マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

令和5年のパリ一人旅(6)

▶気がつけばもう今日は金曜日。今回のパリ滞在も残り少なくなってきた。おかげさまで体調にも変化なく、快適に毎日が過ごせているのはありがたい。毎日ホテルに戻るとこうしてブログを書くが、実質2~3時間もかかってしまうので、窓から遠くに見えるモンマルトルのサクレ・クール寺院を眺めながら、買ったワインをじっくり部屋で飲む時間が取りにくいのが少し残念。そうは言っても、ビールは毎日飲んでいる。乾燥した気候のせいか、日本で飲むより不思議に旨い。

▶今日は、シテ島を抜けてセーヌ川左岸のサンジェルマン・デプレから大学が集中している学生街のカルチェ・ラタンを歩く。昔私が学生だった頃、東京でも学生運動が吹き荒れたが、パリのカルチェ・ラタンの騒動が有名だったので、駿河台近くのデモの時には、皆が神田をカルチェ・ラタンにすると意気込んでいたことを思い出す。これを当時の学生は「神田カルチェ・ラタン」と称したが、まことに懐かしい。

▶左岸に行くにはセーヌ川を渡るが、途中のシテ島を外すことはできない。ここにはフランス革命時に中心的施設の一つとなったコンシェルジュリーやサント・シャペル教会があるが、なんと言っても有名なのは、パリのシンボルでもあるノートルダム大聖堂。しかし、皆さんご存知の通り、このパリのシンボルが、2019年4月15日の火災によって、屋根の殆んどが焼け落ちるという大悲劇が起こったことは記憶に新しい。

▶その大聖堂が今一体どうなっているのかを知ることは、私のパリ旅行の重要な目的の一つでもあった。別にもったいをつけた訳ではないが、その時が今日になった。最初にコンシェルジュリーを見学した後、混んでいたサント・シャペル教会を飛ばして、大聖堂に向かう。
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▶見えてきたのは記憶にある姿だが、聖堂前の広場は、復旧工事の為の壁で完全に閉鎖されてしまっている。良く見ると並んだ2つの塔の後ろにあった尖塔が失くなっている。工事現場を右側に回りこむと、火事の様相が更に分かってくる。
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工事現場の周囲の壁は、ナショナルジオグラフィック誌が復旧の様子をグラフィック化して壁面に展示してあるので、これを見ると悲劇の全体と復旧に向けた試みがよく分かる。但し壁面が砂ホコリで汚れていることと壁面が光を反射する為、写真に上手く写らないのが残念。参考の為、以下に載せておく。屋根が木造であったことがよく分かる。
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▶誰もが最も知りたい復旧時期だが、2024年には尖塔の部分や焼け落ちた屋根も全体が概ね復旧するとのこと。フランス政府も、オリンピックには是非とも間に合わせたい心境だろう。今回の旅の前に色々情報を提供してくれた幼なじみのT氏には(※彼はかつてパリに在住していた)、これをもってお礼方々報告に代えたい。最後にノートルダム大聖堂を見るにはベストポイントとなっている少し上流からのシテ島の写真を載せておきます。我が家には、前回買ったここから見た大聖堂の絵が飾ってあります。
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▶以下、続く。