マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

連休前に進む断捨離

f:id:Mitreya:20260508173047j:image

▶今年の連休は、と言っても毎日が連休みたいなものだから昔のような高揚感もなく、大したこともなく終わった。どこかに出かけた訳でもなく、2日に子どもや孫たちが来たので、近くの焼肉屋に連れていったことと、6日に友人が遊びに来て酒を飲んだことくらいだから、結局家の周りでウロウロして過ごしていたことになる。

▶もっとも今月末から友人とイタリア旅行に出かける予定があり、その準備が完全には終わっていないことに加え、先月末にマンションの引渡しを受けたばかりで、今度はリフォーム・プランの作成や引っ越しの段取りを考えなければならず、録りためてある映画を見ながらビールでも飲んで昼寝をしているヒマがないのは、実に残念なことだ。

▶先日は以前から気になっていた案件を思い切って片づけることにした。一つは実家にあった耐火金庫の処分で、もう一つは自宅の神棚の処分である。耐火金庫は母親が50年前に購入したものを私が引き取ったもので、家に置いておくのも邪魔なので以前から処分を考えていたが、緊急性がないので、そのままにしていたものである。しかし、今年引越しをするなら今処分するしかない。

▶この金庫は重さが40㎏もある代物で、一人で動かすのも骨が折れる。鍵はあるがダイヤル錠のナンバーを忘れてしまっているので扉が開かないままになっている。金庫は千葉市では粗大ゴミとして受入れできない扱いなので、自分で業者を見つけて処分してもらうしかないが、その場合は扉が開けられることが前提なので、事前に解錠業者に依頼して開けてもらうか(※費用は約2万円ほど)、自分で何とかして開けるしかない。

▶持前の好奇心から、最初は自分でダイヤル錠の仕組みを調べて解錠することを考えた。

しかし、色々情報を得て試してみるも(※小型電動マッサージ機を使って開ける方法もあった)、どうしても解錠することができない。そこで今度は扉を壊して開けることにしたが、扉の両端に閂(かんぬき)がかかっている状態なので、合理的な壊し方を考えて必要な工具を揃えなければならない。

f:id:Mitreya:20260508173129j:image

▶揃えた工具は、金切り鋸、バール、タガネ、ハンマーなどで、金切り鋸以外は昨年シラカシの伐根をするとき購入してあったものだ。電動グラインダーで鋼鉄製のヒンジを切断するのが最も簡単だと分かってはいたが、その為にわざわざグラインダーを購入するのも馬鹿らしいのでやめた。考えた挙句、ヒンジに挿入してある金属ピンを金切り鋸で切断できれば本体と扉が分離されることが分かったので、その方針でいくことにした。

▶ホームセンターで購入した金切り鋸を使うと、意外にもスンナリとピンの切断が完了。次いでハンマーとタガネで扉の隙間を叩いて広げ、片側の閂をはずすことに成功した。ここまでくれば最後はバールを使って力任せに扉を壊して開けるしかない。奮闘すること10分ほどで扉が外れたときは、思わず快哉を叫んだ。やればできるではないか。ちなみに、金庫の中は空かと思っていたが、私のゴルフ場の会員資格保証書が入っていたのには驚いた。

f:id:Mitreya:20260508173210j:image

▶その後は引き取り業者に電話をして価格を交渉。玄関前での引き取りなら16000円+消費税ということなので、お願いすることにした。当日は雨模様だったが、指定時刻に若い担当者がトラックで来て引き取ってくれたが、よく一人で扉を壊しましたねと言わんばかりの顔つきだったので、褒められたようでうれしかった。

▶次いでもう一つの懸案は、自宅の神棚の処分。この神棚は大網白里の自宅を新築した際に購入したもので、年末年始には燈明を上げて家内安全を祈念していたものだが、妻が亡くなってから神棚の扉は閉めたままで、神棚に手を合わせることもなくなった。今回引越しを考えているので、思い切ってこの神棚を処分することにした。

▶さすがに神聖な神棚なので、耐火金庫と同じように壊してゴミに出すわけにはいかない。考えたあげく、小さく壊して自宅の玄関前でお焚き上げすることにした。金庫と異なり、金づちで叩くと簡単に壊れる。その破片を集めて、玄関前にある大きな甕の中に入れてお焚き上げした。自宅で火を使うことには抵抗はあるが、雨の日を選んで、慎重に燃やすことができて、自分なりに納得した気分で神棚の処分ができたのは良かった。

▶そして最後にもう一つ。こちらも断捨離の一つではあるが、5月から新聞(朝夕刊)の購入をやめた。新聞は50年以上も継続して読んできたが、気がつけば最近は新聞に目を通すことが圧倒的に少なくなった。日経をやめて読売に変えたことも影響しているかもしれない。それに新聞に折り込まれるチラシの量が多すぎて、新聞を購入しているのかチラシ広告を購入しているのか分からなくなってきたからだ。

▶また引っ越し先のマンションでは、新聞を取りに行くのも面倒そうなので、この際思い切ってやめることにした。これからは週末に日経の土曜版をマンション前のコンビニで購入すれば十分そうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

草津温泉に行ってきました

f:id:Mitreya:20260501111311j:image

▶いつも通っている居酒屋のメンバーの一人であるH氏は北海道出身で、まだ草津温泉に行ったことがない。それならば春に皆で草津に行こうと、気の合ったメンバー同士で急遽話がまとまったのが3月も末のことである。早速H氏が日程の調整をしたところ、4月21日~22日なら全員の都合がよさそうなので、私がホテルの手配をすることになった。

▶草津温泉には多くのホテルや旅館があるが、どうせなら多少高くても良いところにしようということで、草津でも一番有名な大型ホテルに決定。男性5名、女性2名のグループなので、3部屋を無事確保できたのは良かった。当初はH氏が運転する大型レンタカーであちこち見ながら草津まで行く案もあったが、千葉駅から草津温泉まで直通バス「ゆめぐり草津号」が出ていることが分かったので、今回はこのバスで行くことにした。

▶21日は天気もまずまずで、午前8時過ぎに千葉駅前のロータリーに全員集合。午前8時半に定刻通りやってきた「ゆめぐり草津号」に乗り込んだ。あらかじめバスにトイレがあることを確認してあったので、発車するとまもなく幹事役のH氏が、駅のコンビニで買った缶ビールを配る。バスが穴川ICから京葉道路に入ったところで我慢できずに早くも乾杯。

▶「ゆめぐり草津号」の乗客は、我々のグループを含めて20名程なので、一人で2席確保できたのはラッキーだった。H氏の配慮で、全員の席が後方のトイレに近い場所なので、気楽に朝からビールが飲めるのはありがたい。バスは京葉道路から外環道を経由して関越自動車道に入った。途中、外環道が少し渋滞していたが、概ね順調に走って高坂SAで休憩。

▶草津温泉到着が13時の予定なので、高坂SAで買い込んだサンドイッチでバスの中で軽い昼食をとった。バスは関越を渋川伊香保ICで降りたのち、JR渋川駅、伊香保温泉と停車しながら吾妻川を遡って行く。中之条を過ぎてしばらく走ると左手に大きな湖が見えてくる。八ッ場ダム湖だ。初めて見る八ッ場ダム湖にH氏や女性陣は興味津々だった。

▶バスは定刻を僅かに過ぎて13時過ぎに草津温泉ターミナルに到着した。途中休憩はあったものの、約5時間のバスの旅は年を重ねた者にとってはそれなりに堪える。14時前にはホテルに入ったが、チェックインには少し早いので、荷物を預けて全員で湯畑を見学することにした。ホテルを出て湯畑までは下り坂の道を歩く。

f:id:Mitreya:20260501111452j:image

▶草津温泉では桜が満開だった。湯畑の周囲には観光客がいたが数は圧倒的に少ない。私にとっては何度目かの湯畑であるが、初めて見るH氏にとっては、大量の温泉が噴出している湯畑の光景は新鮮だったようだ。湯畑の周りでひとしきり時間を過ごしたのち、迎えに来たホテルのバスに乗ってホテルまで戻った。15時過ぎにチェックイン。

▶ホテルの大浴場は、万代鉱源泉と西の河原源泉の混合泉がかけ流されていた。通常、このくらいの大浴場になると、源泉かけ流しだけでは温度が保てないが、草津温泉の源泉は高温かつ大量なので、大浴場でもかけ流しが実現しているのはさすがだ。露天風呂は白濁した湯で、こちらは綿の湯源泉(PH2.11 )とのこと。草津の湯は酸性がきついので、目をこするとヒリヒリする。

▶温泉に浸かったあとは部屋に戻ってビールで乾杯。夕方5時半からは大宴会場のようなホールでビュッフェの夕食だった。夕食時のホールは殆ど満杯だったが、見渡すと平日にも関わらず、若い人が多いようだ。しかし、通常はいるはずの外国人の姿はほとんど見かけなかったのは、昨今の世情を反映している。

▶このホテルのビュッフェの食事の質はなかなか良かった。魚嫌いのはずのS氏は、マグロの刺身を山のように持ってきて食べている。今回のメンバーは、基本的に高齢者が主体なので、ビュッフェ形式の夕食は若干心配だったが、全員が飲み放題のオプションをつけて、飲んで食べての大宴会となったのは、さすがに居酒屋の常連メンバーだけのことはある。

▶夕食が終わってからは、全員で我々の部屋に集まって二次会開催。考えてみれば、こんな形で皆で酒を飲むのは何度目のことになるだろう。二次会は持ち込んだワインが主体だったが、7人で3本空けた。さんざん飲んでお開きとなったのは12時近くで、これで平均年齢が75歳なのだから怖れいる。

▶その晩私は、眠りに落ちてから異様な経験をした。基本は夢を見ているのだが、脳が覚醒していて、身体を自由に動かすことができる。自分が暗闇の中でどこにいるのか分からず、手にしたテレビのリモコンで、おそるおそる周囲を叩くのだが、この感触が言葉では表現できないような不気味さだ。突然頭上にK氏とH氏が立っていて私をのぞき込んでいる。何か話したようだが、その後はよく覚えていない。

▶翌朝目が覚めると、同室のK氏とH氏は既に風呂に行って寝床は空だった。その後戻って来たH氏と話したが、H氏は昨日の私の行動を覚えていた。おそらくは飲み過ぎていて寝惚けていたのだろうと自分では思っているが、それにしても夢と現実の間をさまよう不思議な草津温泉の体験だった。

▶朝食後は午前10時まで部屋でゆっくりして(※あれだけ飲んで騒げば翌日疲れが残るはね・・)、チェックアウト後は、最高齢のT氏とS氏はバスターミナルで待機するなかで、残りのメンバーは湯畑や西の河原公園を散策する。途中立ち寄った片岡鶴太郎美術館は、思った以上に素晴らしかった。最近の鶴太郎の作品は、とても素人の手になるものとは思えない出来栄えで、氏の芸術的高さを再認識することになった。これはおすすめだ。

▶その後は全員で軽い昼食をとって、午後2時15分に再び「ゆめぐり草津号」に乗りこんで、午後7時に千葉駅に着いた。帰りの車内も空いていたので助かったが、さすがに疲れが出る。ところが、都賀駅まで戻ると、S氏が飲んで帰りたいと言い出したのには驚いた。さすがに私はすぐに帰ったが、本当に恐るべき人達である。

 

 

 

 

朝の散歩で見かける花々

f:id:Mitreya:20260419102539j:image

▶夜中に目が覚めてしまう人は、耳のマッサージをするといいらしい。なんでも耳の周辺には副交感神経が密集していて、ここを刺激するとリラックス効果があるのだとか。ものは試しと昨晩寝る前に耳をマッサージして眠りについたところ、春眠暁を覚えずといった感じで、不思議にも朝5時までぐっすりと眠れたのだから、私も案外騙されやすい性質(たち)の人間のようだ。

▶目覚めの良さというのは大事なことで、普段は7時半くらいまでベッドの中でぐずぐずしているのだが、今朝は6時にスッキリとベッドを出ることができた。そうなると今度は散歩にでも出ようかという気分になってくるからこれも目覚めの良さの効果か。早速身支度を整えて玄関をでた。今日は春らしい天気で、朝日がまぶしい。予報では24~5度まで気温が上昇するようだ。

▶早朝に太陽の光を浴びることは、身体のリズムを整えるのに大変都合がいい。これも聞いた話だが、脳から分泌される睡眠ホルモンの一種であるメラトニンという物質は、朝に光を浴びてから14~5時間後に分泌が始まり、それが夜の眠気をもたらすのだという。人がお天道様に合わせた自然の暮らしをしていた頃は、メラトニンのお蔭で、おそらく午後9時くらいにはみな床についていたのだろう。

f:id:Mitreya:20260419102604j:image

▶この時期に散歩に出て気づくのは、道端に咲く春の花々の美しさである。冬の間は比較的色彩が少なかった家々の庭先には、春の色があふれている。道路沿いの桜並木は既に新緑に変わって久しいが、遅れて咲く八重桜は今が満開で、路上には濃いピンクの花びらが散らばっている。八重桜は花色はあでやかだが、花冠がぼってりと大きいので、ソメイヨシノのような風情がないのが玉にキズだ。何でも大き過ぎるものは風情が少ない。

f:id:Mitreya:20260419102634j:image

▶しばらく歩くと、桜並木はハナミズキの並木に変わる。ハナミズキは、1912年に日本からアメリカに贈った桜の返礼として、1915年にアメリカから日本に贈られた。北米原産の樹で、別名をアメリカヤマボウシという。最近は、街路樹や家の庭先などにもよく植えられている。我家の庭には、ハナミズキの原種であるヤマボウシが植えてあるが、こちらの花はまだ咲いていない。

▶20年くらい前の4月下旬に甲府の温泉に遊びに行ったことがあるが、その時甲府市内に咲いていたハナミズキは、私が今まで見たなかでは一番の美しさだった。機会があればまた行ってみたい。ハナミズキの花の色は白が多いが、最近はピンクのハナミズキも人気がある。花びらのように見えるのは実は「がく」が変化したもので、本当の花は中央部分の小さな黄緑の塊の部分なのだそうだ。

f:id:Mitreya:20260419102726j:image

f:id:Mitreya:20260419102727j:image

▶この時期歩いていて最も目につくのはツツジだ。少なくとも関東地方の周辺の道路際に最も多く植栽されているのもツツジだろう。ツツジは排気ガスや、高温、乾燥、やせた土地にも耐えられる強靭な生命力を持った植物だから、道路際に植栽するには最も適しているのかも知れない。今が花の盛りで、近くの団地内の舗道脇のツツジも満開だ。関東周辺のツツジで有名なのは、館林の「つつじが丘公園」で、こちらも前橋に帰る途中に立ち寄ったことがあるが、素晴らしかった。

f:id:Mitreya:20260419102831j:image

▶公園の芝生の中や道路際に、雑草とは思えないようなオレンジ色の花が咲いているのをよく見かける。見た感じは小さなヒナゲシの花に似ているので以前から気になっていた。今朝も道端でこのオレンジの花を見つけたので、思い切ってグーグルレンズで調べてみたら、ナガミヒナゲシという外来植物であることが分かった。

▶この花は見た目がかわいいので、庭にでも植えたらいいのではと思いがちだが、葉や茎を傷つけると白い液体(アルカロイド)が出てきて、これに触れるとかぶれる怖れがあるので気をつけなければならない。というより、自治体によっては駆除を推奨している植物の一つで、とにかく繁殖力が強いので、我家の周辺でもよく見かけるが、駆除するにも慎重さが必要なのだそうだ。かわいい花には毒がある・・・ことを肝に銘じる。

f:id:Mitreya:20260419102847j:image

▶1時間近く散歩してきて最後に見かけたのが、近所の家の庭先の藤棚に咲いている藤の花だった。毎年咲くので、最盛期には散歩ついでに鑑賞させてもらっているが、今年もキレイな花を咲かせたようだ。藤はツツジと同じく生命力が強く、地下茎やツルを伸ばして生長するので、狭い庭には植えるなという言い伝えもあるが、藤棚に下がる青紫の房花は、とても気品があって私の大好きな花の一つである。

f:id:Mitreya:20260419102903j:image

▶最後は我家の庭先に咲いている芝桜の花。こちらも生命力が強く、手入れ不要で地下茎を延ばして増えるのでモノグサな人には都合がいい。ことしも私の為にあでやかな色の花を咲かせてくれた。我家の庭では、ジューンベリーの花は終わってしまったので、次に咲くのはヤマボウシかヒメシャラとなる。今から楽しみだ。

奥鬼怒・川俣温泉へのドライブ

f:id:Mitreya:20260411134800j:image

▶温泉が好きなので、時々ネットでチェックして、一人でも宿泊できそうな温泉宿を探してブラリと出かけることにしている。よく行くのは上州の四万温泉や南会津の湯之上温泉で、最近は西伊豆や南房総の温泉にも時々行っている。源泉かけ流しの温泉に入ってゆっくり過ごすのが趣味なので、出来るだけこじんまりとした宿に泊まるというのが定番だ。

▶先週もネットで色々探していたところ、栃木の奥鬼怒川に川俣温泉という温泉があることを発見。奥鬼怒川の最深部には、知る人ぞ知る奥鬼怒温泉郷があり、こちらは八丁の湯や加仁湯、手白沢温泉などの秘湯で知られているが、いずれも奥鬼怒川の女夫渕(めおとぶち)の駐車場から山道を徒歩で1時間半近くかかるところにあるので、行くにはそれなりに覚悟がいる。(※但し、八丁の湯と加仁湯は送迎バスあり)

f:id:Mitreya:20260411134836j:image

▶一方、川俣温泉は女夫渕の手前3km程の道路沿いにあり、奥鬼怒温泉郷よりはアクセスが容易だ。こちらは今売り出し中のリブマックス・グループが手掛けている温泉旅館で、今年になってから再オープンしたばかりのもの。写真で見るかぎり部屋や料理内容は立派だが、こじんまりした宿という感じではない。現在は、再オープン記念価格を打ち出してお得感があるので、試しに行ってみることにした。

▶8日(水)の午前7時過ぎにクルマで家を出る。天気は絶好なので、今回は桜の散り際でも見ながらノンビリと下道を行くつもりで、国道16号を春日部まで走ってから国道4号に入った。16号の呼塚付近は渋滞していたが、国道4号のバイパスに入ってからはクルマの流れはいたって順調だ。途中の道の駅で休憩をとり、午前11時過ぎに宇都宮IC近くのいつも立ち寄る餃子専門の食堂で早めの昼食をとった。

▶宇都宮からは日光街道(国道119号線)を走る。街道沿いの桜並木はまだ十分に花は残っていて、桜のトンネルの下を走るのは気分爽快。道は旧道を外れて次第に119号線のバイパスに入ってゆき、七本桜交差点を右折して鬼怒川方面に向かう121号線に入った。121号は南会津までつながっているので、湯之上温泉に行くときにもよく通るのでなじみ深い。

▶鬼怒川温泉を右に見ながら川治温泉の手前で121号を離れる。川俣温泉方面の県道に入るとすぐに鬼怒川を堰き止めた川治ダムが見えてくる。ここから先は、ひたすらに鬼怒川の源流部を目指して山道を上っていくことになるのだが、時折見える道端の桜は満開だ。すれ違うクルマも殆どなく、いたって快適なドライブとなった。

f:id:Mitreya:20260411134935j:image

▶いくつかのトンネルを抜けて1時間ほど走ると眼下に再び湖が見えてくる。鬼怒川が川俣ダムによって堰き止められてできた川俣湖だ。湖にかかる川俣大橋を渡ってすれ違うのも困難な道をさらに走るとようやく目指す川俣温泉が見えてきた。時刻は14時半だったので、その先にある女夫渕まで足を延ばしてみることにした。ここで一般道は行きどまりとなる。

▶川俣温泉は奥鬼怒川の渓流沿いに建てられた7階建ての温泉旅館だった。経営するリブマックスは、不動産とホテル事業を核とする総合不動産企業グループで、自社グループで全て完結できる一貫体制を敷いている。必要機能を残しつつ徹底したコストカットで買収した温泉旅館を再建するのが売りで、川俣温泉以外にも川治温泉や鬼怒川温泉でも、温泉旅館の経営に乗り出している。

▶川俣温泉の建物は必ずしも新しくはないが、メンテナンスが行き届いていて気持ちがいい。部屋は広縁つきの10畳の和室だったが、内部はキレイで、懐石料理付きで1万円ちょっとの価格は再オープン記念とはいえ破格である。窓の下には鬼怒川の渓流が流れていて、周囲は山ばかりの秘湯である。

f:id:Mitreya:20260411135048j:image

f:id:Mitreya:20260411135029j:image

▶早速温泉につかることにした。広い内風呂は私一人だけで、泉質は無色透明の80度近い高温の硫黄泉。湯量豊富なので源泉を掛け流している。渓流沿いに露天風呂があるが、こちらはバスタオル着用の男女混浴となっている。他に客がいないので、渓流の瀬音を聞きながら裸でユックリと入ることができた。

f:id:Mitreya:20260411135115j:image

▶夕食は5時半からレストランで懐石料理をいただいたが、この時間に夕食をとっていたのは私一人で、外国人の給仕が色々面倒をみてくれた。料理は普通の懐石料理で可もなく不可もないといったところだ。現在は本格展開前の状態なので客数は少なく、連休明けくらいから本格化してくるとのことだった。それにしても、こんな山の中の秘湯で、従業員の殆どが外国人というのも驚きだ。

▶夕食後に再度温泉に浸かり、午後8時に就寝。ドライブ、温泉、酒と三拍子揃ったので、その晩はあっと言う間に眠りについた。翌朝は、起きてすぐに露天風呂に行く。渓流を見ながら温泉につかるのは本当に気持ちがよい。8時からの朝食も私一人だった。午前9時にチェックアウト。

▶宿の近くに間欠泉があり、展望台から見えるのだが、噴出は約1時間間隔なので見ることはできなかった。川俣温泉からは日光戦場ヶ原に抜ける約21㎞におよぶ山王林道があり、帰りはそこを通って奥日光に抜けるつもりだったが、残念ながらこの林道は4月下旬まで冬季閉鎖となっていた。しかたないので、来た道を戻ることにする。

f:id:Mitreya:20260411173344j:image

▶鬼怒川沿いを1時間ほど下る途中、霧降高原を通って日光市内に抜ける道を発見した。来るときは全く気づかなかったのだが、クルマをとめてグーグルマップで確認すると、絶景の山岳道路(栗山日光線)とある。時間は十分あるので迷わずこの道に入った。クネクネした2車線のワインディングロードをしばらく走ると突然目の前が開ける。大笹牧場だ。

f:id:Mitreya:20260411135150j:image

f:id:Mitreya:20260411135219j:image

▶戦場ヶ原は知っていたが、奥日光の山間部にこれだけの大牧場が広がっているとは、恥ずかしながら知らなかった。雄大な草原が広がる中を道路が通っているが、すれ違うクルマはほどんどいないので景色を独り占めできるのが嬉しい。峠を目指してひたすらクルマを走らせると着いたのが六方沢展望台だった。ここからは眼下に日光市内を展望できる。今回の小旅行で偶然見つけた貴重な景色だった。

▶その後は道は霧降高原を抜けて日光市内に降りてゆく。日光の社寺は何度も見ているので今回はパス。その後は市内の道の駅で軽く休憩をとってから、再び日光街道の桜並木の下を走り、宇都宮から国道4号に入り、その後は16号で千葉まで一気に戻った。午後4時前に無事帰着したが、往復440㎞のドライブだった。

 

 

 

 

ジューンべリーの白い花

f:id:Mitreya:20260405182335j:image

▶四月になって暖かくなったと思ったら、今日の日中の気温は20度を超えた。曇り空の下、久しぶりに庭先に出ると、我家のジューンベリーの白い花びらが風に舞っていた。フェンス際の道路には、舞い落ちた花びらが風に吹き寄せられて、あちこち所在なさそうにかたまっている。この樹は、毎年6月に枝いっぱいに甘酸っぱい小さな赤い実をつけるのでメジロやヒヨドリなどの野鳥が集まるが、今年も同じように沢山の実をつけて、きっと多くの野鳥を呼んでくれるに違いない。

▶南側の庭先には株立ちのヤマモミジが植えてあり、こちらは鮮やかな新緑が目に心地よい。その隣のシマトネリコは大きく枝を広げているが、成長が早すぎて管理が難しく、植えたのは失敗だった。さらにその隣の株立ちのヒメシャラは、別名が夏椿と呼ばれるように、夏に咲く小さな白い花が可愛らしく、こちらは枝が広がらないので気に入っている。

▶ヒメシャラの隣には大きなシラカシが2本あったが、成長し過ぎたので、2本とも昨年苦労して自分一人で伐採した。現在はその跡が、ポッカリと開いた空間となって雑草に覆われている。昨年はそのシラカシの樹があったおかげで雑草があまり目立たなかったのだが、今年は伐採によって日当たりが良くなったせいか、雑草の伸びがいつにも増して勢いよく見える。

▶伐採したスペースは庭の東南のコーナーにあたるので、通行する人からはフェンス越しに最も目につく場所になっている。しかもその背後にはサンルームが控えているので、多少の目隠しも考慮する必要がある。そこで伐採後は秋の紅葉が美しいドウダンツツジのような低木を植えなおすか、場合によっては成長の早いアジサイでも植えて、道行く人に楽しんでもらおうと思っていた。

▶ところが昨秋のこと、偶然見つけた近くのマンションが気に入ってしまい、あれよあれよという間に、年末には契約まで進んでしまった。この性急な動きは家族や友人たちを驚かせたが、それ以上に自分自身が一番驚いた。ただそうなってみると、次には現在住んでいる家の売却やら、購入したマンションのリフォームや引越しの段取りも考えなければならず、このため庭いじりの計画は吹っ飛んでしまった。

▶そんなこんなで、年が明けてからは庭の手入れなどもまったくおろそかになっていたのだが、このまま放置しておくわけにもいかないので、今日は庭に出て久しぶりに30分ほど草取りをした。手袋をして長靴を履いて、右手には熊手をもち、しゃがみ込んで無心になって草を取った。これはこれで大変な作業なので、一人暮らしの自分にとっては、この庭付きの家を手放す決断は、やはり正しい選択なのだと改めて思う。

▶とは言え、無心になって土や雑草などの自然に向き合いながら草むしりをするのは、始めるのは億劫でも始めてしまえば決して悪い気分ではないし、終わればスッキリして達成感もある。マンションに引越してしまうと、こういった土いじりが全くできなくなってしまうので、いささか寂しい気持ちがするのはその通りだ。それに最初に述べたように、自分が作った庭には愛着もある。本当に引越しをしていいのだろうかとの思いが頭をよぎる。

▶しかしあれもこれもと言い出したら、結局は何もできなくなってしまうのが人の世の常で、何かを得ようとすれば、何かを諦めなければならない。チャンピオンを目指すボクサーが、人並の食事は諦めなければならないのと同様、交通便利で買物や食事にも困らないマンションに住みたいなら、樹々に囲まれた自然と向き合う暮らしは捨てなければならない。

▶最近は終活という言葉が流行りで、年を重ねたら出来るだけシンプルな暮らしを目指すべきだとの意見がある。そのためにはモノの断捨離だけでなく不要なつきあいや人間関係の断捨離も必要だとの意見もある。一人暮らしを続けていると、確かにその通りと思う部分もあるので、私に関して言えば、これまでも身の回りの整理は続けてきているつもりだし、昨年は長年愛用していたバイクも思い切って処分した。

▶ただし、自分のような凡人には、他人からどう見られているかは別にして、何かを究めようと思って何かをスッパリと諦めるというような潔い暮らし方は、現実問題として、到底できそうもない。そうしようと思って努力している部分もなくはないが、成り立たないかもしれぬと分かっていながら、二兎を追う自分がいることにも気づいている。

▶相変わらずアンビバレント(※相反する不安な感情)な思いを抱きつつ、若い頃に好きだった吉田拓郎の「どうしてこんなに悲しいんだろう」の詩ではないが、「やっぱりボクは、人にもまれて、みんなの中で生きるのさ・・・」というのが、この年齢になっても感じている正直な心境なのである。

 

 

戦争のリアルと平和のありがたさ

f:id:Mitreya:20260402074826j:image

▶今日から新年度に入った。と言っても私には何ら関係ないが、それでも日本においては年度が替わるというのは特別な意味があるので、家でブラブラ過ごしている身でも、何か変わったような気がしてくるから不思議なものだ。年度替わりの話題といえば、以前は学校や職場に関係するいたって平和なものが多かったような気がするが、最近は戦争やインフレの話題ばかりで、まったく嫌な世の中になったものである。

▶今朝の読売新聞を見ると、一面の「長距離攻撃無人機導入へ」との見出しが目についた。てっきり中東のことかと思ったら日本のことだった。昨日(31日)には熊本の陸上自衛隊健軍駐屯地に、敵の射程範囲外から攻撃できる長射程のスタンド・オフ・ミサイルが配備されたとの報道もあった。いずれも抑止力を向上させる狙いと言うが、「敵の射程範囲外」というような記述が新聞の一面に平然となされている現状は、よくよく考えればその状況自体がそら恐ろしい。

▶同じ一面に記載されていたのは、もはや驚きはしないが、呆れたとしか言いようのない一連のトランプ発言である。30日には、アメリカはホルムズ海峡の事実上の封鎖が続いても対イランの軍事作戦を終了する用意あると発言。呆れたのは翌31日の発言で、海峡封鎖の影響を受けている国は、自分たちで勇気を出して自力で原油を奪い取れとの暴言を発したのである。一体どういう論理なのか。

f:id:Mitreya:20260402074910j:image

▶そもそも、イランとの外交交渉中の2月28日に勝手に戦争を始めた張本人は、トランプとイスラエルのネタニヤフに外ならない。その結果必然的に引き起こされた海峡封鎖という事象への対応は、戦争を始めたトランプとネタニヤフが自らの責任において処理するのが当たり前で、そんなことは戦争の是非を論ずる以前の、子どもでも分かる理屈だ。そんな勝手な紛争の後始末を、トランプは平気な顔で、海峡に利害を有する関係各国が自分の責任において解決してくれというのだから、呆れてものが言えないというのはこのことだ。

▶もっとも、こんな風に憤るのは、矛盾に満ちた国際政治のリアルを知らない阿呆者だけかも知れない。そもそも善悪や正義・不正義の基準は所詮は相対的なものなので、立場が異なれば変わるのは当然だ。だから絶対的善や絶対的正義というものは空想の産物に外ならない。だとすると、(意外にも?)トランプ自身は、トンチンカンなことを言いつつも、正義はそれがいかな相対的なものとはいえ、自分の側にあると思っているに違いない。

▶18世紀のアメリカ西部開拓民にとって、インディアンは自分達を襲う悪の存在であったが、インディアンからみれば開拓民こそ彼らの土地を奪う悪者であった。一方、現在アメリカはイランを悪の枢軸と呼んでいるが、イランからみればアメリカこそが自分達を不当に攻撃する悪の帝国だという点で、両者は同じ図式にある。

▶そして日本は中国を人権無視の非民主主義国家と呼び、中国は日本を右傾化する軍国主義国家と呼んで、お互い相手を非難し仮想敵国化する。事情はロシアとウクライナにおいても同じで、これはすべての戦争に共通する。これが国際政治のリアルだとすれば、何が正義で何が不正義なのかは誰にも分からず、つまるところ国連中心主義や国際法なども全て無意味ということになるだろう。国連中心主義の日本国憲法を抱える我々にしてみると、いくらなんでもそれはないだろうと思いたいが、実際のところそうなってしまっているのだから恐ろしい。

▶今年に入ってすぐの1月3日、アメリカが突然南米のベネズエラを爆撃し、特殊部隊のデルタ・フォースがカラカス在住のニコラス・マドゥロウ大統領を、妻もろとも拘束してアメリカに拉致した。これは電光石火の作戦だったと言われるが、これが他国の主権侵害による国際法(国連憲章)違反であることは明白である。南米各国やイランの国連大使は、米国の違法行為は国家テロであると非難したが、結局はごまめの歯ぎしりに終わった感がある。

▶アメリカのこのような国際法違反行為は常習化しているが、日本を含め、西側諸国は明確にアメリカの行為を批判することはしていない。一部のマスメディアは、プーチンのウクライナ侵略が国際法違反で、国際司法裁判所はプーチンに対して逮捕状まで出しているなら、トランプのベネズエラ侵略に対して同じようにしないのはダブル・スタンダード(二重基準)だと騒ぐが、屁の突っ張りにもならない。

▶そして、2月28日におけるアメリカとイスラエルによるイランへの攻撃開始である。この戦争が始まって既に一ヶ月が経過するが、ここまで露骨に他国へ先制攻撃が行われ、かつそれが正当化されつつある状況を見ると、あるべき正当な国際秩序とは一体何なのかまったく分からなくなる。

▶しかし、よくよく考えれば、これこそが国際政治のリアルなのであって、そもそもあるべき国際秩序や国際正義などというものは初めから存在しないのであって、今ある姿は、その時々の国際政治力学がもたらした一時的な均衡の結果に過ぎないのである。そう考えれば、決して納得はできないまでも、少なくとも諦めだけはつく。身もふたもない話だが、問題はプーチンでもトランプでもネタニヤフの所業でもないのだ。

f:id:Mitreya:20260402074938j:image

▶今年の東京の桜は3月21日開花した。私は毎年の花見を欠かしたことはないので、28日は友人たちと誘いあって、隅田川の船の上から満開となった桜並木を観賞した。天気もよく、滝廉太郎が作曲した名曲「花」の歌詞そのままの景色が、そのままそこに展開していた。花見クルーズの後は、神田のビアホールでビールを飲んで帰ったが、難しい理屈はともかく、ただただ平和な日本のありがたさを感じた一日だった。

f:id:Mitreya:20260402075304j:image

 

 

 

 

 

東日本大震災の記憶(4)

f:id:Mitreya:20260323131101j:image

▶この年は彼岸過ぎても寒い日が続いた。災害対策を進める傍ら、本業の会社の仕事もおろそかにできない。3月24日は午後1時から経営会議が開かれ、インドの加工センター用の土地取得、オーストラリア石炭権益の扱い、フィリピンの海外投資案件への追加出資の有無などの重要案件について審議する。地震の影響が年度末の決算にどのような影響を与えるのかも心配だった。

▶一方、原発事故に関しては、政府から避難域が拡大変更されるのではないかとの噂が流れてきて、もし事態がそのようになった場合の対応をどうするかが対策本部で議論された。いずれにせよ原発から30㎞以遠の人達については、放射線被害は起きないという政府の発表を信じるしかない。この頃から、水道水に放射性物質が含まれているのではないかとの疑心暗鬼が広がり、ペットボトルのお茶がバカ売れする事態となる。

▶3月28日、東京の靖国神社の桜が開花した。今年の春は遅く、寒い日が続いたが、やはり春はやってくるのだと改めて気づく。福島原発は放水で温度が下がってきたのはいいが、今度は格納容器から高濃度の放射線汚染水がモレ出していることが分かり、これから一体どのくらいの期間、我々は福島原発に悩まされることになるのだろうかと思い、暗澹たる気分となる。

▶3月30日、福島原発の事故が膠着状態となってきたので、私はホテル泊まり込みの原発監視体制を解除し、今後は通常の範囲内で監視を続ける体制に切り替えた。放射線被害への対応は、北関東地域の工場運営やスクラップ取引など業務上も色々な問題を投げかけたが、とにかく一つ一つ丁寧に対応を考えていくしかなかった。

▶翌31日は年度末だった。震災対策に終わりはないが、会社としては一山超えたと言う実感があり、私は経営企画部のメンバー全員を連れて、飲み会に行き、カラオケにも行った。東北の悲惨な状況はもちろん分かっていたが、こうでもしなければいられないというのが正直な気分だった。

▶4月1日午前9時。臨時株主総会が開催され、執行役員だった私は常務に昇任し、新たに取締役に任命された。震災対策のドタバタの中での出来事だっただけに、これについては特に大きな感慨というようなものはなかった。だが当時の日記帳を開くと、将来に対する意気込みが書いてあるので、自分としては、それなりに評価されたことが嬉しかったのかも知れない。

▶震災から一ヶ月経った4月11日午後5時過ぎ。突然つきあげるような揺れが始まった。すわ3月11日の再来かと緊張と恐怖が蘇ってきた。横揺れが激しく建物がギシギシと軋むのは前回と同じだった。この日の揺れは福島では震度6弱を記録する最大の余震だった。これまで余震は実に16000回以上、震度4以上で100回近くも記録されているのだから現地の人は堪らない。

▶幸いなことに、この余震では大きな被害はなかったが、たまたま現地視察に入っていた会社の上層部の人達は、仙台市内で肝を冷やしたようである。現地から再び色々な情報が飛び込んでくる。私は自分も現地に行ってみようと思い、翌々日に仙台行きの航空便が復旧することに合わせ、この便を使って同僚と一緒に現地に向かうこととなった。

f:id:Mitreya:20260323131129j:image

▶4月13日午前10時発の全日空便で仙台空港に向かう。仙台行きのANA便は、JAL便に続く第2便だった。飛行機が仙台空港に近づくにつれて、眼下に海岸沿いの風景が見えてくる。空から見る風景は、まるでアメリカの絨毯爆撃を受けたかのように、家屋という家屋が破壊され尽くされた異様なものだった。テレビ映像では到底伝わらない生々しさに、不覚にも涙が浮かんでくる。

f:id:Mitreya:20260323131220j:image

▶仙台空港の周囲は瓦礫の山だった。到着ロビーの天井際には茶色の横線があったが、それはこの高さまで津波が押し寄せてきたことを我々に教えてくれた。迎えにきてくれた社員の運転するクルマで、ただちに仙台市内に向かう。道端には白ペンキで✖印が書かれたクルマがゴロゴロと転がっているのが見える。全て津波に呑まれて中で人が亡くなったクルマだった。

▶驚くことに仙台市内は平常だった。マグニチュード9の大地震の揺れに仙台市内のビルは殆ど耐え抜いたのである。一方、仙台港から石巻にかけての海沿い地域は、見るも無残な状態だった。仙台港では巨大な船が岸壁の上に乗り上げたままだ。グループ会社の鉄筋棒を製造する工場は、津波で壊滅していた。工場の壁には乗用車が突き刺さっている。

f:id:Mitreya:20260323131256j:image

▶この工場では、工場の2階部分に逃げ遅れた社員が集まって肩を組んで津波に堪えたが、そのまま津波に流された社員もいたと、私の同期入社の社長が話してくれた。しかし驚くなかれ、流された社員は工場の外の電柱に引っかかって命が助かったのだから、人間の運命というのは分からない。クルマで逃げた人は、途中で殆ど津波に呑み込まれたとのことであった。

f:id:Mitreya:20260323132025j:image

▶この後に石巻港を見下ろす高台の公園に行った。ここは当日多くの人達が逃げてきた場所だが、眼下には壊滅した石巻の街が横たわっていた。石巻の市内に入ると、津波に流されずに残った家屋の前で、人々が後片付けをしている。市内にあった営業所に行くと、助かった社員が出てきて震災当日の生々しい話をしてくれた。1000年に一度という大地震と、それによって引き起こされた大津波に生き残った人の話というのは貴重であった。

f:id:Mitreya:20260323132041j:image

▶思えば震災対策に明け暮れた一ヶ月だった。我々は津波によって破壊された街を彷徨うように見て回ったが、改めて自然の持つ破壊力と人間の無力を思わざるを得なかった。石巻を見ながら、果たしてこの街が復興するときがくるのかと思ったのも事実である。だがしかし、それでも人間は立ち上がっていくだろう。そんなことを思いながら私は石巻を後にした。