マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

来月パリに行ってきます


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▶一人暮らしを始めてもうすぐ4年になる。楽しみの一つは旅行だが、これまでは新型コロナ感染症の影響で殆ど行きたいところに行けなかった・・と言いたいところだが、実際は1年目と2年目は奈良の斑鳩や明日香に3度行き、その後は念願の四国88ヶ所歩き遍路を始めて、1年半の間に50日(往復の日程を含めれば60日)も四国に行ったのだから、まあ総じてみれば出かけた方だろう。コロナにもめげずに出かけられたのは、気ままな一人暮らしのなせる業だが、人間楽しいことをしようと思ったら、多少のリスクには目をつぶらないといけないと言うのが最近の私の信条です。ちなみに、私は今でもバイクでソロツーリングしている。

▶そうは言っても、この間さすがに海外旅行までは行くことはできていない。実は昨年5月に、かなり強引にパリ旅行を計画した経緯があるのだが、直前になって断念した。ウクライナ戦争が勃発したことで欧州行きの飛行機がロシア上空を飛べなくなり、再開の目途が不確実だったことと、仮に飛べても日本に再入国するに際し、厳密なコロナ陰性証明を取得することが義務付けられたため、下手をすると日本に帰って来られなくなる恐れがあったからである。さすがにこれは少しリスクが高すぎる。

▶その後、状況を注視していたところ、欧州フライトはロシア上空を避けた北回りと南回りによって通常運行に入り、今年に入ってからはコロナによる日本の入国規制も段階的に緩和される見通しとなったことから、今回再度パリ旅行にチャレンジすることを決断した次第。時季は、パリが最も美しいと言われる6月初旬とした。幸いなことに航空券の手配は順調に進み、日本でも5月8日からはコロナも2類から5類に変更され、複雑な入国手続きも撤廃されることになったのは何よりありがたい。

▶私はこれまで2回パリに行っている。いずれも妻と一緒だったが、最初は1978年3月の新婚旅行で、この時は妻の手配で市内のインター・コンチネンタルホテルに宿泊した。2度目は還暦を過ぎた2015年8月の旅行だったが、前回からは37年が経過している。この時は、インター・コンチネンタルホテルは高過ぎたので泊まらなかったが、今思えば無理してでも泊まっておくべきだった。ただ幸いにも、パリ在住の妻の友人が市内を案内してくれて、モンマルトルの丘では路上の画家に妻の肖像画を描いてもらったりして楽しい時間を過ごすことができたのは良かった。パリには3日しか滞在しなかったので、仕事を辞めたら今度はゆっくり来ようかと言っていたのだが、約束は永遠に果たせないままとなってしまった。残念きわまりないが、今更それを言っても始まらないか。

▶さて、今回のパリ旅行の楽しみは二つ。一つは美術館巡りである。2015年にもルーブルやオルセー、オランジュリーなどの美術館を訪れたが、本当にじっくり見ようと思えばやや時間が少なかった気がする。今回は自分のペースで好きなだけ見ることができるので、その点では大いに期待がもてる。時間があるので、美術館だけでなく近郊の街にも足を延ばせる可能性があるので、今からプランを立てるのが楽しみだ。そしてもう一つは飛行ルートを探る楽しみである。

▶実は、日本から欧州への飛行ルートは3通りある。ウクライナ戦争が勃発する前、すなわち一昨年までは、シベリアの上空を通過するルートが最短で、かつ飛行機の航続能力にも問題がないので、日本の航空会社は全てこのルートを飛んでいた。私も仕事で何度か欧州に行っているが、ルートはすべてシベリアルートである。一方、今から40年以上前の冷戦が激しかった時代は、現在と同様にソ連上空を飛ぶことができなかった。したがって、欧州に行くにはアンカレッジ経由の北回りか、東南アジア経由の南回りの二つの迂回ルートにせざるを得なかった。

▶私が初めて飛行機に乗ったのは新婚旅行時の日本航空パリ行きのフライトで、この時は夜10時に羽田を出発して北回りルートでパリまで飛んだ。飛行機の航続能力が現在より短かったので、途中給油のためアンカレッジに着陸する必要があり、その後は北極圏を通過してパリまで行くのである。飛行機からは初めて見るアラスカの山々が新鮮で、窓から写真を撮った。北極圏を通過したのは昼間だったが、雲一つない青天が延々と続き、翼の下には真っ白に凍った北極海がよく見えた。夜なら飛行機の窓からきっとオーロラが見えたのではないか。

▶一方、日本航空の欧州線の南回りルートは、アジアの主要都市を点々とつなぎながらヨーロッパまで行くルートで、当時は20時間以上かかる各駅停車の長距離路線だった。結婚前の私の妻は日本航空に勤務していて、一旦この南回りルート勤務にアサインされると3週間くらいは日本に帰国できなかったので、ただ待つ身の私としてはとても大変な思いをした。当時の南回りルートは、東京、香港、バンコクニューデリーテヘラン(カラチ)、ベイルートアテネ、ローマ、パリ(ロンドン)で、乗務員は各都市で交代するため、次の便が到着するまで2~3日は現地滞在を余儀なくされる。ところが現地では一流ホテルに宿泊して、滞在費をもらいながらの観光三昧で、当時の航空会社の社員は、現在では想像もつかぬ身分だったようだ。

▶そして現在の羽田発JAL45便パリ行きのルートだが、行きは北極圏経由の北回りルートで、帰りはなんと南回りルートなのだ。このルートは、地球儀を見ると北半球を一周する世界一周ルートなのである。全日空は往復とも北回りなので、南回りルートを体験できるのは日本航空だけである。しかも現在の南回りルートは、私が一度は行って見たいと思っているシルクロードに重なっている。ウクライナ戦争が終われば、欧州線の北回りと南回りルートは解消されるはずなので、このルートを辿れるのはおそらく今回が最後だろう。ただノンストップなので、途中降機がないのだけが何とも残念だが、行きの北極圏を飛ぶのは夜だから(羽田を午前に出発なので)、オーロラが見えるかも知れない。

▶現在は円安・ユーロ高と降ってわいたような旅行需要の増大で、パリ市内のホテル料金は軒並み高騰している。ホテルの予約はネットで既に済ませたが、レストランの予約はこれからである。せっかく行くなら旨いものも食べたいし、いい酒も飲みたい。そうするとフーテンの寅のような四国遍路の時とは異なり、今回の旅行はかなり物入りになりそうだが、これまで随分と働いてきたことだし、健康で贅沢が楽しめるのも今のうちだけだから・・・まあ、いいっか。