マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な60代「男おひとりさま」の日常を綴っています。

エリザベス女王死す


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▶連休明けの今日・・と言っても私にとっては連休の意味合いは殆どないに等しいが・・九州地方を縦断した台風14号は、その後日本海に沿って進み、今度は東北地方を横断して無事に再び太平洋に戻っていったようだ。千葉は朝から曇り空で、時折雨がパラついている。テレビをつけると、昨日の夜(現地時間の19日正午前後)にロンドン市内で行われたエリザベス女王国葬の様子が流れている。ワイドショーが繰り返しこの件を取り上げているのは、やはり日本人の間にも「英国王室モノのニーズがある」という具合に思っていることの証左かもしれない。

▶それを見ていて、自分自身も訳もなく大英帝国の歴史が醸し出す荘厳な雰囲気に取り込まれ、リスペクトしているような気分になっていることに気がつき、改めてプロトコル(儀式)とプロパガンダ(宣伝)のもつ重要性についての認識を新たにした。内実はともあれ、形式によって導き出される真実(と言っていいか分からないが)というものがあるというのも、あながち嘘ではなさそうだ。

▶さて女王の国葬は、イギリスにとって間違いなく最重要課題の一つであり、イギリス政府は今次の国葬のありかたについて、「ロンドン橋作戦(Operation London Bridge)」と名付けて1960年代から準備を重ねてきたと報道されている。最初に新聞でそれを見た際は、ジェームス・ボンドの国柄に相応しい国葬の演出の一種かジョークの一つだろうと思っていたが(※なにせ、女王の死はロンドン橋が落ちたという暗号だそうだ)、実際の国葬の様子や世界の国々(もちろん英連邦諸国も含め)の反応を見るにつけ、それがイギリスにとって間違いなく死活的に重要なオペレーションであることがよく分かり、思いを新たにした。

▶それにしても、この世紀の大イベントを実質的に仕切るプロデューサーとは、一体どんな人物なのだろうか。おそらく、想像力が豊富(※これは危機管理の要諦です)で、構想力があって、もちろんリーダシップは不可欠だが、根回しができるバランス感覚があって、細かいことにも注意が向く人なんでしょうな。また、そういうことが一切表に出てこないというのが、いかにも「ロンドン橋作戦」というネーミングにもマッチしているようで面白い。

▶イギリスというのは、19世紀に世界(七つの海)を制覇した歴史的な覇権国家の一つであり、その時期はパクス・ブリタニカとも呼ばれるほどだが、一方においてはその悪名も高い。アヘン戦争による香港割譲や、インド・アフリカでの過酷な植民地政策、第一次世界大戦時の中東におけるいわゆる二枚舌外交など、いずれも現在の世界がかかえる地政学上の諸問題の元凶を作り出したは、実はイギリスに他ならない。

▶その象徴とも言うべきものが、現在の大英博物館大英図書館である。言葉は悪いが、そこに収蔵されている宝物や歴史的遺物・文物の殆どは、イギリスが世界中から収奪してきたもので、現在でも各国政府から返還要求が出されているというのは、本当だ。イギリスも本心は痛い話だと思っているはずだが、表面的には全く相手にしていない。カエルの面にナントカの例え通りだ。

▶近現代の歴史を素直に振り返れば、アメリカも相当のワルであるのはプーチン習近平が言わずともそのとおりだが、私など本当のワルはイギリスではないかと思ってしまう。だが、かく言う私自身が実はイギリスに対する好感度が決して低いわけではないというのは一体どうしたことか。よくよく考えると、そこにこそイギリスの国家戦略やイメージ戦略、外交的したたかさがあるような気がする。

▶2011年の夏、妻とイギリスを旅した。ロンドンを皮切りに北部の湖水地方や、ロンドン近郊のコッツウォルズ古代ローマの遺跡があるバースを回った。ロンドンでのお目当ては、もちろん大英博物館大英図書館大英博物館には、まさに人類の叡智の殆どを集めつくしたのではないかとも思える程、ありとあらゆるものが集まっていた。なにせ、あのニューヨークのメトロポリタン美術館の収蔵数が150万点なら、こちらは800万点というから、アメリカと比べても大人と子供の開きがある。まあ、アメリカもイギリスの植民地だったのだから、当然ではあるが。(ちなみに、国葬に参列したバイデン大統領の座席が、中央からかなり離れていたのも興味深い。)

▶もちろん、規模だけでなく質の面でも圧倒的。有名なロゼッタストーンやメキシコのクリスタル・スカル、エジプトのミイラ、パルテノン神殿の壁画彫刻、古代アッシリアの巨大彫刻等々、こんなものよく集めたものだと怒るより感心することしきりだった。しかも、入場料は無料で、写真も撮り放題。どうせ力にまかせて世界各地からかっぱらってきたようなものだから、入場無料は当たり前だと思ってはみても、正直、目の前に展開される展示物の素晴らしさとイギリス政府の太っ腹?に、こちらも圧倒されてしまいました。さすがイギリスは偉いものだ、という具合に。

▶比較的懐疑的だと自認している私でもこの通りなので、普通の人がイギリスに好感度を持つのはうなづける。ワイドショーが好んで取り上げるのもそういうことか。音楽が好きな人ならビートルズ、プロコルハルム、クイーン。推理小説ならシャーロックホームズ、アガサクリスティ。科学者ならニュートンダーウィン、ホーキンス・・・。そしてこういう人物に大英勲章などを与えたりして体制側に取り込んでプロパガンダとして活用するのが実にうまい。その頂点に君臨したのがエリザベス女王で、彼女はロンドン五輪の時にヘリコプターから飛び降りて会場に駆けつけるという早業を演じた。

▶イギリスの王室ほど、非政治的存在にもかかわらず、そして非政治的にしか動けないにもかかわらず、結果として政治的な影響力を保持してしまっている存在を私は知らない。エリザベス女王は、その70年の治世の中で、イギリス連邦の君主として、自らの存在が醸し出すある種の力の存在を知り、活用して、彼女が任命した15人の首相と共にイギリスをリードした。それはおそらく、今後の世界を見渡しても、再び現れることのない、立憲君主制国家の君主の姿だったような気がする。つまり彼女は本当に最後の君主だったのだ。

▶偶然なのだが、四国遍路から戻って歯痛に悩んでいるとき、アマゾンで推理小説を注文した。アガサ・クリスティーの「スタイルズ荘の怪事件」「ナイルに死す(ナイル殺人事件)」「そして誰もいなくなった」の3冊だ。クリスティーの「アクロイド殺人事件」や「ABC殺人事件」は読んでいたが、上記3冊はとっておいたもの。クリスティーは私のお気に入りの一つで、彼女の小説を読んでいると、なんだか昔のイギリスを旅しているような気がするからこたえられない。そして私は堪能した。そのミステリーの女王は、1971年、エリザベス女王によって大英勲章第二位に叙された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然の歯痛(その2)


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▶四国遍路から帰ってきて突然の歯痛に見舞われたことについては、既に書いている。先週の月曜日に日本橋の歯科に行って、奥歯の歯周病治療をしてもらったら痛みが軽減したのはその通りなのだが、翌日に東京で会食しているときに再び痛みを感じるようになった。それも本来痛みのあった左奥歯ではなくて右奥歯なので、何が何やらよくわからない。しかし、痛いものは痛い。

▶月曜日の時には痛いなりにも左奥歯でものが噛めたのだが、今度はその奥歯でものが噛めなくなった。きゅうりの糠漬けなどを噛むだけで響くのだから始末が悪い。それによく調べてみると痛むのは左上奥歯ではなくて、それより2本前の歯のようだ。自分の指で押さえるとそれがハッキリと分かる。加えて、なんとなく歯茎の全体が浮いているような感触があり、ここに至ってハタと思い当たった。やはり四国遍路の影響だ。

▶そう言えば昔、母親が「歯が浮いて、ものを噛むと痛いので困った」という話をしていたことを思い出した。母親の歯が痛み出すのは身体に疲れが溜まった時のようで、この痛みは歯医者に行っても軽減しない。自分なりに身体を労り、柔らかいものを食べて歯茎を休ませながら様子をみるしか手立てがない、ということを聞いた覚えがある。

▶8月末の10日間の歩き遍路は、やはり私の身体には少し負荷がキツ過ぎたようだ。人の身体はよくしたもので、負荷がかかると、かかった部位(たとえば膝とか肩)が直接的に痛むのは当然のこととして、人によってはそれ以外の内臓的な部分や感覚器官にも影響が出るようだ。自分の場合、酒を飲み過ぎて胃が痛くなったり下痢が続いたりといったことは経験的に分かっていたが、よくよく考えてみれば、運動による刺激というのも、結局は同じことかも知れない。

▶ということで、何となく自分なりに納得して、先週後半は毎日おかゆを炊いて食べた。炊き立てのおかゆに、海苔のつくだ煮と、はちみつ漬けの梅干しをのせて、舌の上で転がすように食すと歯には負担がかからない。あとはヨーグルトやゼリーのようなものばかりで、要するにこれは酒を飲み過ぎて胃を痛めた時の食事と同じだ。一応、日本橋の「りゅう先生」からは痛み止めのボルタレン25mg錠と抗生物質のペングッド250mg錠を処方されているので、こちらも欠かさずに服用する。この結果、体重も1㎏減った。

▶4日間ほど安静にしていると、次第に痛みも和らいできた。それにしても、身体的影響なのか精神的影響なのかよく分からないが、本を読みだすととたんに眠気が生じて、よく昼寝をした。やっぱり、なんだかんだで疲れが溜まっていたんですね。お蔭様で先週土曜日には、ほとんど回復した感じで、日曜の晩には行きつけの居酒屋に顔を出して、状況を報告させてもらった。(※こういう情報共有の場があるとういうのは、「おひとりさま」にとっては有難い。)

▶さて、翌日は私のホームコースでゴルフのコンペに参加。翌々日の火曜日には、予約を入れておいた日本橋の歯科に出かけて「りゅう先生」に報告する。先生は、ナルホドネといった顔をしながら、「身体に疲れが溜まると、弱い部位にいろんな症状が出てくるものです。歯というのは、実はかなり弱い部位なので、疲れと歯痛は大いに関係があります」と言ってくれた。「ただあなたの場合は、歯周病による歯茎のハレも少し関係があるようです」と付け加えることも忘れなかった。

▶要するに、全体として言えるのは、分かったような分からないような話なのだが、正直に言えば、本日現在、全く正常に戻ったのかというと、そうではない。やはり固めのものは噛むのが怖いし、飲み物の熱さ冷たさの刺激にもおっかなビックリである。まあ、現状をあるがままに受け入れて、それにつきあっていくしかないというのは私の現時点での人生訓になっているので、しばらくはこれでいくつもりだ。

▶それにしても、月曜に続いて昨日もゴルフがあり、こんなことは自分の人生でも初めてのことだが、実は今日も午後から千葉市民ゴルフ場でゴルフの予定が入っている。多少、やり過ぎの感があり(それはそうでしょう)、全く懲りない人であるのは自分でも分かってはいるものの、これもまあ私の日常の一部だと諦めて、さあ暑さ対策をして出かける支度でもしようか・・・。

突然の歯痛に・・・


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▶昨日は妻の3回目の命日だった。午前中に家族一同で霊園に行くと、妻の友人が来てくれていて、はからずも賑やかな墓参りとなった。3年が経って、なんだか妻も一段と遠くに行ってしまったような気がするが、それも仕方のないことなのだろう。子供達が引き上げて静かになった夕方、行きつけの駅前の居酒屋に行くと、いつものメンバーが迎えてくれて話が弾んだ。こちらはマッコト嬉しい限りだ。

▶家に戻ったのは9時半過ぎで、やおら寝支度をしていると何やら左の奥歯がうずく。そのうち落ち着くだろうと思いそのままベッドに入ったが、やはり痛みを感じるので眠気があるのに気になって眠れない。とにかく眠りたいので、階下に降りていって、薬箱から鎮痛剤を探し出して一錠飲んでしばらくしたら、幸いにも眠ることができた。

▶今朝起きたら歯の痛みは消失していた。日課のラジオ体操や月曜日のゴミ出しなどを済ませた後、朝食を作って食べたが、この頃から再び左奥歯が痛みだした。それも久しぶりというか、かなり本格的な痛みである。さて、困った。明日は東京で昔の仲間と楽しみにしている飲み会があり、これには是非参加しなければならない。しかし、この痛みが続くようでは参加も覚束ない。どこの歯が痛むのか確認しようとするのだが、上が痛いのか下が痛いのか自分でもよく分からない状態が続く。しかし、どうも左上の奥歯のようだ。

▶私は定期的に日本橋のクリニックで歯科検査を受けていて、2ヶ月前にはクリーニングをしてもらったが、その時も異常は全くなかったから、奥歯に虫歯ができて痛むというのは合点がいかない。かなり痛いので水を口に含んでしばらく我慢していると、痛みがスーッと引いていく。しかし、水が温まってくると痛みがぶり返してくるので参った。この繰り返しで、だいたい10分間隔で痛みが強まるのだが、これではまるで陣痛だ。

▶とにかくこのままでは埒があかないので、歯医者に行くことを決断。午前10時少し前に日本橋のクリニックに電話をかけると、それでは11時半に来てくれということになった。すぐに支度をして家を出たが、駅まで歩いていく途中でも痛みが襲ってくるので困った。駅でペットボトルの水を買って電車に乗り込み、時々水を口に含みながら日本橋に向かう。電車の乗客は私のことをよく水を飲む人だと思ったに違いないが、そんなことにはかまっていられない。11時半少し前にクリニックに到着した。

▶早速馴染みの「りゅう先生」(この人は中国人のようだ。インプラントの時もお世話になっている)が診てくれる。最初に口の中をくまなく診るが、虫歯は発見されない。次いで軽く歯を叩いて痛みの場所を見つけるのだが、見つからない。すぐにレントゲン写真を撮って画像を見たが、さしたる異常はない。奥歯で脱脂綿を噛むように言われて噛んでみるが、正常に噛むことができる。口に水を含むと痛みが遠のくのは虫歯の典型的な症状なので、それではお湯を歯に吹きかけて痛むところを探すが、これでも痛みの場所を特定できない。

▶りゅう先生も困り顔で、「どうも異常が見当たらないので、鎮痛剤を処方しますので、しばらく様子をみましょうか」と言う。「先生、今朝は自宅にあったロキソプロフェン60mgを2錠も飲んだのですが、痛みが治まらないんです」と訴えると、それではもう一度口を開けてと言われ、指で歯茎を押しだした。すると左上の奥歯の歯茎が痛いのがはっきりと分かる。

▶先生が、プローブを使って奥歯の歯周病ポケットを探り、どうもここが原因かもしれないので、とりあえず今日はここを治療しますということになった。その後、先生が治療を続けているうちに、なんだか痛みが遠のきだしたのだから、りゅう先生もなかなか捨てたものではない。ひととおりの治療が終わり、鎮痛剤と抗生剤を処方してもらってクリニックを引き上げるころには、先ほどまであった痛みが殆ど消失してしまっているのには驚いた。

▶どうも左上奥歯の歯周病ポケットが悪さをしているのが原因だったようだが、とにかく鎮痛剤を使うこともなく痛みから解放されたのだから救われた気分になったのは言うまでもない。帰りは東京駅から快速エアポート成田に乗って帰ったが、家に戻ってからソファーに横になって昼寝をしたら、ぐっすり眠れたのは気持ちが良かった。それにしても、8月末に四国遍路をしている最中に歯が痛みださなくて本当によかったと改めて思ったのでした。

 

四国遍路日記(5ー10)


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▶昨晩から週後半の天気が気になっていたが、どうもこちらは雨模様のようだ。今回の遍路は幸いなことにこれまで雨らしい雨には降られておらず、天気に関しては比較的ついていたのだが、最後の段階でそのツキも落ちそうな予感がする。

▶と言うのも今日は晴れ時々曇りの状況下、伊予三島駅近くのビジネスホテルまでたどり着くだけの24㎞の行程だから楽勝だが、明日31日から愛媛と香川の県境を越えて65番三角寺、そして翌1日は四国遍路では最も高所(標高910m)にある66番雲辺寺に行く予定だからだ。その雲辺寺を参拝する当日の予報が雨だからタマリません。

▶もちろん昨年からの遍路で雨に降られたことはある。今年5月の足摺岬に向かう行程では数日連続で雨に降られた。この時は平地の舗装道を歩くだけだったから、身体は濡れて嫌だったが、危険を感じるような場面はなかった。しかし今回の雲辺寺へ行く道は先日の60番横峰寺と同じく完全な山道で、しかも遍路道は登山道と異なり荒れが激しい。

▶私はこれまでの行程で2度転倒した経験がある。いずれの場合も疲労が蓄積されている時で、しかも時間的に切迫感があった。その時は雨が降っていなかったが、今度は降雨下での急登と急な下りである。経験的に下りの岩場は滑り易いことがわかっている。

▶今回の遍路は、わざわざ暑い8月下旬をターゲットにして計画を組み、それをすることが自分にとっても意味があることではあった。一度組んだ計画を変更するのは残念だが、よく考えれば、65番三角寺と66番雲辺寺を今回是非ともやらないといけない理由なんて実はないのだ。時間はまだたっぷりある。

▶今日未明に目を覚ました際、以上のことが気になって眠れなくなった。今日と明日は天気が持つので65番三角寺に行くことはできる。しかし、その晩の宿は山中の民宿で、翌日の66番雲辺寺を雨で諦めた場合、そこから松山空港高松空港を経由して千葉まで戻って来るにはもう一泊かかりそうだ。

▶遍路を区切り打ちする場合、駅近くに宿が取れていることが望ましい。何故なら交通の便が良ければ次回の再開も含め、帰るのも来るのも便利だからである。それなら今日で今回の遍路を終わりにし、明日千葉に戻ろうと決断した。夜中だったが、スマホで航空券の変更ができることを確認する。後は宿にキャンセルの連絡するだけである。

▶今朝は7時に宿を出て伊予三島まで24㎞の道を歩き出した。途中の休憩所で予約してある宿に電話して事情を説明した。天候と体調を考えると今日で遍路を区切るのでキャンセルさせて下さいと言うと、どちらの宿も気分よく了解してくれた。歩き遍路の場合、当日になっても予定の変更は実はよくあることのようだ。次回は秋になりますが必ず泊まりますと言って電話を切る。

▶午後3時に伊予三島駅近くのホテルに入った。窓から本来明日に向かうはずだった四国の山並みが見える。今回も何とか無事に帰れそうで良かった。明日は、松山までJR で戻り、松山城と「坂の上の雲ミュージアム」でも見学してから帰ることにしよう‼️

 

四国遍路日記(5ー9)

▶今朝は湯之谷温泉近くの石鎚山駅を7時19分の電車で2駅前の伊予小松駅まで戻り、昨日参拝できなかった63番吉祥寺と64番前神寺を参拝し、その後は国道11号線及びやや南側を平行して走る旧讃岐街道を新居浜市内までひたすら歩く行程だ。

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▶写真は63番吉祥寺の山門を影とともに撮影したもの。本堂が工事中で参拝できなかったが、納経所で色々話を聞いた。吉祥寺という名前は東京近辺に住んでいる人には馴染みがあるが、この寺は石鎚山修験道信仰に起源があり、古くは現在地より南の山沿いにあった。その山沿いには2mくらいの幅の讃岐街道が東西に通っていた。この街道は金比羅詣でにも使われたので、金比羅街道との別名もあるようだ。

▶住職によると、豊臣秀吉の四国征討の際に近辺の寺はあらかた焼かれてしまい、再建を図る段階で幾つかの寺は移転を余儀なくされ、吉祥寺もその一つとか。元の場所に残っているのは61番香園寺くらいだと今でも残念そうな顔つきだ。秀吉に焼かれた寺の話は徳島でも聞いたが、秀吉もプーチン並みに非道なことをしたものである。

▶64番前神寺は、今朝出発した湯之谷温泉の目と鼻の先にある。63番吉祥寺から小一時間歩くと、その前に石鎚神社にぶつかる。
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石鎚神社は西日本最高峰の石鎚山(1982m)を霊山として祀る石鎚山信仰の総本宮である。見るからに立派な構えの神社で、思わず立ち寄って参拝して行こうかと思ったが、先のこともあるのでそのまま通りすぎてしまった。後から考えるともったいなかった。

▶その石鎚神社のすぐ近くと言ってもいい所に64番前神寺が鎮座している。名前からして神様のそばにある寺だが、先にも述べたように、この地域は石鎚山信仰が先にあり、寺はそれに附随してできたのではないかと思われる。だいたい昔は神も仏も一緒で、例えば比叡山日枝神社を祀っているので、比叡山と名付けられたとどこかで聞いた覚えがある。それはさておき64番前神寺は想像以上に立派な寺だった。午前9時頃だが、寺のおばさんが一人で参道の掃除をしていた。
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▶その後は国道11号線と旧讃岐街道を新居浜方面に向かって歩き、午後2時半にナント予定のホテルに着いてしまった。こんなことなら石鎚神社に寄っておけば良かったと思ったが、後の祭り。ホテルは冷酷にも16時までは玄関を閉ざしている状態で、仕方ないので玄関前に陣取って、このブログを書くことにした。まあ、ホテルの部屋で書くか外で書くかの違いだけで、後は同じ。そうこうしているうちに16時になる。さて、ぼちぼちチェックインするか。
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四国遍路日記(5ー8)


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▶四国遍路の行程のうちで、屈指の難所といわれる西条市の60番札所横峰寺の参拝をようやく終えた。このルートは、降雨があると難易度が格段に上がるので通行は諦めざるを得ないようなところで、高低差700mの山道を7時間かけて往復するのだが、とにかく言うより行うが難し。

▶たまに行く登山ならまだしも、毎日25~30㎞を歩き続ける遍路にとっては、大変なところなのです。それにこの時期、歩き遍路の人は殆んど見かけない・・。能書きはこれくらいにして、今朝は6時過ぎに目を覚ます。夜中に一旦目覚めて二度寝したらこの時間だった。

▶7時15分に宿を出て、国道11号線を高松方面に歩きはじめて10分後に右折して横峰寺方面に向かう。おおよそ2時間かけて舗装道路を上り(この行程で既に大汗をかいている)、休憩所がある駐車場から山道に入る。この駐車場には湧水があって地元の人が水汲みに来ていたのに倣って私も水分補給。

横峰寺に向かうこの山道は、「遍路ころがし」の異名がある。沢沿いの岩だらけの悪路の急登が続く。とにかく何も考えずに足下を見ながら必死に登る。10分登っては一息つき、20分登っては荷物を下ろして休憩するといったことを繰り返す。歩みを止めなければいつかはゴールに着くはずだと思いながら登り続け、登ること1時間と少しで横峰寺の山門が見えてきた。

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▶それにしても、昔の人はよくこんな所に寺を作ったものだと感心する。境内に入ると、意外にも参拝客が結構いるのに驚くが、皆さん車で来た人ばかりである。暫し休憩した後参拝と納経を済ませたが、全身汗だくなのだが、山上の風に吹かれると気持ちがいいというか冷たい。ここで少し早い昼食を済ませ、次の61番香園寺に向かって下って行く。

▶下りは下りで「遍路ころがし」なのだが、とにかく転ばないことだけを気をつけて下って行った。3時間弱で香園寺に到着。この寺の本堂はコンクリート造りの巨大なもので、内部の本尊も遍路中に見た最大なものだったが、新しいものなので、それほど興味を惹かなかった。写真は香園寺の正面。

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▶続いてすぐ近くの62番宝珠寺を参拝。こちらは町中の小さい寺で、極めて質素な構えだが、堂宇のあちこちに風鈴が飾ってあり、折からの風を受けて良い音色を奏でていたのは好ましかった。時刻は丁度3時半。あらかじめ決めていた通り、寺からすぐ近くの伊予小松駅から2駅電車を使って、今晩の宿舎である湯之谷温泉に4時過ぎに入った。

▶本来なら伊予小松駅近くの評判のいい遍路宿が望ましいのだが、事前に連絡すると8月中は休みですと言われ、代わりに紹介されたのが4㎞先にある「湯之谷温泉」。こちらは石鎚山の登山口に近いので登山者には知られた宿らしいが、当日は素泊まり部屋しか空いてないので、やむを得ずそこにした。

▶相部屋だが一人使用で、温泉もなかなか良かった。近くのコンビニで夕食とビールを買い込んで談話室でテレビを見ながら食べたが、難所の横峰寺を終えてほっとしたのか、部屋に戻ってベッドに横になったら不覚にも寝落ちしてしまった。

 

 

四国遍路日記(5ー7)

▶昨晩泊まった今治仙遊寺宿坊だが、客が私だけというのは昨日書いた通り。寺の宿坊に泊まると必ずついてくるのが翌朝の勤行で、参加者は当然私だけ。午前6時前に本堂に入ると、既に住職が袈裟衣の盛装で待っていた。

▶朝の挨拶をしてから一人で遍路をしている旨を説明すると、それなら般若心経を一緒に読誦してくださいと言われる。般若心経は既に頭に入っているので読誦に問題はないが、起きたばかりなので声が出ない。さすがに、長年の経験に裏打ちされた住職の発声は素晴らしい。年齢を伺ったら昭和25年生まれ。まあ、相手はプロだから当然か。

▶読経が終わってから住職の説教というか世間話に移ったが、これが実に長かった。朝の本堂内にいるのは私達だけなので、語るともなくお互いの身の上話になり、「8年前に家内を失くして今でも忘れられないんです」と住職が言う。そう言えば、目の前に飾ってあるのは奥さんの遺影だ。私も3年前に同じ経験をしましたと言ったら、その後俄然話が長くなった。

▶この住職は基本的に話し好きなようで、もともとは在家の僧侶だった時、ある人から仙遊寺の住職を引き受けて欲しいと頼まれたことがきっかけで、奥さんと二人で山寺に来たのだそうだ。当時はまだ水道も電気も通ってなかった時代である。

▶その後話しは政治から経済に飛び、そしてまた宗教の目的とか人生の生きがいとか、とにかく縦横無尽だった。私はただうなづきながら話しを聞く役目だ。ところで宿坊の階段踊り場に等身大のブロンズ製とおぼしき裸婦像が飾ってあったので、宿坊にはいささか不釣り合いな気もしたのであれは一体何ですかと聞くと、あれは私の作品で、妻がモデルですと言われたのには驚いた。そう言えば、高知を回っている時に知りあった人から、今治に行ったら是非仙遊寺に泊まりなさいと言われたことを今になって思い出した。あの時に話した寺が仙遊寺だったのだ。

▶1時間近く住職の世間話に付き合っていたので、さすがに出発の時間が気になってくる。話しを切り上げるタイミングが非常に難しかったが、何とか無事終わることができた。時間があればもっと話しを聞いてやっても良かったが、住職もきっと話しがしたかったのだろう。そう言う顔をしていた。

▶今日は、今治の58番仙遊寺を出発して、59番国分寺を終わり、そのまま今治から南下して西条に入った。午前中は薄曇りで、何とかしのげたものの午後は8月末の強烈な日差しをまともに受けて歩いたので(しかも南向きで)、熱中症による脱水状態にならないよう、自販機で水分補給をしながら休み休み歩いた。写真は国分寺弘法大師である。願いごとを一つに絞って握手して下さいと書いてあるのを見て、思わず笑った。
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▶本日の宿「小町温泉しこくや」に入ったのは午後3時20分だった。ここにきてようやくガイドブックの推奨する行程に戻ったことになる。明日は「遍路ころがし」で有名な60番横峰寺を往復する行程だ。上りに4時間以上、下りに3時間近くかかるが、果たしてどうなることやら。