マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

バチカンからトレビの泉ヘ


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▶ローマ3日目の火曜日は、ローマ・カトリックの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂の訪問から始まった。本来は月曜に行く予定だったことは既に書いた通り。ここは宿泊しているアパートから2km程の距離なので、日曜の午後一度下見に来ているが、その時は広大な広場を横切るように長大な入場待ちの行列ができているのを見て、驚いた。列の進み具合からして2時間以上は並びそうな気配だったからである。

▶大聖堂が開くのは午前7時からなので、一番乗りすれば何とかなると思い、昨日とは異なり気合いを入れて午前6時半にアパートを出た。朝は早いが、既にクルマの量は多い。ティヴェレ川を超える時に右前方にサンタンジェロ城が見えてきた。この景色は実に絵になる。橋を超えて大きな通りを左折すれば、もうそこは大聖堂に向かう参道である。
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サン・ピエトロ大聖堂は、イエスの一番弟子であったペテロが殉教した場所に、4世紀初めにキリスト教を公認したので有名なコンスタンティヌス帝が建てた聖堂が出発点だ。現在の大聖堂はルネサンス期に何人もの教皇が1世紀以上に亘る時間をかけて再建したもので、建築設計にはイタリアを代表する多くの建築家(ラファエロもその一人)が参加した。最終的に現在ある骨格を造ったのは、誰あろう天才ミケランジェロである。

▶紀元64年にローマで大火が発生した。時の皇帝であったネロは、この大火の原因はキリスト教徒にあるとして、彼らの弾圧に踏みきる。数百人のキリスト教徒が見せしめの為に殺されたと言われるが、その場所はカリギュラ帝が造った大競技場で、現在ある大聖堂は実はその場所に建っている。サン・ピエトロ大聖堂前の広場には巨大なオベリスクが立っているが、このオベリスクカリギュラがエジプトから運ばせたものである。

▶また伝承によると、使徒ペテロはネロの迫害を逃れるためアッピア街道を下る途中、再臨したイエスに遭遇する。この時ペテロが「クオバディス、ドミネ(主よ、何処に行きたもう)」とイエスに問うと、「お前がローマから逃げるなら私自身がローマに行かなけれならない」とイエスに諭され、その言葉に恥じたペテロは自ら引き返して逆さ十字架の刑に服したと言われる。そこに今サン・ピエトロ大聖堂が建っている。

▶この良くできた話は、映画「クオバディス」で語られるが、実は現在も残る旧アッピア街道には、このイエスとペテロが邂逅した場所としてクオバディス教会が建っており、私は昨日アッピア街道を歩いた時、実際にこの教会にも行って来た。なお、これについては別に書く。

▶話があちこちしたが、朝一番で来た甲斐があって、午前7時過ぎには大聖堂に入場することができた。聖堂に入って直ぐ右手にミケランジェロの傑作ピエタ像がある。聖マリアが十字架に架かって亡くなった我が子イエスを抱きかかえている姿なのだが、46年前にこの像を見たとき、そのあまりの素晴らしさに感動して、しばらく動けなかったことがあった。今は昔の話だが、恥ずかしながら芸術的感興に打たれたのは、生涯この時だけだ。
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▶この像は以前は間近に見ることができたのだが、私が初めて見てからしばらく後に不逞の輩によってマリアの鼻が壊されてしまい、このニュースは世界の多くの人を嘆かせた。現在は修復されているが、この事件以降ピエタ像はガラスで囲まれてしまい、残念ながら間近では見ることができなくなってしまっている。それでも今回この像に再開することができたのは私にとっては幸福で、今回の旅の最大目的の一つは達成されたと言っていい。
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▶せっかく空いている大聖堂に入場できたので、チケットを買って聖堂のクーポラ(円屋根)にある展望台に登った。ここは高さが120mもあり、エレベーターを降りてから更に350段もの階段を登らなければならない。それでも登った甲斐があって、ここからのローマ市内の眺めは素晴らしい。ただし、体力がないと、ここはシンドイ。エレベーターを使わずに下から登る猛者もいるが、勧められない。
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▶午前9時頃に大聖堂を出てから裏手のバチカン美術館に向かった。こちらはチケットを持っていない人は購入の為に行列に並ぶ必要があるが、実際に行ってみると既に2時間待ちの行列ができていた。時間の無駄なので他日を期すことにしてバチカンを後にしたが、何度も言うようだがこのあたりの融通が効くのが個人旅行のいいところだろう。

▶次に行ったのはバチカンから歩いて20分程の所にあるアウグストゥス帝廟近くのアラ・パチス(平和の祭壇)。近代的なガラスの建物の中に移されてはいるが、2000年前に第1代皇帝アウグストゥスによって築かれたものをこちらに移しているが、周囲にある浮き彫りにアウグストゥスの家族の姿が残っているのが有名。

▶ローマに来てここを訪問する人が少ないのは地味な遺跡だからだが、私は塩野七生の「ローマ人の物語」のガイドブックを片手に、浮き彫りにあるアウグストゥスの家族を一人づつ確認していった。こんなことに30分も時間を費やす観光客は他にいないが、塩野七生を読んでいると不思議とそんな気になる。傍らでは先生に連れられた中学生くらいと思われる集団が、興味無さそうに先生の話を聞いていた。

▶この日はポポロ広場からスペイン階段、そしてこれもお目当てのトレビの泉を回った。大胆な彫刻で有名なトレビの泉はとんでもない混雑で、泉に近づくのも一苦労の状態だった。この泉の水はしかし水道水ではない。当時ローマには10本以上の上水道が引かれていたが、そのうちの一本は現在でも健在で、トレビの泉の水はこの古代の上水道によって供給されているとか。昔は後ろ向きにコインを投げると再訪できると言われていたが、今どきコインを投げる人は一人も見なかった。
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▶トレビの泉近くのローマでは珍しい中華レストランで軽い昼食を取ってからコロッセオに向かった。近づくにつれてとんでもない大きさのコロッセオが目の前に迫ってくる。チケットを買っていないので当然中には入れないが、何処かにチケット売り場がないかぐるりと一周してみても見つかられない。結局諦めてこの日はもう切り上げてアパートに引き上げることにした。後でネットで調べたが、どうやら当日券は殆ど販売されていないことが判明。さあどうするか・・・・。