マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

フォロ・ロマーノ


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イタリア半島の文明史は良くは知らないが、歴史に最初に登場するのはエトルリア人のようである。当時のエトルリア人の土木建築の技術レベルは高く、その後に続くローマ文明の多くはエトルリアの影響を大きく受けている。ちなみに、バチカン美術館には、エトルリア人が残した数々の美術の一端が紹介されているのは興味深い。

▶伝説によれば、古代都市国家ローマは、紀元前753年に狼に育てられた双子の兄弟の片割れであるロムルスによって建国された。有名な狼によって乳を与えられるロムルスとレムス兄弟のブロンズ像は、現在カピトリーノ美術館にある。但し先にあったのは雌の狼像で、双子の兄弟の像は、あとから付け加えられたものであることを今回知った。なかなか上手く組み合わせられている。ちなみに、私は46年前の新婚旅行の際に、この像の石膏レプリカをローマで購入したが、幾度かの引っ越しを乗り越えて現在も大切に保管している。
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▶その後古代ローマは次第に勢力を拡大するが、驚くことに紀元前509年に王制から貴族中心の共和制に変わる。日本はまだ縄文時代の末期で、イエス仏陀(お釈迦様)も生まれていない時代のことである。前3世紀になると、ローマではホルテンシウス法が成立して、貴族と平民の力が逆転する民主政治が発展するが、紀元前1世紀の中頃に、ユリウス・カエサル(英語名:ジュリアス・シーザー)が地中海と西ヨーロッパ全体を制覇して権力を握り、古代ローマは実質的に帝政の時代に入って行くのである。
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フォロ・ロマーノは、このカエサルの時代を中心とした古代遺跡のことで、当時のローマのさしずめダウンタウンと言った場所にあった建物群の遺跡である。意外だが古代ローマの中心部は比較的せまく、無理をすれば全て歩ける範囲にある。ローマの地形は起伏に富んでいて、中心部には七つの丘があり、そこは絶好の土地でもあったので、皇帝や貴族の舘もここに集中していた。
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フォロ・ロマーノとは、日本で言えばさしずめ霞ケ関の機能があったパラティーノの丘と、神殿など(靖国神社か)が置かれたカンピドリーオの丘、そして少し離れたエスクィリーノの三つの丘に囲まれた水捌けの良くない低地を再開発して造られていて、この様子は現在コロッセオからヴェネツィア広場を通る大通りから見ると良く分かる・・・とはいささかブラタモリ的な解説となる。
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コロッセオを見学後、隣接するこのフォロ・ロマーノに入って行ったが、この時頼りにしたのが「ローマ人の物語」をベースにした観光ガイドブック。とにかく詳しいのでこれが役にたった。おそらく普通に見学したのでは単なる古代の廃墟を見た印象しか残らないだろうが、塩野七生に案内されている気分で楽しく回ることができた。ここでは46年前に妻の写真を撮ったが、その記憶を頼りに撮影場所を特定することもできた。
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▶写真を撮りながら一通り遺跡を巡り終わった頃、突如空がかき曇り雨が降り出した。その雨は見る見るうちに雹となって土砂降り状態に変わったのだから観光客はたまらない。傘を持たない地元の高校生達は、雹と雨に打たれてずぶ濡れの状態で、一時はどうなることかと緊張が走る。傘を持っていた私も近くにあった建物の下に逃げ込んだ。この騒ぎは10分程で雨が上がったので事なきを得たが、春先のローマ天候はかくの如く変わり易い。
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▶天気が回復したのは良かったが、私はこの時のドタバタで、持参した傘をフォロ・ロマーノのどこかに置き忘れてしまった。大事な傘なので必死に来た道を戻って探したが見つからない。ガイドブックに集中していたせいかも知れないが、情けない話だ。しかし諦めてフォロ・ロマーノを後にした。天気が定まらないので、どこかで傘を買わなければならないが、どうしたものか。