マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

ローマ人の物語


f:id:Mitreya:20230510072217j:image
▶今年に入ってから塩野七生ローマ人の物語」を読み始めた。単行本で全15巻、文庫本にすると全43巻にもおよぶこの長大な歴史小説は、発行元の新潮社に言わせると「古代ローマ1300年の興亡を描き切った前人未踏の偉業」だそうで、そこまで言われると読まないではいられない。そこで昨年末に文庫本43巻を一括購入して、翌年の令和5年から読み始める計画を立てた。

▶著者の塩野七生(ななみ:女性)は、1937年の東京で生まれで、1970年からはローマ在住で、古代から近世にいたるイタリア関連の歴史小説を多数執筆している。この間、イタリア文化を広く世界へ紹介したことに対する貢献により、イタリア政府から共和国功労勲章(2000年)を授与されており、現在はローマの名誉市民の一人である。その彼女が満を持して書き上げたのが「ローマ人の物語」で、1992年から年1冊のペースで刊行を続け、2006年に単行本全15巻が完結している。
f:id:Mitreya:20230510072236j:image

古代ローマというのは、狼に育てられたと伝わるロムルスとレムスという二人兄弟が、イタリア半島中部にラテン系の都市国家ローマを建国(紀元前753年)したことに始まる。当初の約240年間は古代国家の一般的形態である王制を敷いたが、7代続いた王制は前509年に共和制に変わる。その後アフリカの強国カルタゴとのポエニ戦争に勝利して版図を地中海全域に広げた共和国ローマは、紀元前1世紀半ばには地中海の覇権国家(⇒ローマ帝国)となった。

▶この時、ライバルのポンペイウスを倒して権力を握ったユリウス・カエサル(英語名:ジュリアス・シーザー)は、ローマの共和制の要とも言われる元老院体制を改革するとの名のもとに、実質的な独裁制(帝政)を指向する。しかし紀元前44年3月15日、あくまでも共和制を守りたいとするカシウスやブルータス等によって暗殺される。だが時代の大きな流れは止まらず、カエサルの遺言により後継者指名された養子のオクタビアヌスが結局は実権を握り、紀元前27年、彼は元老院から満場一致でアウグストゥス(=実質的な皇帝)の称号を贈られる。これにより名実ともにローマ帝国における帝政が開始され、その後の地中海および西ヨーロッパ世界におけるパクス・ロマーナ(ローマによる平和)の時代が始まったのである。

▶この連休中は、文庫本で第12巻・13巻を読んだ。両巻ともユリウス・カエサルの事蹟が中心だが、塩野七生は全43巻中、第8巻から第13巻までの6巻にわたってカエサルを中心としたローマ世界のことを書いている。彼女はカエサルのことがよほど好きなようだ。そもそもカエサルという人物は、当代随一の、あるいは歴史上でも指折りの政治家・軍略家であり、キケロと並んで古代ローマを代表する文筆家でもあった。塩野七生ラテン語で書かれたカエサル自筆の「ガリア戦記」の文章を、わざわざ小林秀雄の評論まで引用して絶賛している。

▶一方、ユリウス・カエサルは有名な女たらしで、多くの愛人がいたことが知られており、しかも彼はそれを隠すということがなかった。カエサルを暗殺した一味の一人にマルクス・ブルータスがいるが、彼の母親(セルヴィーリア)はカエサルの終生の愛人でもあった。カエサルはまたローマ以外でも多くの愛人を抱えてはいたが、不思議なことにそれぞれの愛人はもとよりローマ市民も、カエサルの不実を責めるどころか、そのようなカエサルを認めていたというから、男冥利に尽きるとはこのことか。カエサルという男は、それぐらい器量が大きかったようだ、と塩野七生は書いている。

▶しかし何といっても有名なのは、カエサルクレオパトラの話だろう。紀元前48年に三頭政治の一角であるポンペイウスギリシアで撃破したカエサルは、姉弟で内紛中のプトレマイオス朝のエジプトに入る。この時に彼を待ち受けたのが絶世の美女である女王クレオパトラ。塩野はクレオパトラが美女であったかどうかは分からないとしているが、ここは絶世の美女でないと話が盛り上がらない。クレオパトラギリシャ人だったし、さだめしエリザベステイラーのように綺麗だったんでしょうな。カエサルはエジプトでクレオパトラと蜜月の2カ月を過ごし、彼女はカエサルの子ども(後のカエサリオン)を宿す。

▶しかしカエサルクレオパトラに溺れることはなかった・・・というのが塩野七生の見立てで、彼女はクレオパトラには冷ややかではあるが、カエサルに対してはどこまでも好意的である。ちなみに、カエサルが死んだ後、クレオパトラカエサルの右腕だったアントニウスと結婚するが、最終的にはローマの敵としてオクタビアヌスによって滅ぼされる。余談だが、クレオパトラアントニウスの間にできた娘は、その後オクタビアヌスのはからいによってアフリカのマウリタニア王国の王妃となっている。

カエサルの軍事上の功績は多々あるが、ガリア(西ヨーロッパ)の平定とローマ化が一番だろう。ここに現在の西ヨーロッパの起源を見ることができる。カエサルはスペインやフランスはもとより、海峡を隔てたイギリスにも遠征した(紀元前55年)。チャーチルは、イギリスの歴史はカエサルに始まると言っているが、私もかつて訪れたことがあるロンドン近郊のバース(Bath)という街には、ローマ時代の立派な浴場(Bath)の遺跡が残っていて、現在でも48度の温泉がこんこんと湧いており、多くの観光客が訪れている。もっともこの浴場が建設されたのは紀元後43年だとか。温泉もローマ人が発見したそうだ。当時は本当にイギリスもローマの一部だったのである。

カエサルが生きた時代というのは、日本でいえば弥生時代で、お隣の中国では前漢の終わりの頃である。カエサル古代ローマ帝国の境界を設定した。ヨーロッパではライン川以西、中東ではユーフラテス川以西であり、それより東の領域には興味を示さなかった。統治する限界をわきまえていたのだろう。それから200年ほど経ったころ、中国の後漢に初めてローマの存在が伝わったとの記録が残るが、ローマ側には使者を送ったとの記録は見つかっていない。シルクロードが本格的に開通するのは、さらに時代を下ってからである。