マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

今年も桜を見ることができました


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▶春は花見、秋は紅葉狩りという定番の行楽を毎年のように繰り返してきて、はてさて一体何年になるだろう。今年は関東地方の開花が昨年より大幅に遅れたため、3月末に計画していた花見は殆ど空振りに終わってしまった。それでも4月の第一週には家の近くの桜も満開になり、私も散歩がてらに今年も桜の花の下を歩くことができた。それにしても、花の下に立ち止まって写真を撮っている人などを見かけたりすると、誰しも桜に対する思いは同じなのかなと思ってしまう。

▶若い時は単純に花の美しさを愛でていたのだろうが、年を重ねて現在のような年齢になってくると、美しさを愛でるというより、桜の花に人生の儚さを重ねるようになってくるから不思議である。伝説の美女と言われた小野小町は「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」と詠んだ。小町も花に我が身の移ろいを見たのだろう。
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▶近くの桜は見たとはいえ、近所の散歩だけでは何となく物足りない気分が残ったのも事実で、思案の挙句、11日は父母の墓参りを兼ねて前橋の珊瑚寺(菩提寺)まで出かけて行った。この寺は境内一面に桜があって、満開から散り際がとりわけ美しい。当日はまさに満開だったが、墓を訪れる人は殆どなく、私は周囲に咲き誇る桜を独占した。近くには道の駅があって、いつもはこちらで花を買ってから墓参りをするのだが、この日はあいにく売店が休日閉鎖だったので、近くの山に生えていた水仙を摘んで父母に供えた。水仙と桜が同時に見られるのも珍しい。

▶墓参りを済ませてから前橋市の中心部まで下りていった。そのまま千葉まで戻ってもよかったが、久しぶりに子どもの頃に行ったことのある敷島公園に行ってみる気になった。この公園は、前橋市の中心部から北西に少し離れた利根川際にあって、県営野球場やボート場などがあり、市民の憩いの場となっている。子どもの頃には遠足に来たり、親戚の従弟たちとボート場でボートを浮かべてよく遊んだものだ。
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▶桜が咲く敷島公園を散策していると、時間が50年前にタイムスリップしそうだった。ボート場に隣接して広大な松林が広がっているが、私がまだ小学校に入る前に、父母と妹と4人で、この松林にピックニックに来たことを思い出した。その時は偶然にも近所に住むお爺さんも自転車で遊びに来ていて、私たちの輪に加わったことを覚えている。どういう訳か我が家にはその時の写真が残っていて、そのスナップ写真の出来栄えはプロ級なのだが、さて一体誰に撮ってもらったのだろう。

▶11日は敷島公園からまっすぐ千葉まで戻った。今年の花見はこれで終わりかと思ったが、実はそうではなかった。週明けの15日の月曜日に、今度は南会津湯野上温泉に行った。ここには気に入った温泉民宿があって、たまたま15日が空いていたので骨休めをするつもりで予約を取っておいたのだった。当日は宇都宮まで東北道で行き、ここで降りてインター近くの餃子専門店で昼食をとってから、会津西街道を使って湯野上温泉まで行った。


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湯野上温泉は、JR湯野上温泉駅の駅舎の桜が有名で、何年か前の4月に妻とここを訪れた時、たまたま満開の桜が散り始めたところで、私たちは桜吹雪の下で写真を撮った。今回行くと、鉄道写真ファンと思しき人たちが、満開の桜を背景に列車の写真を撮ろうと集まっていた。時刻表を見ると、列車が来るのはまだ30分以上も後のことだが、彼らは自分の位置を確保して動かずに待っている。私は早々と宿に引き上げて温泉に入った。

▶翌16日は、ここから70㎞ほど先にある「三春滝桜」を見に行った。この桜は樹齢千年ともいわれる紅シダレ桜で、山梨の「山高神代桜」岐阜の「根尾谷薄墨桜」と並ぶ日本三大桜の一つであるから一見の価値がある。実はここも妻と一度来ているが、その時は残念ながら葉桜だった。今年は満開となったのが10日前後で、14日までは満開が続いたようだが、この日は既に7割方散っていた。ただ滝桜の裏山に咲くソメイヨシノは今まさに満開だった。


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▶樹齢千年と言えば、人間に例えれば何歳くらいだろうか。幹回りが10mはあろうかと思われるシダレ桜だが、何本もの添え木に支えられて、やっと立っているといった風情である。周囲は黄色の菜の花が満開で、背景のソメイヨシノもあでやかであるだけに、僅かに花が残った主役の滝桜の姿が何ともけなげな感じがする。満開であればこんな感じではないだろうと思いつつも、やはり千年の時の流れには抗えない。いずれこの桜も倒れる時がやってくるだろうが、果たしてそれはいつのことだろうか・・・そんなことを思いながら滝桜を後にした。
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▶結局今年も桜を見ることができた。桜はいいものだ。年を取ればとるほど花見の味わいが増してくる。来年もまた見たい、そして見ればきっと昔のことを思い出すだろう。

「さまざまのこと思い出す桜かな 芭蕉