マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

風前の灯火となった四国の遍路宿


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▶四国88ヶ所歩き遍路の旅の第一ステージを終了して、昨晩9時過ぎに千葉の自宅に戻った。アドレナリンが出ているのか、通常の旅行から戻った時の脱力感や倦怠感がほどんないのは、一体どういうことだろう。土産に買った徳島名産のスダチハイボールに絞って飲みながら後片付けをしていたら、突然激しい揺れが起こり、同時に緊急地震速報が鳴動した。千葉直下の震度5地震だった。大した被害がなかったから良かったものの、まったく、世の中、いつ何がおこるか分からない。諸行無常とはこのことだ。

▶さて、第一ステージが終わった遍路旅だが、今回気が付いたことを少し書いてみたい。歩き遍路というのは、四国遍路の基本で、全長1100㎞というのは世界的な巡礼路の一つに位置付けられていると言っても過言ではないだろう。それが証拠に、つい2年前までは、四国の遍路道には外人があふれていた。今回3泊目にお世話になった旅館吉野(※ここは大変おすすめの旅館です)のご主人によると、当時は日によっては全員が外人で、宿には毎日のように外国語がとびかっていたそうだ。

▶現在はどうか。私が泊まった宿は、2泊目の安楽寺の宿坊(※ここは車の客が泊まる)を除くと、歩き遍路をメインとするいわゆる遍路宿となるが、そこにはせいぜい2~3人の宿泊者しかいなかった。一般的に言うと、設備はかなり老朽化している印象で、経営者は総じて年齢が高い。なにより、ガイドブック掲載の遍路宿情報は、最近発行のものでも古くなっていて、泊まった宿の主人などに聞かないと、次に泊まる宿が果たして営業しているかどうか分からない状態なのだ。

▶コロナ感染が激しくなってから、歩き遍路者は激減し、遍路宿はどこもかしこも経営が成り立たなくなった。歩き遍路のバイブルとされている「へんろみち保存協力会編の地図(2019年10月版)」の巻末には、965件の宿が掲載されているが、ビジネスホテルを除けば、おおよそ900件がいわゆる遍路宿と言っていいだろう。その遍路宿が現在バタバタと廃業や閉鎖に追い込まれている。その数は2割や3割ではきかないのではないか。

▶原因は、歩き遍路者の激減と経営者の死亡や高齢化による経営放棄の結果と思われる。場所によって多少の偏りがあるが、特に山奥の札所近くにある遍路宿は、全くどうしようもない状態だ。例えば、「へんろころがし」で名高い12番焼山寺の近傍の鍋岩地区では、数軒あった遍路宿が殆ど全滅した。現在2軒がかろうじて残っているが、一軒は兼業農家で、常時泊まれるかどうかは極めてあやしい。泊まれても、野宿するよりはましという素泊まりに毛が生えた程度の対応しかできない。

▶私が泊まったもう一軒の「すだち荘」は、今年になって高齢の経営者が死亡し、後を継いだのがかつてここを定宿としていた30代と思しき今の経営者で、この9月にやっと開業にこぎつけたという。開業と言っても、食事は希望する人にパックご飯とレトルトカレーを提供するのみで、風呂はなくて、希望する宿泊者には、かなり下った神山温泉の日帰り風呂まで送迎してくれるだけである。要するに宿と言ってもキャンプのようなものである。しかし、これとて一人でよくやっていると思えるほどで、だいたい彼が買い物や温泉への送迎で出かけてしまうと、宿には責任者は誰もいなくなる。

▶大阪人の彼は、11月まではここで毎日頑張って、12月からはここを閉鎖して大阪に帰り、春になったらまたここに戻ると言っているが、果たしてそうなるかどうか。これが四国遍路の代表的名所となっている焼山寺、鍋岩地区の現状だ。焼山寺自身も宿坊を経営しているはずだったが、ここも閉鎖してしまった。かなり離れた神山温泉地区の宿もかなりの廃業が出ているという。仮にもし、鍋岩地区の遍路宿がなくなるとどうなるかと言うと、歩き遍路はここを通れなくなってしまう。もちろん野宿覚悟なら別だが。

▶自動車で来た人は参拝したあと町まで戻ってビジネスホテルに泊まれるが、歩きではそれはできない。四国88ヶ所遍路で難所の一つでも歩いて通れないのが分かると、通し遍路をする意味がなくなり、それは歩き遍路文化の消滅を意味することになる。

▶歩き遍路の激減で、遍路道が極めて荒れた状態になってしまって、場所によっては通れなくなっている場所が出ていることも問題だ。通れないという意味は、崖が崩れたりしているというだけでなく、草が生い茂って、本来の道がまったく見えなくなっているような場所があるということだ。私が通った3番から4番に向かう遍路道(※ここは江戸時代から残る道)でも、とても通れないと思える方向に矢印がついていたりすることが多々あった。

▶このような状況を鑑みると、コロナが終息したからといって、歩き遍路の数が以前のような状態に戻るとはとても思えない。そもそも歩き遍路に対するインフラが崩壊しかかっているのだ。また以前の状態とは言っても、外国人が異国趣味で四国遍路する状況に依存しているようでは、遍路業界の前途は全く覚束ないというか、正直言って「風前の灯火」の状況にあると言わざるを得ない。もちろん、車やバイクで適当に寺院を回る旅が全てなくなることではないが、それは何百年も続いてきた「四国遍路」とは精神的に異質のもののような気がしてならない。

▶私もバイクを愛好していて、かつてはバイクで四国遍路をしようと思った時もあったが、今回「歩き遍路」を試してみて、考えが変わった。すだち荘の経営者は感心にも徳島県を動かして、ふるさと納税の資金を呼び込もうと働きかけをしている。とにかく、自助努力だけで遍路宿が生き残ることはまず困難だろう。

▶昨日帰宅したばかりだが、コロナ感染が治まっても、次に四国に行く時、さらに事情が悪化していたらどうなるのかと考えていたら、妙に頭が冴えてきてしまった。遍路には、やはりアドレナリンを増やす効果があるのだろうか・・・。