マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

奥入瀬渓流、蔦温泉とアントニオ猪木の墓


f:id:Mitreya:20230718145200j:image
▶7月初旬に青森に行く。目的は八甲田山登山と酸ヶ湯温泉だったが、こちらは7月5日に無事に主峰大岳に登頂し、山麓酸ヶ湯には2泊した。あらかじめ天候の変化も考えて予備日を1日とっておいたので、翌6日は奥入瀬渓流十和田湖まで歩き、その晩は蔦温泉に泊まった。奥入瀬渓流は、2009年8月に妻と歩いているが、この時は蔦温泉には泊まっていない。

蔦温泉は、酸ヶ湯に劣らず青森では有名な温泉で、酸ヶ湯から十和田湖方面に通じる国道103号線沿いにある一軒宿である。泉質は酸ヶ湯とは異なり透明な単純泉だが、なにせ湯舟の下の地層から底板の隙間を通して直接温泉が湧き出してくるという絶好の自噴泉で、温泉好きにはたまらない。
f:id:Mitreya:20230718150110j:image

宿の案内を見ると、ここは明治・大正時代の文人大町桂月がこよなく愛した温泉とあり、大正14年蔦温泉で亡くなった桂月の墓は、今でも蔦温泉のすぐ近くにある。

▶6日は、酸ヶ湯前のバス停から9時15分発のJRバスに乗り込んで、蔦温泉を経由して奥入瀬渓流の入り口である奥入瀬渓流館に10時11分に到着。
f:id:Mitreya:20230718145306j:image

奥入瀬渓流は、十和田湖の子ノ口から流れ出す渓流だが、水源が十和田湖のみなので、どんなに大雨が降っても流量は殆ど変化しない。よって渓流内の岩に樹木が生えるなどの独特の景観が生まれた。
f:id:Mitreya:20230718145235j:image

この渓流に沿って全長14.4㎞の遊歩道が整備されているが、今回は渓流を遡る形で十和田湖の子ノ口まで歩き、そこから15時13分のバスで蔦温泉まで戻る計画だ。

▶さて、渓流館から石ヶ戸までの5.2㎞を1時間半ほどかけて歩いて、昼前に石ヶ戸の休憩所に到着。近くには石ヶ戸の名前の由来となった大岩がある。
f:id:Mitreya:20230718145341j:image

そこから1.5㎞ほど歩いて馬門橋を渡って渓流の反対側に移ると、まもなく渓流を代表する流れが見えてくる。そのダイナミックな光景を称して阿修羅の流れと呼ばれているそうだが、ここでは渓流に向かって一心不乱に絵筆を走らせている画家と思しき人に出会った。文字通り、絵になる光景ではある。現在は一面が緑の世界だが、秋になれば目も覚めるような紅葉の世界に変貌する。
f:id:Mitreya:20230718145408j:image
f:id:Mitreya:20230718145434j:image

▶渓流に沿って国道が走っており、このため途中のバス停で降りて一区間だけ歩く観光客が結構いる。彼らは、ほとんどが中国語を話す団体客である。中国では日本への団体旅行はまだ認められていないハズなので、おそらく台湾の人か。それにしても、奥入瀬にもコロナ後が確実に戻って来ている。渓流の両側に崖が迫っているところがあり、そこからも滝が流れ落ちている。写真を撮っている人を見かけるが、実際写真に撮ると迫力がまったくない。

▶途中休みながら歩き続け、ようやく十和田湖が近づいてくると、突然高さ7m、幅20mの滝が見えてきた。渓流にかかる唯一の滝である銚子大滝である。
f:id:Mitreya:20230718145508j:image

この滝によって、渓流を遡上する魚が止められてしまったので、かつては魚止めの滝と呼ばれたとか。その後どういう訳か、現在の十和田湖には魚がいる。ここから終点の十和田湖子ノ口までは1.5㎞ほどなので、なんとかバスの時刻には間に合いそうだ。そして2時45分に十和田湖に到着。
f:id:Mitreya:20230718145538j:image

十和田湖の子ノ口は強風が吹き荒れていた。渓流を歩いている時は風は殆ど感じなかったのだが、どうも子ノ口は風の通り道になっているようだ。あまりに風が強いので、十和田湖見物もそこそこに、JRバスの待合所の中に逃げ込んだ。待合所は風を避ける人達で混みあっていた。定刻の15時13分に宇樽部からやってきたバスに乗り込み、今度は今歩いてきた道を逆方向に辿る。バス通りは渓流に沿っているので、先ほど見た渓流の景色を窓越しに見直しながら蔦温泉まで戻った。

蔦温泉では、玄関口で意外なものを見つけた。なんとアントニオ猪木の墓が近くにあるという看板だ。昨年亡くなったアントニオ猪木は、大町桂月よろしく蔦温泉を愛し、彼は亡くなるまで頻繁に蔦温泉を訪れていたそうだ。どういう経緯があったのかはよく分からないが、アントニオ猪木家の墓は、大町桂月の墓に並んで立てられている。私はまず温泉に浸かり、その後は火照った身体をさますために、宿の人に聞いて浴衣姿のまま大町桂月と猪木の墓を見に行った。

▶階段を上った先にある桂月の墓は苔むしていたが、その隣には蔦温泉のオーナー家の墓が並んでおり、一番奥の真新しい墓が猪木家のものだった。石塔に、猪木のトレードマークの真紅のマフラーが掛けられていて、墓前には夥しい小銭と飲み物が供えられていた。

f:id:Mitreya:20230718145636j:image
f:id:Mitreya:20230718145613j:image

ただ、後から聞いた話では、猪木自身の遺骨はまだ納骨されておらず、田鶴子夫人の遺骨のみが納骨されているだけのようだ。先妻の倍賞美津子とその娘がこの場所への猪木の納骨に反対しているとのことだが、何となく家庭の事情が透けて見えてきそうだ。

蔦温泉は素晴らしい温泉だった。大町桂月の墓も蔦温泉の風景に溶け込んでいた。しかし、アントニオ猪木家の墓は、蔦温泉のイメージにどうにもそぐわない気がした。そう思うのは私だけだろうか。蔦温泉本館の一角に大町桂月の遺品や業績を顕彰する部屋があったが、その部屋の入口に猪木が寄贈したペルシャ絨毯が敷かれている。近くにはアントニオ猪木の写真も飾ってあるが、桂月とアントニオ猪木の取り合わせは、どうにも似合わない。おそらく桂月自身が一番驚いていることだろう。
f:id:Mitreya:20230718145657j:image

▶その晩は、酸ヶ湯温泉とは違った意味で豪勢な夕食だった。
f:id:Mitreya:20230718150159j:image

私は湯舟の底から自噴する温泉を堪能した。その後は庭でホタルと星空を鑑賞した。泊まった本館の部屋は、年代物の部屋だったが、立派な日本建築の部屋であった。翌朝は、9時にタクシーを呼んでもらい、そこから青森空港まで戻った。本当は定期バスで行くのがベストなのだが、フライトの都合とバスの時刻がどうしても合わないので、仕方なしにタクシーにした。道中、運転手さんと明治35年八甲田山大量遭難事件の話で盛り上がったり、途中の道沿いのブナの原生林の所でタクシーを止めて写真を撮ったりして、これはこれで良い思い出となった。
f:id:Mitreya:20230718145718j:image