マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

那須と会津のゴルフ旅


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▶連休前の23日から2泊3日の日程で、近くの居酒屋に集まる常連さん達と那須高原にゴルフに行ってきた。行ったのはドーミー・インを経営している共立グループが展開する「ウェルネスの森・那須」というゴルフリゾートで、ここは常連の一人であるS氏の紹介。メンバーは気の合う男性5名と居酒屋の女将を含む女性2名で、もう一人の常連メンバーであるU氏はゴルフはやらないので、残念ながら今回は不参加である。

▶幹事役をしてくれたのはまだ現役で建設会社で仕事をしているH氏で、彼は日ごろから仕事で培った段取りの技をこの日の為に惜しみなく発揮。なお当然のことながら会社を休んでの参加であるからして、H氏がいかにこのプロジェクトに入れ込んでいるのかが分かろうというもの。ちなみに女性の一人はくだんの居酒屋の女将で、彼女は自分の店をスタッフに任せての参加で、こちらも気合十分。

▶費用のことや現地での行動も考えて、那須まではクルマ2台を連ねて行った。1台はT氏が提供してくれたセルシオで、運転は還暦越えの若手のH氏が担当。H氏より年上の私は助手席に、長老格のT氏とS氏は後席に陣取った。もう1台は同じく還暦越えのK氏が運転するアコードで、K氏には女性陣2人を乗せていってもらうことにした。ちなみに女性陣の女将とOさんの年齢は不詳。

▶当日は朝8時前に千葉市内を出て、京葉道路から外環道を経て東北道に入った。平日なので外環道は混んでいる。H氏が運転する排気量4300㏄のセルシオは快調で、抜群の乗り心地。途中佐野藤岡SAでアコードと合流し、昼前には那須に入った。H氏の提案で、最初にホテル近くのスーパーで今晩の部屋飲み用の酒を調達、その後ホテルの前にあるレストランで全員でランチをとった。その後ホテルにチェックイン。
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ウェルネスの森・那須のホテルはクラシックな雰囲気で、部屋も広い。ここには9ホールのゴルフコースが付属していて、空いているので好きな時にゴルフが楽しめそうである。9ホールなので、ワンラウンドする場合は同じコースを2度回ることになるが、同じホールに異なるティーグラウンドとグリーンが用意されているので、飽きることはない。というか、シニアゴルファーにとってはこのくらいが丁度いい。

▶その日の午後からのハーフラウンドは途中で雨が降り出したりして少し気をもんだが、無事終了。早速ホテルの温泉に浸かってからレストランで夕食をとった。夕食はフレンチのフルコースでしゃれている。夕食後は、部屋に戻って買い込んだ酒で二次会と相成った。K氏が持ち込んだスピーカーにYouTubeをつないで懐かしのメドレーを聞きながら酒を飲む。私も自慢の声はりあげて「南国土佐をあとにして」を熱唱するうちに最初の夜は更けていった。

▶翌日は朝から雨が降っている。ゴルフはとてもできる状況ではないので、終日観光に切り替えることにした。さてどうするか。当初は那須周辺を散策することも考えたが、それだけでは時間がもたない。地図を見ていて猪苗代湖が比較的近い所にあるので、猪苗代湖野口英世記念館の見学を思いついた。次いで会津若松鶴ヶ城まで足を延ばせば終日観光ができるかもと思い皆さんと相談し、決定。雨の中を午前9時半にホテルを出発。

▶雨の中のドライブは思ったより素敵だ。那須高原猪苗代湖の周辺の山々のまるで水彩画で描いたような樹々の芽吹きが美しい。この緑は関東では見られないねといいながら走った。11時過ぎに猪苗代湖北岸の野口英世記念館に到着。私は以前ここに来たことがあるが、その時とは記念館の様相が一変していた。どうも最近大規模なリニューアルがあったようだ。
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▶英世がまだ野口清作と名乗っていたころ、医学を目指して東京に向かう際に、実家の床柱に「志を得ざれば、再び此の地を踏まず」と刻んだのは有名で、記念館に移築された野口の実家には、この床柱が現在も残っている。野口は渡米後ロックフェラー研究所で医学者として成功し、アフリカで黄熱病で客死した後は、日本では偉人の一人として道徳の教科書にも取り上げられ、最後はお札の肖像画までになった。
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▶しかし、福岡伸一のベストセラー「生物と無生物のあいだ」という本には、野口の評価がアメリカと日本では正反対に近いという事実が記されていて、読むと唖然とする。この本で引用されているアメリカ人のプレセットによる「野口英世」や、渡辺淳一「遠き落日」によると、野口の研究成果(梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病)と言われるもので今日意味のあるものはほとんどないという。加えて、野口自身のプレイボーイ的、放蕩的な性格は、関係者の間ではつとに有名であったらしい。福岡伸一は野口に対しては公平であるが、ことほどさように人の評価というのは難しい。

▶記念館を出てから隣の食堂で昼食を取ってから、会津若松鶴ヶ城に向かった。私たちは駐車場を出て傘をさして鶴ヶ城内を回ったが、桜の季節を過ぎた後の城内は、訪れる観光客も少なく静かだった。鶴ヶ城は深い堀と高い石垣の姿がとても印象的だった。f:id:Mitreya:20240428142425j:image
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鶴ヶ城からは私がセルシオを運転してホテルまで戻ったが、何だかんだで2時間近くかかって、ホテルに戻ったのは午後5時近かった。

▶その晩も食事後は全員で部屋飲みをした。私もしこたま飲んだ挙句、長老のT氏とワインの抜栓方法という具にもつかないことで口論を始めて皆に迷惑をかけたりして、まるで学生時代と同じ。結局皆が部屋に戻って寝たのは12時近かったのだから、恐るべくは最近のシニアだ。その中でも既に卒寿を過ぎているT氏の若さとバイタリティーたるや、驚きと言う言葉すらも霞むほどだ。

▶翌日は晴れて良い天気となった。午前中にハーフラウンドをしたが、皆さん軒並みにスコアを崩したのは、昨晩の飲みすぎのせいか。それでも無事にゴルフも終わり、優勝は幹事役だった若いH氏だったのには全員が納得。その後は私も運転に加わり東北道を走り、羽生パーキングで解散となった。家に戻ったのは6時過ぎだったが、何事もなく無事に戻れてよかった。