▶ローマに来ていると、時差が原因か年齢のなせる業かは知らぬが、夜中の3時頃に目が覚めてしまい、その後は寝付けない。もっとも近くのリストランテで午後6時頃に夕食を取ってしまうと、疲れと酒のせいですぐに眠たくなる。そして午後9時にはベッドに入ってしまう毎日だから、夜中に目覚めるのは何の不思議もない。
▶今朝(6日)も真夜中に目覚めてしまったので、ベッドの中で今日の行動パターンを考えていた。天候は晴れたり曇ったりだが、にわか雨の可能性もありそう。事前に計画していた目的地で残っている主要なところと言えば、コロッセオ、フォロ・ロマーノ、バチカン美術館、アッピア街道。残り2日では難しい気配だ。バチカン美術館は早朝並ぶしかないが、コロッセオは予約しか方法がない。
▶ものは試しとコロッセオの予約専用のホームページを開いて空き枠の状況を調べた。最近のスマホは画面を自動翻訳してくれるので簡単に目的画面を探すことが出来る。まさか本日の空き枠は無いだろうと思いながら検索すると、9時10分に26人の枠が残っているのを見つけて跳び上がった。良く見たが確かに残っている。
▶通常予約が済んだチケットは自分で紙にプリントするのが一般的だが、プリンターが無いのでこれは無理。更に注意書きを読むとオンライン・チケットと言う手があることが判明。チケット購入後、自分のスマホでオンライン・チケットなるものが実際に使えるのか不安は残ったが、ダメもとで18€支払ってチケットを購入した。
▶直ちにスマホに自動メールが届き、添付されたPDFファイルを開くと、今購入したチケットが表示されているので思わずバンザイしてしまった。これで朝一番のコロッセオが確定し、続いてフォロ・ロマーノにも行ける。うまくすれば午前中に終わるので、午後からはアッピア街道を歩けるかも知れない。すると明日はバチカン美術館に集中できそうだ。
▶以上は全てベッドの中の作業だが、時計を見ると既に午前7時を回っている。早速出かける準備を整え、8時に出発してコロッセオまで歩いて行った。昨日は既にコロッセオの周囲は全て見ているので難なく入口に到着して係りの人にスマホのチケットを表示すると、IDを示せと言う。すぐにパスポートを提示したらパーフェクトと云われて中に入れてもらった。やれやれ。
▶初めてコロッセオの中に入ったが、そこはもう古代ローマ時代である。2000年前にコンクリートと石とレンガでよくもこのような巨大建築物を造ったものだと感心する。しかもそれが21世紀の世の中にこうして残っている(※更に安全に中に入ることが出来る)のは奇跡的だ。一昨年の秋に黒部ダムを見た時に感動したのと同じく、人間の営みの凄さが実感出来る瞬間だった。
▶昔はこの闘技場のアリーナの上で、剣闘士達が血で血を洗う闘いを繰り広げた。アリーナの下は地下部分で、ここには猛獣を隠しておいて、エレベーターで突然アリーナに出現させるといった演出があったようだ。ところで、当時どんな高貴な女性でもコロッセオの高い所からしか見物できない決りがあった。今回同じ場所から見ると、凄惨な闘いの現場からは適度に離れていて、寧ろ具合が良さそうだ。要するにそれは女性に対する配慮の証だったのかも知れない。
▶世界史の授業では、古代ローマは「パンとサーカス」の時代だったと教えられた。これは当時のローマ皇帝の政治姿勢を示す比喩として有名だが、どこか軽薄な否定的なニュアンスを伴っている。しかし今回その解釈は間違いだということが実感できた。
▶パンとは全てのローマ人に一定量の小麦を支給する社会保障政策で、これはローマ法によって定められ、その小麦はシチリアや遠くエジプトからも輸入された。その前提となるのはローマによる平和、すなわち「パクス・ロマーナ」による安全保障であり、それはローマ皇帝の義務でもあったのだ。
▶そしてサーカスとは娯楽の提供のことだが、その為にこれだけの競技場施設を創り上げ、ローマ人に全て無償で開放した。その為の土木建築の技術は、上水道や橋などのインフラの構築に寄与しており、それもまたローマ皇帝の責務だったのだ。
エジプト人はその高い技術で訳の分からないピラミッドを作ったが、ローマ人の作ったものは全て実用的なものばかりである。ハードばかりではない。ソフトも作ったが、その現在につながる最大の遺産は「ローマ法」である。しかしこれはまた別の話。
▶以上は塩野七生の「ローマ人の物語」を読んで感じたことがベースとなっているが、「パンとサーカス」は古代の歴史から現代に通ずる重要なアイテムを我々に提示している。そんなことを思いつつコロッセオを後にして隣接するフォロ・ロマーノに向かった。