マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

ポンペイの悲劇


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ポンペイは、ナポリから東南におおよそ25km程離れた所にある街である。西暦79年、ポンペイから10km程離れた所にあるヴェスヴィオ山が突然大爆発を起こした。降下する火山弾や火山灰の下で人々は逃げ惑ったが、その半日近く後に今度は大規模な火砕流が発生し、一瞬の間にポンペイ全域を呑み込んでしまった。これにより、ポンペイに残っていた人々は全滅。そしてその後も降り積もる火山灰によって、ポンペイは街の全てが埋まってしまったのである。
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ポンペイの悲劇の実相は、大噴火を目撃したローマ人の大プリニウスの甥の小プリニウスタキトゥスに書いた手紙よってかなり詳細に知ることが出来る。一方で、火山灰に完全に埋まってしまったポンペイは、その後次第に人々から忘れさられ、およそ1700年もの間放置されたままの状態となる。

▶このようにポンペイは歴史上から忘れ去られた街であったが、18世紀になって一部の発掘が始まったことからその存在が世界に知られるようになる。そして更なる発掘によって、2千年前の古代ローマ時代の一つの街の生活実態が、あたかもタイムマシンででも見るかのように、現代の世の中に蘇ったのである。奇跡としか言いようがない。そこには当日逃げ遅れて倒れた人の姿までもが、まるで生き写しの人形の如く残っていたのである。
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ポンペイにはナポリからヴェスヴィオ周遊鉄道を利用して行った。予定日が雨の予報だった為、日程を1日ずらした。ポンペイに行った当日は曇りだったが、朝から時折強風が吹くあいにくの天気である。世界遺産でもあるポンペイ遺跡は、夏の観光シーズンなら大変な混雑となるが、オフシーズンのため比較的空いていた。多少のトラブルはあったが、駅前近くにある入場口より午前9時過ぎに無事遺跡に入場することが出来た。
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▶入場直後の印象は、ローマ市内のフォロ・ロマーノのような廃墟のイメージに近い感じがするも、中心部に進むに連れ、あまりにも整然とした古代の街並みが現れたので驚いてしまった。メインとなる通りには、およそ3.5m幅の石畳の車道が走り、その両側の少し高い所に1m弱の歩道が敷設されている。所々に車道を横切るように歩行者用の飛び石が置いてあり、両側には商店や住居が隙間なく続いている。
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▶石畳の車道には馬車がつけた轍の跡が、まるで線路のように残っているのがリアルである。この遺跡では考古学的調査によって、かなりの数の住戸の持ち主が判明しており、商店などは店先に窯やカウンターが設置され、人さえいれば直ぐにでも商売ができそうな雰囲気に、ただ驚くばかりである。
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▶説明書きによるよると、とある商店の店先で主人と思われる遺骨が発見されたが、周りにはコインが大量に散らばっており、おそらく売上金を持ち出そうとして、大火砕流に直撃され、逃げ遅れたのではないかと推測されている。
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▶庶民の住居でも間口に比べて奥行きがあり、水道なども引かれていた。一方、貴族の家は広大で、中庭や壁画に囲まれた多くの部屋がある。公共施設も充実していて、立派な競技場や劇場があるが、庶民が日常的に利用可能な浴場があるのは、ローマと同じである。ポンペイはワインを産する商業都市であり、西暦79年の時点では既にかなり栄えていたことが分かる。
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▶見学をしていて最も衝撃を受けたのが、公衆浴場の一角に展示されている逃げ遅れて倒れた人の人型である。このような人型が何故残っているのかといえば、火砕流で倒れた人の上に火山灰が降り積もり、長い年月の間に閉じ込められた人の身体は分解して失われたが、結果として化石化した周囲だけが残り、それが発掘された。

▶発掘後にその空隙に石膏を流すと、閉じ込め残られた人の身体が生き写しの人形の如く浮かび上がったのである。見るのも痛ましい光景ではあるが、ポンペイではこのような人型が10数体も発見されている。亡くなった当時のままの己の姿が、2千年の歳月を経てこのような形で再現されるようになるとは、あの世の本人もさぞかし驚いていることだろう。

▶広大な遺跡は全て見て回るには広過ぎるのだが、4時間近くかけると大方は見終わったので、最後に街の中心にある神殿跡まで戻った。ここから北方を見ると、何も無かったかのようにヴェスヴィオ山が聳えているのが見える。絶好のポイントなので多くの人がここから写真を撮っている。私もここから写真を撮った。思ったのは、人間の小さな営みに対して、自然の営みが如何に偉大であるかということである。
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▶遺跡の他に秘儀荘という名のヴィラがあって、ここでは貴重なポンペイの壁画を鑑賞出来るのだが、チケットを買ったにもかかわらず自分の間違いで行きそびれてしまった。ガイドブックの書き方が親切ではなく、心残りだったが、今回は諦めてナポリに戻ることにした。列車がナポリに向かって走り出すと、右手の窓からヴェスヴィオ山が見えてくる。

ナポリポンペイはヴェスヴィオ山を挟んで似たような距離にあるので、あの日の噴火の影響が南東方向ではなく北西方向に及んだとすれば、火山灰に埋まったのはポンペイではなく、あるいはナポリだったかも知れない。そんなことを思いながらポンペイを後にした。
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