マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な60代「男おひとりさま」の日常を綴っています。

東京オリンピックとコロナ対策


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▶梅雨が明けて朝からジリジリとした日射しが降り注いでいる中、いよいよ明日から東京オリンピックが開催される。しかし、既に昨日から女子のソフトボールやサッカーの予選が始まっているので、実はオリンピックはもう始まっている。コロナ感染症対策と両立し得る五輪開催がいかに困難なものかについては、既にこれまで言い尽くされてきた。直前になって、開会式の楽曲の提供者をめぐって、組織委員会の判断の甘さが露呈される事件もあった。しかしそれでもなお、また東京五輪についての様々な国民感情があることを踏まえても、私個人としては開催を祝福したい。

▶近代オリンピックは、1896年に始まり、第二次大戦中の2回(40年東京返上⇒ヘルシンキ中止、44年ロンドン中止)を除くと4年おきに開催されてきており、今回はコロナパンデミックの中で、1年延期された開催となる極めて異例な大会となっている。しかし、にもかかわらず、全世界から東京に選手団を派遣する国と地域は205の多数にのぼり、しかもこれまでコロナ感染症をリスクととらえて参加を取りやめた個人はあっても、国や地域は、北朝鮮以外一つもない。

▶参加する全ての国と地域の選手は、東京でコロナ感染が進んでいても、自らリスクをとってでも東京五輪に参加する意義を認めているのだ。世界から東京五輪に届くメッセージに、これ以上確かなものが一体あるだろうか。オリンピックは、単なるスポーツの祭典ではない。人類が、自らの身体能力の限界を総体的に知り、その上で、更にそれを乗り越えた者たちを、人類自身がその叡智と努力に対して祝福する場でもあるのだ。しかも、歴史が示すように、戦争があってはオリンピックは開けない。オリンピックが開催されるということは、現実の世界が少なくとも開催されるに足るだけの平和を確保できていることを示している。だから、多少リスクをとってでも、困難を乗り越えてオリンピックを開催する価値があると私は考える。

▶足元の東京ではコロナ感染者数が激増している。そういうリスクのある東京に、自らの人生を賭けたアスリート達が集まってくる。断っておくが、このような状況に極めて大きな切迫したリスク感じているのは「選手たち」であって、駅前で無責任なインタビューに応じる「東京都民」ではない。いわんや、冷房の効いた部屋でテレビを見ている「私達」ではないのだ。にもかかわらず、選手自身がコロナ感染を拡大する元凶でもあるがごとく、だから日本人の安心と安全が守られないと政府や組織委員会叩きに大騒ぎする一部のメディアについては、あきれてものが言えない。この付和雷同的な節操の無さは、ナントカならないものだろうか。

▶一方、参加する選手のしたたかさを垣間見る瞬間もある。南アとの初戦を控えたサッカー代表の吉田麻也は、対戦相手となる南アの選手の中に感染者が出たことに対し海外記者から「(南アとの対戦について)これが安心安全にプレーできる環境か?」と問われたことに対し、「イエス」と応じ、「陽性者が出場できないルールで自分は1年間イタリアでプレーしてきた。個人的には(対南ア戦は)全く問題がない」と言い切り、オンラインでなく対面での記者会見である「今日が一番危険」だと締めくくった。

▶更にしたたかだったのは、オンライン取材に応じた久保建英。対戦相手の南アに陽性者が出たことを心配する声に対して、「自分たちに陽性者が出たのならマイナスだけど、相手に出たのだからマイナスではない」と発言した。対戦による感染が心配だと言う答えが聞きたかった?メディアとは、次元もレベルも違う発言を聞いて、私は胸のつかえがとれる気分だった。

▶1964年(昭和39年)10月10日、晴れ渡った土曜日の午後。小学5年生だった私は、東京オリンピックの開会式を、前橋市紅雲町の家の白黒テレビで見た。一緒にテレビを見ていたのは、母と妹だったが、開会式が始まる直前に、同級生の一人が外で遊ぼうと誘いに来た。私は誘いを断り、彼も誘って一緒に家のテレビで開会式の行進を見た。穏やかで、胸が躍る秋の一日だった。その2年後に父が亡くなり、当時一緒に見た母も妹も同級生も既に亡くなって今はいない。私は、57年ぶりの二度目の東京オリンピックの開会式を、明日一人で、再びテレビで見ることになるだろう。

 

梅雨明けの日に大汗をかく


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▶昨日、関東地方の梅雨が明けて、朝から強い日差しが降り注いだ。こうなってくると、朝の散歩に出て行くのにも気が引ける。庭を見ると、雑木が伸び放題だ。以前から気になっていたが、こちらも手をつけることなく毎日が過ぎていく。一人暮らしだから誰に頼む訳にもいかず、「意を決して」身支度を整えて庭に出た。

▶この年齢になってくると、調子に乗って庭仕事をしていると、翌日に体調が狂う。もちろん熱中症も心配だ。ということで、切った枝葉の整理もそこそこに1時間半ほどで家の中に戻ったが、既に全身が汗でびっしょり。早速シャワーを浴びて、ついでに洗濯まで済ませると、なぜか充実した気分になる。毎日が日曜の独り者にとっては、ささやかではあれ、オンとオフのケジメをつけることは、意外に重要なんですね。

▶それならばということで、ノンアル・ビールを冷蔵庫から取り出して、お気に入りのグラスに注ぐと更に気分も盛り上がって、「仕事も終わったし、昼からはゆっくり読書でもしながら昼寝でもするか・・」と言う気になる。時計を見ると正午近いので、簡単に昼飯の用意をしてテレビをつけた。大下容子のワイド・スクランブルが終わって徹子の部屋を見ていて、ふと今日は何曜日だったかと思いながらカレンダーを見ると・・・なんと金曜日。そこにはNHK文化講座と書いてあった。

▶思わず目を疑ったが、そうか今日は月に一度の「シルクロード物語」の聴講の日だったんだと気が付き、突然大慌てとなった。講座は午後1時開始で、いつもは余裕を見て12時過ぎには家を出て駅に向かうのだが、時計を見ると既に1時10分で講座は始まっている時間だ。一瞬、このまま欠席することも考えたが、費用もかかっているので、とにかく駆けつけようと思い、急いで身支度をして家を飛び出した。梅雨明けの炎天下を駅まで小走りに急ぎ、26分発の千葉方面行きの電車になんとか飛び乗ったが、大汗だ。

▶教室に入ったのが、1時40分。講師の先生に謝りながら、一つだけ空いていた一番前の席に座った。気が付いてから30分でよくここまで来られたものだと感心しつつ、それにしてもなぜ講座の日程を忘れてしまったのかと改めて思った。ちなみに講座の方は、日頃からの勉強の成果?もあってキャッチアップは全く問題なかったが。

▶帰宅してからも、何故日程を忘れたのか気になった。私は、日程管理を壁にかかったカレンダーとスマホの予定管理アプリで行っているが、昨日の午前中はそのどちらも見ていなかった。予定をチェックせずに何をしていたのかと言えば、最初に書いたとおり庭木の剪定なのだが、実は庭木が伸び放題になっているのに手をつけないでいることを、自分が如何に気にしていたのかということが、これによってあらためて分かったのだ。それにしてもなあ・・・。

▶うっかりミスは誰にも起こりうるが、一人暮らしの場合、うっかりは致命的になるケースもある。願わくば、このケースがうっかりであって、認知症の始まりではないことを祈るばかりである・・・冗談ですけど。

 

 

 

 

 

 

 

米メジャーリーグのオールスター戦


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▶テレビをつけると、朝から野球中継だ。米メジャーリーグのオールスター戦が、コロラド州デンバークアーズ・フィールドで始まった。昨年はコロナの影響で中止されたが、今年はワクチン接種も進み、2年ぶりに無事開催にこぎつけた。ビールメーカーのクアーズの名前を冠した球場は観客で満員で、これから開催される東京五輪も形無しの盛り上がりだ。

▶生放送の配信も五輪級で、NHKBS放送と民放のテレビ朝日が同時配信するというから恐れ入る。テレビ朝日は、羽鳥モーニングショーをぶち抜きで放送した。いつもは、政府のコロナ対策や五輪対応に関してぎゃんぎゃん言っている玉川徹は、およびでないのか、殆ど発言せず、スタジオの長嶋一茂が、天下を取ったような顔でコメントしていた。私もテレビ画面を食い入るように見ていたが、お目当ては言わずと知れた大谷翔平である。

▶実は昨日のホームラン・ダービーも見た。メジャーのホームランバッターによるホームラン競争だが、何と優勝賞金が1億1千万円。しかも、8人の出場者の最後に登場した大谷が、現時点でメジャー1位の33本のホームランを打っているので第一シードとなっている。まさか日本人バッターがこのような場面に登場するなんて、誰が想像しただろうか。大谷の結果は、残念ながら一回戦敗退となったが、彼がメジャーリーグにおけるベーブ・ルース以来のスターとして期待されていることは、画面を通しても十分に伝わった。

▶そして、今日はオールスター戦の当日。大谷は先発ピッチャーで1番DHで出場した。始球式直後の一番バッターとしていきなり打席に入った大谷だったが、いい当たりの打球はセカンドゴロとなった。チェンジの後は、今度は先発ピッチャーとしてマウンドに上がった。私に限らずテレビの前の日本人は、固唾を呑んで大谷のピッチングを見たことだろう。大谷は、160㎞のスピードボールを連発して三者凡退に退けた。

▶試合はア・リーグの8連勝という結果に終わり、大谷が勝利投手となったが、大リーグの野球中継がこんなにも身近になったことに驚きを禁じ得ない。確かに、野茂やイチローや松井の活躍なくしては今日の姿や大谷の存在は無かったかも知れない。それにしても、大谷の活躍はアンビリーバブルである。彼は「小よく大を制す」という日本的な技術・精神主義から見事に脱却して、大リーグ野球の本質であるパワーのレベルで、これに追いつき追い越している。

▶大谷の凄さは、自身が示すパフォーマンスが、あたかも努力や練習の積み上げといったこともなしに軽々とできているように周囲に見せていることにある。それが求道者であるイチローと大きく異なっている。体格的にもアメリカ人と全く遜色はなく、その運動能力は並みいる大リーグ選手を大きくしのいでいる。彼は、160㎞k超のボールを投げるピッチャーであり、リーグトップのホームランバッターなのだから、これはもう、日本人はもとより、アメリカ人にとってもヒーローなのだ。今回の野球中継を見ていてそれを確信した。

▶テレビを見ていて、普段はトンデモ発言もある長嶋一茂が、「(大谷の二刀流でのオールスター選出は)松山英樹のマスターズ優勝の2回分くらいの価値がある・・」と彼にしては説得力のあるコメントをしていたのが印象的だった。スポーツの価値が分からない共感性の低い玉川徹が、今回は全くと言っていいほど出番がなかったのにも笑ってしまった。

▶オールスターはお祭りだから、結果よりも選出されることに意味がある。さて、大谷がこれから後半戦でどんな結果を残すのか、今から楽しみで仕方がない。それにしても、巨大なクアーズ・フィールドにこれまた巨大な星条旗が現れて、その上をジェット戦闘機が飛びさり、そしてアメリカ国家が歌われる開会式の演出は、見ていても本当に鳥肌が立つような気分で、実際のところ、私は数年前にロスのドジャースタジアムで同じような経験をしたのだが、コロナが終わっていれば東京五輪もきっとこんな気分で見られたかも知れないと、昔を懐かしみながらつくづく思ったものだった。

 

ゴルフの後の飲み会で・・・


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▶ここのところ雨が降り続いて、気分が晴れない日が続いている。6日は曇り空だったが、温度・湿度ともに高く、昔風に言えば不快指数の高い一日だった。そんな中、昔の会社仲間の若い気分の先輩の皆さんと(・・と言っても全員高齢者だが)、成田の先まで行ってゴルフをやった。メンバーのうち二人は東京から高速を使ってやって来ているから、気合が入っている。私も、先日のブログで書いたように、ここのところそれなりにゴルフの練習をしてきたつもりなので、今日こそは何とかなるだろうとの思いで臨んだが、ダメだった。

▶スコアが悪いのは結果だから仕方がない。問題なのは、一日を通じて、自分が納得できるスウィングが一度たりともできなかったことがたまらなく悔しいのだ・・・と、ここまで書いてきて、一人暮らしのこんな状況の中で「ゴルフの結果が悔しくて落ち込む」自分がいることを改めて発見して驚いた。それは私にとって実に新鮮な発見であった。人は年齢が嵩むと、向上する意欲も衰えてくるものだが、「自分にはまだそれが残っている」のだから。

▶ゴルフが終わったのが、午後3時半。すぐシャワーを浴びて、先輩の皆さんに挨拶して4時過ぎにゴルフ場を出た。成田から高速に乗って自宅まで戻ったが、時計を見ると午後5時だったので、いい時間だと思い、近くの行きつけの小料理屋に顔を出した。店は、既に常連さんを中心に思いのほか賑わっていた。実は、昨日、この店の常連さんの二人から「明日ゴルフをしませんか?」と誘いの連絡をもらっていて、私は結果的にご一緒できなかったが、その人達がおそらく店に来ているのではないかと思い、飲み会くらいは参加しようと思って顔を出したのである。

▶入ったら既にその二人の方は飲んでいた。二人とも顔なじみで、A氏は私より10歳上、そしてB氏はなんと20歳上で、80代後半の方なのだ。A氏とは5月にゴルフを一緒したが、その時来る予定だったB氏は、脳内に血栓?が見つかって緊急入院しゴルフを欠席した。B氏は手術後回復されて、今日は不快指数が高い中で二人とも午後からハーフを回ってからこの店にきたとのこと。

▶私も成田でのゴルフは疲れた(※スコアも悪かったしね・・)が、それにしてもこのお二方の元気には恐れ入る。特にB氏は意気軒昂で、もうすぐ米寿とはとても見えない。B氏は私と同じく奥様を亡くされ、既に5年になるとのことだが、依然としてゴルフをやってから店まで飲みに来る健康と体力をキープしておられ、この店の常連の最長老として人気者である。しかもB氏は、歴史好きで、「豊臣秀吉明智光秀は信長暗殺を共有していた」という趣旨の歴史レポートを書いたりして、わざわざ年下の私に意見を聞いてくれたりする。B氏は、私のみならずこの店に通う定年族にとって、生きて行く上での目標になっていると言っても過言ではない。

▶私も含め、お二方ともコロナワクチンは2回接種が終わっているので、その気楽さもあってついつい飲み過ぎてしまい、いつしか午後8時の閉店時間を回ってしまった。経営者の女将さんが、店の明かりを突然暗くしてくれなかったら、いつまでも飲んでいたかも知れない。「今度は、泊りがけでゴルフに行きましょう」というような話でその場はお開きになった。立場や年齢を超えてこういう付き合いができるというのは、なかなかいいものだなと思いながら、その場を提供してくれているお店に感謝しつつ、私は一人歩いて家に戻った。

 

 

吉村昭「関東大震災」の恐怖と教訓


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▶本箱を整理する。昔読んだはずだが、中身が思い出せない本が沢山ある。吉村昭関東大震災」もその一つだ。ページを開くと、既にして周辺部分に焼けが入っており、一体いつ読んだのかも思い出せないが、奥付を見ると第14刷が1990年に出ているので、それ以降に購入して読んだに違いない。しかし、それにしても30年近く経っている。

▶私はもともとノンフィクション物が好きで、柳田邦男や沢木耕太郎はよく読んでいる。柳田の「マッハの恐怖」や沢木の「凍」は特に面白かった。吉村昭も好きな作家の一人で、「関東大震災」は勉強のつもりで読んだような気がする。吉村の「関東大震災」は、大正天皇即位式があった大正4年11月初旬の話から始まる。以下、全体の流れを要約すると・・・。

即位式の翌々日の11月12日の未明に、千葉県の上総一ノ宮を震源とする地震が東京地方を襲った。この地震は、合計で65回にもおよぶ余震を伴っており、それが来るべき大地震の前触れではないかと、当時の東京市内は震えあがった。ここにおいて、当時の地震研究の第一人者である東京帝大の大森房吉教授と、彼の部下で、たまたまこ地震が起きた際に観測を担当した次席の今村明恒助教授の間で、この地震の解釈をめぐって論争が起こる。

▶今村助教授は、歴史的な経緯からみても、近いうちに東京の近傍で大地震が起こる可能性が否定できないとの立場から、将来起こるかもしれない大地震に対して警鐘を鳴らす趣旨の記者発表をするが、上司である主任の大森教授はこの発表が世間を騒がせることになることを危惧し、否定サイドに大きく舵を切った。実は大森教授と今村助教授の対立は、これが初めてではなかった。

▶遡ること10年前の明治38年。今村は、雑誌「太陽」に自らの論文を発表した。その際、論文の末尾を「・・・今後50年以内には、斯ういふ大地震(※安政の江戸大地震のこと)に襲われることを覚悟しなくてはなるまい」という言葉で結んだのだ。しかしこれが当時の世相に大きな動揺をもたらす。この時大森は、地震予知の限界と、東京帝大の学者が発表する負の影響力の大きさを恐れるあまり、今村の意見に理解を示しつつも、最後は自ら講演会を開いて今村の意見を全面的に否定した。それ以降、二人の間には微妙な確執が残るのである。

▶そして、大正12年(1923年)9月1日午前11時58分。相模湾震源とするマグニチュード7.9の巨大地震が関東地方を襲った。震源地に近いところの揺れは、「土地が、上下となく、前後となく、左右となく、複雑に揺れて立つことができない。丁度、暴風雨に襲われた小船の甲板にいるようであった」とある。神奈川では瞬時にして小田原と箱根が壊滅し、東海道線根府川駅でこの地震に遭遇した下り第109列車は、断崖から40メートル下の海中に落下した。同時に起こった地崩れにより、根府川駅の建物も列車の後を追うように海中に没した。

▶千葉の被害は、南に行くほど激しく、館山では99%の家屋が倒壊し、付近一帯の田んぼが2メートルも沈下した。千葉では陥没が激しかった一方、相模湾沿いでは隆起が激しく、大磯や茅ヶ崎では一気に1.8メートル近くも地面が持ち上がったというから、恐ろしい話だ。東京を除く関東6県の被害は、全壊6万7千戸、半壊7万1千戸というから、凄まじい。

▶東京はどうだったか。地震の揺れそのものは神奈川や千葉南西部ほどではなかったが、家屋の被害は地盤の弱い下町地域を中心に、広範囲に及び、全壊1万6千戸、半壊2万戸に上った。しかし、本当の被害は、今村が明治38年に指摘したように、地震の後に起こった。火災である。たまたま昼時で家庭や店では火を使っていたので、地震直後から至るところで火災が発生した。意外だったのは、学校や研究所や病院などの火災である。原因は保有してあった「薬品」の落下による発火だった。

東京市内では、火災は地震直後から発生し、その後42時間も燃え続けた結果、全戸数48万戸のうち30万戸が全焼した。横浜でも、6万戸が全焼した。そしてこれらによる死者の数は、全体で10万5千名に上った。阪神大震災の死者が6千4百名、東日本大震災の死者数1万6千名と比較しても、関東大震災が桁違いに多くの犠牲者を出したことが分かる。

▶最も悲惨な火災現場は、本所の陸軍被服廠跡(現在の墨田区横網の都立横網公園)である。当時ここは、陸軍の被服工場が移転したあとの広大な空き地となっていて、ここに周辺から数万の人々が避難のため逃げ込んだ。広大な空き地だったが、各人が抱えられる限りの荷物や家財道具を合わせて持ち込んだことから、場内は立錐の余地もないほど混雑し、そこに周囲から飛んで来た火が荷物に燃え移って火災が発生した。更に火災原因の竜巻と思われる旋風が発生し、人や荷車が空に吸い上げられ、為に火災は一気に拡大し、ここだけで、なんと3万8千人もの人が、逃げることもできずに折り重なるようにして焼死した。まさにこの世の地獄が出現したのだが、吉村は、僅かに生き残った関係者から取材して、この時の様子を迫真の筆で描き出している。

明治38年に今村が予言した50年以内の大地震の発生は、不幸にも的中した。今村は、地震による火災の発生も予測し、仮にそうなった場合は10万~20万人の犠牲者が出るおそれがあると言ったが、これも的中した。その今村は関東大震災を生き延びた。一方、当時の第一人者であった大森は、地震発生当時はシドニーの学術会議に参加していて日本にはいなかった。大森は関東地方での大地震の発生を知り、愕然として予定を切り上げて帰国したが、実はこのとき既に体調を崩しており、帰国後2ヶ月余りで無念の思いを抱えて亡くなった。人の運命を感じさせる話ではある・・・。

吉村昭は、関東大震災について、実際の震災被害の他に、流言飛語によって多くの朝鮮人が虐殺された事実を克明に書き起こしている。これについては、今日のブログの主題とは少し離れるので、ここではこれ以上触れない。しかし、デマの恐ろしさは時に人間性を破壊し、為にとんでもない悲劇を引き起こすことがあることを、この本は見事に伝えている。

▶関東南部で周期的に大地震が起こることは、歴史によって証明されており、今年は、1923年の関東大震災が起きてから98年目にあたる。かつて大地震60年周期説というのが唱えられたこともあった。太平洋プレートが日本列島に潜り込むことによって、地殻の歪は溜まっていく。これが弾けたのが東日本大震災であった。政府の地震調査委員会は、今後30年以内に70%の確率で首都直下型地震が発生すると予測し、その場合、最大で2万3千名の死者が出る(但し、対策をとれば十分の一に減らせる)と発表している。百年前と比べて、日本の建築の耐震性は圧倒的に向上した。だからといって、被害が我が身におよばないかと言えば、そんな簡単な話ではない。

▶関東南部の直下型地震のメカニズムはよく知らないが、かつて起こったことは、また同じように起こるのだと、私は素直に思う。人間は必ず起こる事象(例えば自分自身の死)についても、それがいつ起こるか分からない限り、平気で生きていける存在のようだ。少なくとも自分が生きている間は、阿鼻叫喚の直下型地震など経験したくないのが人情だし、完璧な対策など取りようがないのだ。だからこの問題は、忘れて生きるのが一番いいという意見もあるが、果たして本当にそれでいいのか。

吉村昭の「関東大震災」を読んで、また一つ憂いの種が増えた。しかし、勇気を奮って、敢えてここに紹介した。備えあれば憂いなしというではないか。大地震は、忘れた頃にやってくる。きっと吉村氏の考えも同じだろう・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はノンフィクション物が好きだが、中でも柳田邦夫氏、吉村昭氏の著作は比較的読んでいる方だ。4月に亡くなった立花隆氏の「田中角栄研究」は、当時発売された文芸春秋の誌面で読んだことをよく覚えている。

RSウィルス感染症


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▶今朝、都内に住む次女から電話がかかってきた。何かと思ったら、一歳になったばかりの孫娘が感染症で入院したという知らせだった。すわコロナかと聞くと、RSウィルス感染症だと言う。先週土曜日に発熱して、その後5日も40度の熱が続いて、最終的に近くの病院に入院することになったというから、話は穏やかではない。電話をくれた次女自身も、咳と発熱があり、とにかく、すぐに夫君も含めて病院に行って診てもらえと強く言った。

▶RSウィルス感染症なんて、聞きなれない言葉なのでネットで調べてみると、意外なことが判明した。実は知らないのは私ばかりで、6月13日のNHKのNews Webに「子どもが感染、RSウィルス感染症患者急増、コロナ対策影響か」という記事が出ている。国立感染研究所によると、5月30日までの一週間にRSウィルス感染症の患者が、全国で7818人報告されているという。同じ対象期間に、去年が13人、一昨年が1028人、3年前が949人だから、今年は激増と言ってもいいような状況なのだ。感染者数からみても、コロナに比肩し得る状況だ。

▶一般に、殆どの子どもは、2歳になるまでにRSウィルスに感染し、いわゆる風邪のような症状が出るが、一歳未満の乳児の場合、特に重症化するリスクが高いから要注意だ。孫娘の場合、血中酸素濃度の低下や肺炎症状も出ているので、正直私は心配している。このウィルス感染症には、直接効く薬はなく、対症療法しかないのが新型コロナ感染症と全く同じだ。とにかく今は本人の体力を信じて早期回復を祈るしかない・・・。

▶このRSウィルス感染症の為、都内の小児科の病院はベッドのひっ迫度合が高まっている。小児科の場合、状況からすると、コロナよりはこちらの方が大変になっているかもしれない。ワイドショーでは、毎日コロナ、コロナと騒いでいるが、感染症はコロナだけではない。人類が感染症を完全に克服したといわれる例は、唯一天然痘だけであり、それ以外の数えきれないほどある感染症は、エイズ結核、風疹、はしかを含めて依然として活発に動き回っているのが現実だ。

▶ウィルスは、多細胞生物と異なり、短期間に変異することが知られている。ウィルス自体が生物とも無生物とも言えない存在だから、変異=進化と言っていいかどうか分らないが、いずれにせよ猛烈なスピードで環境に対応する能力を持っていることだけは間違いない。新型コロナウィルスも現在進行形で変異しており、それに対して新たな対策が求められているが、要するに医学とウィルスのイタチごっこのようなものだ。

▶20世紀の後半になって、多くの感染症が近代医学の軍門に下ったように見えるが、実はそうではない。だとすると、「人類がウィルスに打ち勝ったしるしとして云々・・」という言い方は、驕った考えなのかもしれない。残念ながら我々には、ウィルスと共に生きて行く選択肢しかないのだ。

千葉公園の大賀ハス


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▶昨日は、午後10時前にベッドに入った。ここ数日は蒸し暑かったが、昨晩は比較的涼しかったのでエアコンはつけなかった。横になってふと南の窓を見上げると、少し開いたカーテンの隙間から夜空が明るく見える。不思議に思い起き上がってカーテンを開けると、東南の空に満月が上がっているのが見えた。梅雨の時季にこんな美しい月を見ることができるとは珍しい。しばらくカーテンを開けたまま、枕をベッドの足元側に置いて窓越しの満月を楽しんだ。

▶夜中に目が覚めたので時計を見ると午前2時。NHKラジオ深夜便をつけると、鶴田浩二の「傷だらけの人生」が流れていた。再び寝入って、今朝目を覚ますと午前7時半だった。いつもは6時前には目を覚ますのだが、今日は少し寝坊したようだと思いつつ階下に降りて行く。玄関を出てポストから朝刊をとってくる。そうか今日は木曜日だったか・・・ならばゴミ出しをしなければと思ったが、出すほどのゴミは溜まっていなかった。

▶さて、朝飯をどうしようかと思ったが、時間も遅いので昼飯と兼ねたブランチにすることにした。時間があるので、散歩にでも出かけようかと思いつつ数日前の新聞の千葉版に、千葉公園大賀ハスが見ごろを迎えているとの記事があったことを思い出した。それなら散歩がてらにハスでも見に行こうか。空を見上げると薄曇りなので、早速車庫からバイクを引っ張り出す。

千葉公園は、バイクで5~6分と近い。公園の入り口の空いたスペースにバイクを止めて中に入る。時刻は午前8時半頃だったが、比較的年齢の高い人たちを中心に、結構多くの人が歩いているのに驚く。大賀ハスが生息している池は、千葉公園のボートが浮かぶ大きな池の傍にある。入り口を入ってしばらく歩くと、前方にハス池が見えてきた。

▶到着すると、既に多くの人達がカメラ片手に、ハス池の中の木道を散策していた。池の大きさは端から端までで70メートル近くはあろうか。そこの池一面に緑鮮やかなハスの大きな葉が生い茂り水面は全く見えない。その緑の重なりの中からピンク色をした直径20センチ以上はあろうかというハスの花が、無数に顔をもたげている。あるものは大きく花弁を開き、またまだ濃いピンク色のつぼみを膨らませただけの花もある。仏教で出てくるハスの花は白が中心のような気がするが、ここのハスは本当にきれいなピンク色をしている。実に見事で、想像以上だ。これが、本当に2000年前の種から発芽したハスの花なのか・・・。
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古代ハスの研究者だった東大の大賀博士は、2500年前の縄文晩期とされる千葉県の検見川で発見された丸木舟の中に、古代ハスの果托(花が開いた後に残る芯)があることを知り、検見川の遺跡(現在の東大検見川グラウンド)を掘れば古代ハスの種子が見つかるとの思いを強くし、昭和26年3月、周囲を巻き込んで大発掘作業を開始した。

▶しかし、当時の検見川の発掘地は泥湿地だったため作業は難渋し、毎日作業員25人、近隣の中学校の生徒40人が発掘に従事するも種子の発見には及ばず、一週間の工期予定が四週間に及んだ。費用も限界に達した3月30日午後5時過ぎ、発掘作業に従事していた市内第七中学校の女生徒西野真理子さんが、とうとうハスの種子一粒を発見する。これに勢を得て、4月6日に更に二粒の種子を発見した。

▶大賀博士は、府中の自宅にこのハスの種子を持ち帰り発芽実験を行ったところ、同年5月9日をかわきりに三粒とも発芽した。しかし、最終的に生長したのは最初に発見された種子から発芽した一株だけだった。翌年、この株から掘り上げた蓮根を、大中小三つに分割して、大は東大農場へ、中は千葉公園へ、小は千葉県農業試験場に移植した。

▶昭和27年7月18日、東大株がまず26㎝のピンクの大輪の花を開いた。翌28年に千葉公園の株、そして30年には農業試験場の株も開花する。この古代ハスの生育時代の推定は、同じ場所で発掘された丸木舟の櫂の木片を、放射線炭素測定法で測定した結果の3075年前±180年前と、大賀博士のたんぱく質の凝固に関する独自理論を重ね合わせた結果、約2000年前の種子であると推定されている。
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▶今朝は曇り空の下、多くの人が咲き誇る古代ハスの姿を鑑賞していた。私は、傍らに立って交通整理をしていた整理員の人にそれとなく見頃の時期はいつ頃なのかと尋ねると、「いや、今日が一番ですよ。今日の花は本当に見事ですよ」と言っていた。さもありなんと私も思った。別に今日を狙ってこの大賀ハスの開花を見に来たわけではないが、ここに来たのも何かの縁だろう・・・。

大賀ハスがここで初めて開花したのが昭和28年。昭和28年は、私の妻が生まれた年だ。ハスは2000年の雌伏の時を経て開花し、それから現在まで変わらず毎年咲き続けている。個々の花は枯れて実をつけるが、その実からまた次世代が生まれてくる。思えば生命の不思議がここにある。ノンフィクション作家の立花隆が亡くなっていたとの報道が昨日あった。晩年の立花は、生命と死の神秘について多くの著作を残したが、私もまた、咲き誇るハス池の畔を巡りながら、きっと「極楽浄土」にはここにあるように、否ここより更に多くのハスの花が咲いているのだろうと思った。まるで亡くなった人と共に歩いているような不思議な感慨だった。
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▶色々いきさつを書いたが、これらは今年が大賀ハス発掘70周年であることを記念して、千葉公園内にあるハス池観覧の施設の中に展示されていた資料をもとにしている。