マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

アッピア街道を歩く


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古代ローマを一言で表現するとしたら、最も相応しい言葉は「全ての道は、ローマに通ず」ではないだろうか。紀元2世紀のハドリアヌス帝の治世の頃には、北はイギリス、東は中東メソポタミア、西はスペイン、南はアフリカのサハラ砂漠以北まで、ローマはその領土を拡大した。ハドリアヌスは実際にその全ての地域に自ら足を運んで政治を行ったが、それを可能にしたのは石畳で整備されたローマ街道があったからである。

▶ローマにとって街道整備の最大の目的は、軍隊の移動の容易さを担保する戦略的なものであり、従ってローマにとっては整備された街道は防衛の生命線であった。それはまさに現代の高速道路に匹敵すると塩野七生は力説する。しかし写真で見るデコボコな道が高速道路とは、少し言い過ぎではないかと云う気持ちも手伝って、かねてよりローマ街道の一つを自分の脚で歩いてみたいと思っていた。

▶ローマの道といえば、やはりアッピア街道である。紀元前4世紀の終わり頃に財務官クラウディウス・アッピウスによってローマから南に伸びるこの街道の建設がはじまり、100年近くかかってイタリア半島南端のプリンディシまで石畳の道路がつながった。全長は580kmもあるが、日本で言えばさしずめ東名高速道路といったところか。

アッピア街道が有名なのは、イエスとペテロが再会した「クオバディス」の逸話があるからだが、これについては既に前回のブログにも書いたので、ここでは省略する。さて行き方であるが、私の場合コロッセオ前のバス停から118番のアッピア街道行きのバスに乗って、ドミネ・クオバディス教会の前で降りた。そこはもうアッピア街道が始まっている。
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▶イエスとペテロが再会したと言われる場所に建設されたクオバディス教会は、予想に反して質素で小さな教会だった。それが本当に歴史的事実かどうかなどと無粋な問を発してはいけない。私は基本的にこの手の話は決して嫌いではない。さながら、青森八甲田山の秘湯の蔦温泉に、アントニオ猪木の墓があるが如く。(例としては不適切か・・)
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▶教会を出て石畳の道を南に向かって歩く。何やら四国遍路を再開した気分である。ここら辺の石畳は、形の同じ10センチ四方の石を規則的に敷き詰めているが、これはローマ市内でもよくある現代風の石畳である。しかし本来のアッピア街道は、大型の不整形の石を隙間なく敷き詰めたもので、道幅は4m以上もあって戦闘用の馬車が走ることが出来た。しかも両側には1m位の歩道がついている。
▶かつては道端に街路樹を植えることは禁止されていた。大きくなった木が根を張って街道を痛めることを嫌ったからである。ローマ帝国が全盛だった頃は、全線に渡ってメンテナンスが行き届いていたので、敷き詰めた石畳の間から草が生えるといったようなことはなかったらしい。塩野七生が高速道路だと言ったのは決して誇張ではなかった。
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※ちなみに、下の写真はその後行ったポンペイ遺跡の競技場の内部通路の敷石の状態です。風雨に晒されていない為か、全く隙間ない石畳が残っています。
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▶現代のローマ近郊とはいえ、アッピア街道の両側には緑の森が広がり、時折広大な牧場のような景色に出くわす。地図を見ると貴族の館跡らしい。かつてはローマの元老院の貴族達はアッピア街道沿いに広大な別荘(ビラ)を所有していたと言われるが、その名残が現代にも続いているのかと思ってしまう。
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▶また所々の道沿いに墓が築かれているが、これもまた当時の金持ちの風習だったようだ。金持ちと言っても貴族ばかりではなく、中には功なり名を遂げた解放奴隷の墓も並んでいて、古代ローマの階層の流動化を感じさせる。
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▶しばらく歩いていると前方からこちらに向かって近づいてくる二人連れの若い女性にすれ違った。私と同じようにアッピア街道の散策を楽しんでいるようだった。
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▶更に歩いていると近くから鐘の音が聞こえてきた。音の方を見ると何と羊の群れである。人は全く見当たらないので、恐らく放し飼いにされている羊なのだろうが、ローマの近郊の長閑な環境に驚くばかりだった。
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コロッセオからフォロ・ロマーノ、そしてアッピア街道と1日の行程としてはいささか強行軍で、この街道を2時間も歩いたらさすがに疲れが出てくる。時刻は午後3時を回った。頃合いを見計らってバス停を探して帰りのバスに乗り込んだ。バスは地元の高校生とおぼしき集団で大にぎわいだった。その後地下鉄に乗り換えローマのテルミニ駅まで戻り、そこからまたバスでアパートメントまで戻った。長い1日だった。