マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な60代「男おひとりさま」の日常を綴っています。

東京駅でPCR検査キットをもらう

▶小雨模様の火曜日、日本橋まで歯科治療に出かける。年初にぐらついていた左下奥歯を思い切って抜歯し、現在その跡をインプラントで治療中であるが、こちらは次の手術までまだ少し間がある。その間に、以前から気になっていた右上歯の知覚過敏(冷たいものが沁みる)の治療を開始した。ここが沁みるようになってからかれこれ一年経つが、まだ最終治療までには至っていない。理由は、X線検査をしても、これといった病態が発見できず、知覚過敏の症状だけが出ている状況で、「こういうのが実は一番やっかいなんです」と先生が言う。我慢できるのだったら少し様子を見ましょう、ということで、1年経ってしまったという次第。歯が沁みるくらいでそんなに騒ぎなさんなと言わんばかりの先生の超越的な態度は、恨めしくもあるが、なかなか好ましい。

▶しかし、沁みるものは沁みるので、過去に治療してある歯の金属冠を外して、そこに熱伝導率の低いセメントを詰めて様子を見ることにした。様子を見て沁みる状況が改善しなければ、最後は神経を取るしか方法はなさそうだが、まあ、そこは慎重に見極めようということのようだ。ということで、本日は口腔内のクリーニングのみをして終わった。

高島屋近くの歯科が入ったビルを出て、東京駅まで歩いた。東京駅で軽く昼食をとって千葉に戻るつもりで八重洲の中央口にくると、PCR検査モニタリング調査実施中との看板が目についた。近づくと、ブルーの法被を着た若いスタッフが、無料でPCR検査をしませんかと誘ってくれた。条件は、スマホを持っていて、指定のアプリをダウンロードして、簡単なアンケートに答えることのみなのだとか。ヒマだったし、以前からPCR検査には興味があったので、早速アプリをダウンロードして、指定された手続きを済ませて検査キットをもらった。
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▶この調査は、内閣官房・東京都が共同して実施しているもので、巷における感染状況を無作為抽出してモニタリングし、感染拡大の予兆を早期発見しようというものだそうだ。検査は唾液を使ってするのだが、キットにあるプラ小瓶に唾液を採って、所定の方法で郵便局に持ち込めば、2~3日中に検査結果をアプリを通じて参加者に通知するという仕組みになっている。こう言うと簡単なように聞こえるだろうが、実際はスマホの扱いに慣れた人でないと、かなり難しい感じがした。QRコードの読み取りや、メルアドの手入力、SMS受信設定の確認・・・などをこの場でやっていただく必要があります、と言われると、尻込みする高齢者は多いのではないか。従って、東京駅で参加していた人は、若い人が多かった。

▶結局、千葉に戻ってから駅前の中華で昼食をとって家に戻った。さて、おもむろにキットを開けて中身を確認し、唾液を採取する準備をする。この際に、再度指定アプリを立ち上げて、キットに梱包されていたラベルのQRコードを読み取り、アプリ手続きを終了させる。これができないと、検査結果が手元に届かないのだそうだ。口の中にたまった唾液を4~5回吐き出して漏斗付きプラ小瓶に入れ、その漏斗を慎重に外してウィルス不活性化溶液が自動注入されたことを確認し、小瓶の蓋を締めて、指定ラベルを添付し、二重梱包した上で指定箱に入れて郵便局に持ち込んだのは、午後3時半だった(当日は、4時が締め切りなのです)。やれやれ、やっと終わった。あとは良い結果を待つばかり。

▶昨年4月に、寒気がひどくて千葉市の保健所や近所の医者に電話をかけまくり、どこかでPCR検査を受けられないかと聞き回ったが、全く「けんもほろろの扱い」だったことを思い出す。1年経ってコロナ騒動には慣れたが、大阪を始めとして感染状況は日々悪化している。それでも、意外と簡単にPCR検査が受けられるようになったということは、1年経過したことが決して無駄ではなかったのだと、改めて思った一日でした。高齢者のワクチン接種も始まったことだし、あともう少しの辛抱か・・・。

 

 

 

松山英樹さん、マスターズ優勝おめでとう!!!

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▶昨日、いつも行く居酒屋のカウンターで、となりに座った常連さんの一人と話をしていて、話題は松山英樹のマスターズの話になった。マスターズ3日目で、松山が2位に4打差をつけて首位を走っているのだ。これまでも日本人がアメリカのメジャー大会制覇に肉薄したことはあった。古くは、青木功ジャック・ニクラウスの1980年の全米オープンの戦いがある。この時は、ニクラウスと一騎打ちとなった青木が、最終日のバックナインで僅かに及ばず、ニクラウスが優勝し、青木は2位だった。

▶確かに青木は肉薄したが、(やっぱり)優勝には届かなかった。ゴルフとはそういうもので、悲しいかな、言葉のハンデや体力的に劣る日本人には、アメリカのメジャー大会での優勝など所詮無理なのだ・・という劣等感と諦めにも近い思いが、その後定着する。これまでのマスターズでも、日本人の最高位は、片山晋呉と伊沢利光がマークした4位である。松山の3日目の首位は素晴らしいが、終わってみればやはり無理だったか・・となるのではとの思いが、どうしても頭から離れない。まったくもって、究極のマイナス思考だね。断っておくが、これは決して私だけの思いではなく、おそらく多くの日本人がそう思っていたのではないか。

▶それでも、夜中に目覚めた時、スマホの電源を入れて、それとなく試合経過を見ると、意外や意外、その差が5打まで開いている。これはもしかして・・と思いながら再び寝入って、次に目覚めたのは7時少し前だった。急いで階下に降りてテレビをつける。今日は月曜日だが、仕事にも行かず、居間でゆっくりマスターズ観戦ができるのだから、まったくありがたい。それにコロナの心配もしなくていいしね・・。

▶さて、バックナインの15番で、さすがの松山も緊張のあまりスコアを落とす。同組で回るシャウフェレが4連続バーディーで追い上げ、この時点で優勝の行方は一気に混沌としてきた。「おいおい、やっぱりそうなのかよ・・」と思い始めた16番で、そのシャウフェレが池に入れてトリプルを叩いたので、またまた松山に運が回ってきたではないか。18番のティーショットを打つ時点で、2打差をもらった松山は、最後は2位に上がったザラトリスに1打の差をつけて、なんと、なんと、なんと(※何度言っても言い足りませんね)見事に優勝をもぎ取ったのだ。

▶日本人がマスターズで優勝できるなんて、自分が生きている間にはとても見ることはできないと思っていたが、それをとうとう松山英樹が実現した。生きていてよかった。あっぱれとしか言いようがない。ゴルフを知る人は皆同じ気持ちだろう。早速友人の一人から、国民栄誉賞ものだという趣旨のメールが届いたが、けだしそうだろう。

▶先日は、池江璃花子の復活で感動をもらい、次いで大谷翔平のメジャー二刀流に驚き、そして今朝は松山英樹の大偉業だ。「最近の若いものはダメだ・・」などという年寄りのたわ言を、見事に撥ね返す最近の日本人の若者の活躍に、久しぶりに気分が高揚するのを感じた。改めて、松山英樹さん、マスターズ優勝おめでとう!!。そして日本人に感動を与えてくれてありがとう。

 

 

 

またまた、奈良を訪れる・・(1)三月堂不空羂索観音像と興福寺仏頭


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▶妻を亡くしたその年(令和元年)の暮れ、勤めていた会社の用事で大阪に行ったついでに、一人京都・奈良を散策した。そして、翌年3月には友人と二人で東大寺二月堂の修二会(お水取り)を見た。これらについては、既にこのブログに書いた。ところで私は、昨年12月になんと3回目の奈良訪問を果たした。千葉に住んで1年間に3回も奈良に行くとは、相当な好き者の類と思われても仕方ないが、大和の国は、知れば知るほど奥深くなっていくので、「どうにも止まらない」・・・といった心境です。

▶昨年の秋は、精神的にも身体的にも回復が見られたので、会津・檜枝岐・奥只見の紅葉をバイクツーリングで堪能したが、依然として政府の「GOTO トラベル」キャンペーンが大々的に展開されていた時期だったので、これを利用して3度目の奈良旅行を計画した。旅行の楽しみの半分は計画を立てるところにあるので、日程作成に数日かけたが、結果的にJAL便で伊丹に飛んで、そこからリムジンバスで奈良市内に入るルートを試してみることに決定。航空券も宿もJALのパッケージプランを通じて予約して、これらがすべてキャンペーンで割引となったのだから、経済的にも大正解だった。

▶当日(11月30日)の朝は、羽田までリムジンで行き、予定のJAL111便に搭乗すると満席だったので驚いてしまった。久しぶりのフライトを楽しんで、昼前に伊丹空港に到着。奈良行きのリムジンバス乗り場はすぐ分かった。昼食を買ってすぐにリムジンに乗り込み(※こちらは乗客が3人のみのガラガラ)、午後1時半頃にはJR奈良駅前に無事到着した。初日なので、宿泊予定の駅前のホテルに荷物を預けて、軽く奈良公園を中心に散策する。

▶最初に東大寺ミュージアムに入る。ここに入ったのは初めてだったが、入り口を入るとすぐの壁一面がスクリーンになっていて、そこに当時の平城京の様子を再現したCG映像が映し出されている。これがなかなか美しくて素敵なんですね。展示のメインは、以前は三月堂に安置されていた日光・月光両菩薩像である。空いていたのでこの仏像はじっくり鑑賞できたが、こちらもなかなかよかった。次いで大仏殿を見る。大仏殿は前回も見ているが、素通りするのも大仏様には申し訳ないと思い参拝した。こちらは、大仏様より大仏殿の中に展示してある建立当初の東大寺の模型が面白い。続いて本日の目的の三月堂に行く。


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▶三月堂(別名、法華堂。この堂宇自体も国宝。)は初回の訪問時に立ち寄ったので、今回が2回目である。まず古い堂内に入って大変驚いたのは、明るくて風が通っていることだった。何事かと思って見ると外部に面した門扉が開いている。コロナ対策で門扉を開けて換気しているのだ。普通であれば絶対考えられない事態に、これには本当に驚いた。そこには、前回の印象とは全く違った本尊の国宝・不空羂索観音像が立っていた。

▶この不空羂索観音像が素晴らしいのは、頭上に戴いた高さ88センチの銀製鍍金の宝冠に、1万個以上の宝石(ヒスイ、琥珀、真珠、水晶)が使用されているという事実である。2012年に実際にこの宝冠を外して宝石の数を数えたら、1万1千個あったと言うから、まったくただものではない。しかし、もらったパンフレットにはこれについては何も記載がない。国宝としての芸術的な価値だけでなく、実物としての価値も高いのだから、防犯上も考えて記載していないのかとも思った。(※実際、昭和12年には宝冠の一部が盗難被害にあっている。)

▶この観音様は、胸の前で合掌しているが、その合掌した手の平の間に、ルビーのような赤い宝石を挟んでいる。前回訪ねた時は、私にはこのような知識は皆無で、しかも薄暗い堂内でこの観音様を見たので、「ああ、これが教科書に載っていた例の観音様か」といった程度の記憶しか残らないものだった。しかし、今回は堂内が明るいので、豪華な宝冠と合掌した掌の間の宝石もしっかり鑑賞できたのだ。これは本当にラッキーだった。私はこの事実を誰かに告げたくて、おせっかいにも、たまたま近くにいた観光客の夫婦に教えてあげたのだが、この夫婦も大変驚いていた。

▶三月堂を出て、東大寺の裏道を抜けて興福寺に戻る。途中、吉城園という日本庭園が開放されていたので、しばしそこを覗いてから、興福寺国宝館に入った。ここには有名な阿修羅像が展示されている。前回は修学旅行生の皆さんと一緒だったが、今回は空いていたので、これもじっくり鑑賞することができた。阿修羅像はもちろんよかったが、ここには国宝の仏頭が展示されている。

▶この仏頭は、興福寺の東金堂に祀られていた本尊座像の頭部で、大きさは1メートル近くある。この仏像は、もともとは桜井の山田寺にあったものらしいが、いつしか興福寺の東金堂に移され、その後は東金堂の本尊となっていた。ところが、1411年の火災で東金堂が焼け落ちた際、本尊の仏像も頭部のみを残して焼失した。残ったのがこの仏頭である。この仏頭は、昭和になってから、現在の東金堂の本尊(薬師如来)の台座の下から偶然発見されたのだという。そして国宝になった。

▶この仏頭の何が素晴らしいかと言えば、それは見れば分かる・・・と言ってしまえば身も蓋もないが、製作時期が記録によって白鳳時代(678年)と明確で、その造形美がまことに美しいことが理由のようだ。確かに、頭だけだが、大変美しい顔立ちで、これが完成された形で残っていたら、果たしてその姿はいかばかりかと思わずにはいられない。ルーブル美術館の、「ミロのビーナス」の腕や「サモトラケのニケ」の頭部も欠けているが、偉大な芸術は、欠損した部分があっても人を感動させることができるものだ。私はこの仏頭の前から、しばらく動くことができなかった・・・。

▶初日ではあったが、収穫の多い一日だった。興福寺を出て、大分暗くなった道を駅前の宿まで歩いて戻った。早速宿の温泉風呂(※なんと温泉です)に入ってから、近くの居酒屋に出向いて酒を飲んだ。GOTOトラベルの地域クーポンがあったので、居酒屋の支払いは殆ど必要なかったのだから、全くありがたいことです・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナ感染症に思う


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▶今日から年度が変わり令和3年度が始まったが、(当たり前過ぎて、思わず笑ってしまうが・・)私にとっては全く実感がありません。それでも、今日から新しい生活が始まるであろう友人・知己の顔を思い浮かべると、「お互い頑張ろうぜ!」と思わず言いたくなる。もちろん現在のようなコロナ禍のド真ん中にあっては、特にそうである。

▶昨年1月に突如として始まったこのコロナ騒ぎは、15ヶ月を経ても治まるところを知らず、現在にいたるまで我々の生活に多大な影響を与え続けている。昨年この騒ぎが始まった頃は、このウィルスの特性を含め分からないことだらけで、混乱に拍車がかかったことは記憶に新しい。しかし一年経って分かったことは、もう一度事実を正確に把握して、「正しく恐れる」ことの必要性だ。以下は、ヒマにまかせて既存の数字で遊んでみた考察です。

▶昨年の3月の初め、子供の命を守るためにと、突然の全国一斉学校休校措置がとられた。ちなみに、この頃の一日の全国の感染者数は、なんと47人(3月7日)である。状況不明の中での当時の首相の予防措置を目的とした政治判断であるので、これについて是非を論ずるつもりはない。しかし、結果論からすると、かなりオーバーシュートな判断だったようだ。この問題については、昨年の8月に文科省から学校の感染状況の分析が報告された。驚くなかれ小学校における感染事例はゼロである。中学・高校になると部活動による感染が報告されているが、学内感染の割合は7%程度で、子供の感染ルートの殆どは家庭内とそれ以外である。

▶季節性のインフルエンザは、昨年度の感染者数は統計に載らないほど少なかった。その原因は、皆が気をつけていたからだというが、それ以上のことは、よく分からない。通常は、毎年のようにインフルエンザが流行し、その原因の多くが学校における集団感染であることはほぼ常識となっており、であるがゆえにコロナ対策として学校閉鎖を決断したのだろうが、学校がコロナ感染ルートの原因とはなっていないのは、その後の経過が示している。

▶ちなみに私の娘は小学校教諭であるが、学校の現場でもこの事実は受け入れられているようだ。この報告では、教員の感染者51人も分析されているが、いずれも学校内感染ではない。また、インフルエンザの罹患率は15歳未満が最も高いが、こと新型コロナ感染症に限っては、子供の罹患率は層別に見ても明らかに低い。しかし、この原因は分かっていない・・・と報告書に書いてある。

▶同様に、コロナに関しては分からないことが多い。最たるものは、欧米と日本を含む東アジア地域の感染者数や死亡者の割合の大幅な相違である。京大の山中教授は、この原因には我々が未だ気づいていないファクターXが存在するはずだと去年から発信されているが、これについての信頼できる情報は、現在に至っても、どこにも見当たらない。

▶足下の新型コロナ感染症の致死率は、どうなっているのだろうか。昨日までの累計が新聞に載っていたので計算してみる。日本の総感染者数は475880人、死亡者9176人なので、致死率は1.93%である。インフルエンザの致死率は、0.1%という数字が流布しているので、これと比べると、新型コロナの致死率は相当高い。しかし、インフルエンザの本当の致死率は計算されていないと言うのが正しいだろう。なぜなら、2018年の厚労省発表の人口動態統計に報告されているインフルエンザの死亡数は3325人だが、これは医師が死亡診断書の死亡原因としてインフルエンザと記載したもののみを単純に集計しているからだ。それに、そもそもインフルエンザの感染者母数を正確には把握できないという問題はあるが、これについては今回は除外して考える。

▶コロナ感染者が亡くなった場合、最後は心不全だろうが肺炎だろうが、死亡原因は新型コロナ感染症と分類記載されるのは現在では疑いがない。なぜなら、皆がそれに極めて高い関心をもっているからだ。しかし、風邪を引いたりインフルエンザに罹った高齢者が肺炎でなくなった場合、死亡原因にインフルエンザと記入するか肺炎と記入するかは、少なくともこれまでは全く医師の裁量であり、そこにあまり厳密性は求められていない。犯罪でもない限り、死亡原因の特定に関する厳密性は必要ないからだ。遺族の立場からしても、高齢者が死亡した場合の病名の特定など、気にしないのが普通だろう。

▶従って、間接原因を含めた死亡を考慮すれば、インフルエンザの死亡率は想定されているものより高くなるのは、間違いない。昔から「高齢者は風邪を引くな」と言われているのはそういうことなのだ。

▶それでは、コロナの死亡率に関しては正確なのだろうか。PCR検査で陽性となった人を感染者として死亡率を計算すれば、1.93%という既に記した数字は正しいだろう。しかし、PCR検査を受けていない潜在的なコロナ感染者(無症状)は、相当数に上るはずで、仮にこの人たちを含めた感染者を分母に置いた場合の致死率は、逆に相当低下するはずだ。インフルエンザにしろコロナにしろ、正確な死亡率など計算できないというのが実は本当だろう。では私達は、何をもって新型コロナ感染症の脅威(=本当の致死率)を判断するべきなのだろうか・・・。

▶これについては、実験に近い正確なデータがある・・・と私は思っている。それは何かと言えば、日本人にとっては象徴的なダイヤモンド・プリンセスのデータである。この大型客船は、昨年1月20日に横浜港を出港し、香港に寄港した際に80代の男性一人が新型コロナウィルスに感染していることが確認され、那覇経由後、2月3日に横浜港に戻って来てからは大騒ぎになったのはご存じの通り。大型客船という周囲から隔離された空間に、3713人が乗船していて、コロナウィルスがバラ撒かれ、そして放置(※殆ど3密の状態で、しかも行動制限がなかった・・)された結果、712人が感染し、14人が亡くなった。結果論だが、この恐怖の実験とも言うべきイベントに参加された2645人の乗船客(※しかも殆ど高齢者)と、1068人のスタッフの人達にとっては、本当に気の毒なことになったとしか言いようがない。

▶さて、これらの数字が全て事前に知らされているとして、同じ前提で私がダイヤモンド・プリンセスでクルーズに参加した場合の死亡リスクは、0.37%(=14人÷3713人)である。(※なお、感染ベースの致死率は1.96%で、先にあげた日本全体の致死率1.93%とほぼ同じである。)乗客が殆ど高齢者で、しかも3密空間が長時間放置されたという前提は、コロナの脅威を考えるにあたっては最悪だが、この前提は、私が乗船するとした場合のリスク前提(※死亡リスクを考える)にマッチする。

▶私が考えるコロナ死亡リスクは、感染率と発症率と致死率の積に例えられ、非常に大雑把ではあるが、それが図らずもこの客船で実証された0.37%と言う数字である。この数字を高いとみるか低いとみるかは、個人の人生観によって変化する。一つ言えることは、実際のイベント参加のコロナリスクは、1.93%という発表致死率より低くなることは、ほぼ確かだろう。簡単に言えば、私がもしコロナ的にヤバイ場所に長時間滞在することになった場合の死亡リスクは、ダイヤモンド・プリンセスのケースを前提として考えた場合、1000分の4程度と計算できるということだ。

▶ところでダイヤモンド・プリンセスは、装い新たに横浜発着の新規クルーズを既に販売している。今予約すると一人最大150ドルの船上おこずかいがプレゼントされるようだ。(そのニーズはないが)調子に乗って予約したりすると、息子や娘達から大目玉を食いそうなので、小心者の私としては、怖くてとても近づけない。さて、予約は順調に進むことになるだろうか・・・。

 

 

 

 

3月最後の日曜は・・・

▶花粉症は治ったと思っていたが、そうではなかったと以前書いた。今朝もベッドの中でくしゃみが出た。スギ花粉はピークが過ぎたが、これからはヒノキ花粉が増えてくるので用心が必要だが、外出時は間違いなくマスクをしているので、症状は軽いはずだ。例年この時期は、花粉症の薬の宣伝がテレビにあふれるが、今年は殆ど見かけないのも、そのせいかも知れない。今年は暖かい日が続いて、近所の桜もあっという間に満開になってしまった。そういえば去年の今頃、既にコロナ下ではあったが、昔通った大学の構内の桜を、当時の友人達と見にいったことを思い出した。

▶午後から雨が降るとの天気予報だが、朝日が差しているので、少ない洗濯を手っ取り早く済ませ、家の周りを歩く。我が家の小さな庭にも、本格的な春が来ていて、フェンス際には芝桜が満開だ。全く手入れも何もしていないが、けなげにこの時期に花を咲かすのだから、えらいものだ。6月になると小さな赤い甘い実をつけるジューン・ベリーの木も、白くかわいい花を咲かせている。
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▶少し歩いて、近所の交差点際にある家の桜の大木を見に行った。この家の庭に咲く桜は、個人の桜としてはそれは見事なもので、他人様のものながら、現在のところに引っ越してからは、元気だった妻ともども、毎年この花が咲くのを楽しみしていた。しかも桜は二本あって、一本はソメイヨシノ、もう一本は八重桜だから、時期をずらせて二度も見事な花を楽しめるのがありがたい。そして、今年もまたその桜(ソメイヨシノ)が満開となった。
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▶家に戻ってスマホを見ると、親しい友人から、共通の知人の訃報が届いていたので驚いてしまった。早速その友人に電話を入れて事情を聴く。彼も詳しいことは分からないとのことだが、どうやらガンを患っていたようだとのこと。亡くなった彼からは、友人のところに今年も年賀状が届いていて、「今年は出口戦略を模索している」と添え書きがあったそうだ。私の妻もそうであったが、同年齢の友人・知人が亡くなっていくのを聞くと、いわく言い難い哀しみが残る。

▶年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず(劉廷芝)・・・。

 

国立歴史民俗博物館で花見をする

▶今朝(24日)は、春らしい暖かい天気になった。コロナ下ではあるが、この時期になると無性にバイクで遠出したくなる。ここ数年は春になると奥多摩方面に行くのが定番で、昨年は少し外れるが宮ケ瀬ダムの桜を見に行った。今日は一日空いているし(※仕事のない一人身の生活は、いつも空いているのだが・・)、どこに出かけるか考えたが、時計を見ると既に9時近かったので、近場の桜でも見に行くことにした。それなら佐倉城址公園国立歴史民俗博物館はどうだろう、ということで早速バイクを引っ張り出して出かけた。

▶平日の国道51号線は少し混んでいたが、四街道の吉岡交差点を過ぎると流れがよくなる。神門十字路を左折して東関東自動車道を超すと、もう佐倉市中心部である。このあたりの沿道の桜は満開に近い。混んだ道をしばらく走り、左折して歴史民俗博物館(歴博)のアプローチに入っていく。時刻はまだ午前10時だったが、駐車場前には既に順番待ちの車が並んでいたのには少し驚いたね。「皆さん、コロナにも関わらず結構頑張って外出されているんですね・・」と一人つぶやくが、自分のことは棚にあげて、いい気なものだ。

▶しかし、車が並んでいた理由は別にあった。通常使われている駐車場は閉鎖されていて、なんとそこは遺跡の発掘現場に様変わりしていた。サイトの周りはぐるっとフェンスで囲んであって、いくつか区分けされた穴の中には、既に帽子をかぶった大勢の人達が、一心不乱に土を削っている。何の遺跡かはよく分からないが、アスファルト舗装の駐車場の下に何か埋まっていると、一体誰がどうして気が付いたのだろう・・。ここで働いている人達を見ると、若い人は少なくて、殆ど年齢の高そうな人達だ。定年後のヒマつぶしにはこういうボランティア仕事もいいかなと、一瞬思ったりもするが、実際どうなのだろう。

▶それらを横目で見ながらバイクを止めて(※こういう場合、バイクは駐車の融通が利くのがいい)、歴史民俗博物館の建物に向かった。歴博は何度も来ているが、しっかり見ようと思うと一日は必要だ。特に2019年3月にリニューアル・オープンした第一展示室の「先史・古代」は、私にとって興味が深く、今日はもっぱらこの展示を中心に2時間程見学した。
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▶展示を見ていて、私にとってはいくつかの発見があった。一つは朝鮮半島の歴史で、紀元1世紀~5世紀にかけての三韓時代のことである。私はこれまで何となく、韓民族が三つに分かれて朝鮮半島全体を支配していたと感じていたのだが、それは大きな間違いで、現在の北朝鮮部分は、紀元前108年に漢の武帝によって征服されており、その後はここに楽浪郡帯方郡が置かれ、朝鮮半島の北半分は中国によって間接統治されていたのである。(⇒ 恥ずかしながら、今回リアルに分かりました。)

▶一方、半島南部は、多くの小国に分かれていたが、次第に馬韓辰韓弁韓の三国に統合される。しかも、弁韓の地には、当時の日本の大和政権が進出していたというから、朝鮮半島情勢は古代から既にして複雑だったのだ。日本の大和政権も、この時代には弁韓の地に進出し、そこを通して朝鮮半島南部に影響を与えていたし、その反動で日本も大陸からの影響を大きく受けていた。私が興味とする日本への仏教伝来も、この話の延長上にあるし、何より、当時の大和政権が、朝鮮半島を通じて国際政治の渦中にあったということもスンナリ理解できるようになった。

▶もう一つの発見は、群馬の榛名山の噴火である。これは第一展示室に伊香保の地質断面の模型がかなり大きく展示されているのを見て、初めて分かった。榛名山は、6世紀に2度に亘って大噴火を起こし、一度目は火山灰を1メートル、二度目は軽石を2メートルも東側山麓に積もらせた。それによって多くの集落が埋まったという。そうか、それで渋川に行くと「日本のボンベイ」という看板が立っているんだ、と分かった次第。それに、私が子供だった頃、毎日のように眺めていた榛名山が、こんな形で日本の古代史に影響を与えていたのを知ったのも、感慨深いものがあった。

▶三つ目の発見は、太田天神山古墳である。大規模古墳と言えば、堺市にある世界遺産の「百舌鳥・古市古墳群」が有名で、私はこれまで訪ねたことはないが、一度見てみたいと思っていた。しかし、群馬県太田市に、長さが210メートルにも及ぶ前方後円墳(太田天神山古墳)があることを知って驚いてしまった。この古墳は5世紀前半につくられ、当時は二重に堀がめぐらされてあったというから、この地方と大和政権の深いつながりが示唆されているそうで、群馬生まれの私にとっては、全く「灯台もと暗し」である。

▶第一展示室だけで2時間近く見学したので、これだけで疲れてしまった。残りの展示室は別の機会に譲り、併設するレストランで昼食をとった。ここは古代米のメニューを出していて、なかなかユニークで、多くの人達で賑わっていた。食事が終わって外に出ると、春の陽光がまぶしく、桜は満開であった。

▶ところで、歴博の一階部分から地階のミュージアム・ショップに階段で下りる途中、正面を見ると、一面ガラス張りとなった横長の巨大な窓から、枝ぶりの良い桜の大木が見える。当日はこの桜も満開で、この満開の桜がまるで巨大な額縁に入って飾られているようにみえる設計に、私は思わず拍手したくなった。皆さま、一度ご覧あれ。
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前橋は遠くなりにけり・・・

▶彼岸も終わりに近づいた昨日、前橋の菩提寺にある父母の墓参りに行ってきた。車で行ってきた。先週の水曜日の彼岸の入りの日に、小田原にある妻の実家の墓参りを済ませ、金曜日は我が家の近くにある市営霊園の妻の墓参(※こちらがメインです)に行ったから、ここ数日は墓参りに忙殺?された感じである。墓参りは義務感で行く訳ではないが、遠くにある墓に行く場合、やはり出かけるにしてもそれなりに気合が必要となる。それでも、行ってくると、ある種の達成感と、何だか不思議に落ち着いた気分になるので、それも墓参りの効用かもしれない。

▶前橋には昼前に着いた。先日このブログに「紅雲町」に住んでいた頃のことを書いたが、その記憶が蘇ってきて、時間もあったので、紅雲町の利根の河原に行ってみることにした。スマホの地図で調べるまでもなく、国道17号が走る群馬大橋のたもとから降りる道は、すぐに見つかった。車でソロソロと降りてゆくと、すぐに行きどまりの駐車場があり、そこに車を置いて河原に降りてみた。

▶50年ぶりに降り立った利根の河原は、しかし私が想像していた姿とは全く変わっていた。ブログにも書いたが、当時、広い河原には手頃な大きさの丸石が、見渡す限り一面にころがっていて、その先に利根の本流が流れていた。その石を敷き詰めたような河原には、夏になると石の間から月見草が生え、夕暮れ時などそれが一斉に咲いたので、それはそれは見事な光景だったものだ。それが現在は、1メートル近い枯草が茂り、所々に7~8メートルの木も生えているブッシュ地帯になってしまっていて、あれほどあった丸石はどこにも見当たらない。

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▶50年も経っているので変わって当然だが、この変わり様がなぜ起こったのか気になった。よく見ると、河原の地面には所々にアスファルト舗装の跡が残っていて、それでここが、かつて河川敷の駐車場として整備されていたことを思い出した。それは私が前橋を去ってから随分後のことであったので、実際にその駐車場の姿を見たことはなかったが、1998年9月16日に襲った台風5号によって、この駐車場にあった85台の車が利根の濁流に押し流されてしまった事件がおこったので、覚えていたのである。その時は、駐車場の管理の在り方や賠償問題も含めて大々的に全国に報道されたが、その後群馬県の管財課の係長が、責任を感じて飛び降り自殺を図るという悲劇も起こったのだから、二重の意味で大きな事件だった。

▶その後、この河原の河川敷としての利用はなくなり、放置されて現在のような姿になった・・・というのが私の推理であるが、あとで調べてみると、やはり1500台規模の河川敷駐車場は廃止されていた。利根川の自然に任せていれば、あるいは現在もあの美しい石の河原の光景を目にすることができたのかも知れないが、人の手が入ってその後放置されると、こんなにも景色が変わってしまうものかと、しみじみ思った。

▶それでも、子供の頃、私が上り下りしたあの崖の小道はどうなったかと必死で探すと、崖の上に目印となる欅の巨木を見つけた。当時でもこの欅は、幹回りを大人が一人で抱えられるほどの大きさだった記憶があるが、今は河原から見る高さが7~80メートル近くに達する巨木に成長していた。下から藪を通して透かし見たその幹の太さは、大人3人で手を繋いでも余るほどにも見えた。

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▶この欅は、私の家のすぐ目と鼻の先の崖際に生えていて、この脇から河原に下りてゆく小道がつながっていた。私たち子供は、誰がこの崖を(※しかもよく見るとかなり急で、高さは前回書いたよりはるかに高く、15メートルはあるように見える。利根川の河川敷の幅も、調べると200メートル近くある・・)転ばずに駆け下りることができるかを競った。夕暮れには、この崖の上から河原を眺めると、対岸のはるか向こうに榛名連山が見えて、時々見ることのできた夕焼けも、本当にきれいだった。

▶小学校2年か3年の時だったと思うが、「詩」を書く宿題が出された。私がなかなか書けないでいると、母が「大きな空を掃くように、欅の枝が揺れている」とうい文言を付け加えたので、この「詩」が優等賞をもらい、私は内心恥ずかしかった記憶がある。思うに、こんな表現(※欅を箒に見立てて空を掃く)を子供が書けるはずはないので、担任の先生も、私の母の作品であることを分かっていたのかも知れない・・・古き良き時代の話ではある。

▶荒れ果てた利根の河原で、懐かしの欅の巨木を見上げながら、過ぎ去った半世紀にも及ぶ時間の長さを思った。その後国道17号線沿いにあるラーメン店で昼食をとってから、父母の墓参りを済ませ、夕方6時に千葉の自宅まで戻った。

・・・・荒れ果てし 利根の河原に 降り行けば 過ぎにし日々の 夢の跡かな・・・・