なので芸術や商売繁盛を願う人々がこの像に多くの供物を供えているのが印象的だった。仏像としてもなかなか良くできている。一説には秋篠宮紀子妃殿下に似ているとか。秋篠宮はこういうのが好きなようだ。
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▶秋篠寺を出て少し時間があったので、近鉄大和西大寺駅前の例の現場に向かう。例の現場とは、安倍元首相が暗殺された場所である。現在は花壇が整備されており、昨年テレビに映った景色とは異なっていたが、安倍さんはこんな所で命を落とされたのかと思うと、複雑な気分であった。その後は、平城京跡地に建設されている大極殿まで歩き、そこからバスに乗ってJR奈良駅まで戻った。今日も一日よく歩きました・・・。
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