マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

「おひとりさま」の飲み会


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▶以前勤めていた会社の人達と、楽しい交際が続いている。私が会社を辞めたのは令和元年6月だから既にそれから3年が経過しているが、3年経っても変わらずに昔の仲間たちとの付き合いが続いており、先日は私の家にそのうちの7人(私以外は全員が現役社員)が集まって楽しい一刻を過ごした。この3年はコロナ禍の期間に重なっており、感染対策上、人と人が直接会うのがとりわけ難しい期間だっただけに、こういった人間関係を変わらずに維持できているというのは、本当にしあわせなことであると実感した。

▶日本の会社というのはありがたいもので、取り立てて意識せずとも、会社に行っているだけで、ある一定の人間関係が自動的に形作られることになっている。もちろんこうした人間関係が全て幸せな関係である訳ではないが、贅沢を言わなければ会社生活の中で孤独や疎外感を感じることは少なく、逆に妙な連帯感が生まれたりする。なにより、会社に行けば給料がもらえるから二重にありがたい・・・と思っている人が多い。

▶何も疑問を持たずにこうした会社人生を過ごして定年を迎えた男性を待っているのは、こんなハズではなかったという突然の疎外感や孤独感・退屈感で、後輩たちからの「たまには会社に顔を出してください」などという言葉を真に受けて会社に行こうものなら、迷惑がられることこの上ない。まあこれは、当然の成り行きといえばそれまでだが、内館牧子はこういう男性が遭遇する悲哀を「終わった人」に面白おかしく書いた。

▶私の場合、会社を辞めたのと長年連れ添った妻を亡くしたのがほぼ同時だったので、問題は一挙に複雑化し困難化したが、今で思うになんとか「終わった人」になることだけは避けられたような気がしている。理由はいくつかあるが、私の場合、勤めていた商社において、プライベートな人間関係を作るに際して常にフラットな関係を作ろうと意識してきたことが大きいと思っている。

▶日本の社会はタテの関係が主体となると言ったのは東大教授の中根千絵で、彼女は漁師の寄合いも東大の教授会も基本的には同じだと喝破した。要するに、日本では何も意識せずとも組織の中(ソトではなくウチ)の人間関係はタテ型になりやすいということだが、これは経験的にあたっている。やっかいなことに、この特徴は男性に顕著なので、男性はグループを作るとタテ型にしたがるようだ。一方、制約のない全くのプライベートな場にタテの関係を持ち込むと、周囲から煙たがられる。こういうことに意識が向かない男性(特に高齢者)は、すぐに物事を仕切りたがるので女性に嫌われると言ったのはジェンダー論が専門の上野千鶴子で、私は彼女の本を読んでナルホドと思ったものだ。

▶亡くなった妻は、60歳を過ぎてから地域のスクウェア・ダンスのサークル活動にのめり込み、人生の最後を充実して過ごした。この時、彼女が言っていたことを今でもよく覚えている。このサークルでは、会の運営を巡って男性陣が対立して大変だった。「私はただ踊るのが楽しいのに、会社でもないのに、なんで男の人はああいう風に仕切りたがるのか不思議でしかたない。あなたも会社を辞めてから気をつけてね」と。

▶私が上野千鶴子の本を読んだのは会社を辞めてからだが、自分が現役で仕事をしているころから、妻に言われるまでもなく、プライベートな関係にタテの関係は極力持ち込まないように意識してきた。私は56歳の時に自動二輪の免許を取得して、もっぱら若い人たちに交じってバイク・ツーリングを楽しんできたが、ツーリングの仲間は、結果として私が最年長だが、基本的にフラットな構造となっている(ハズである)。

▶会社を辞めて1年経った頃から、近所の居酒屋に通い始めた。2年経ってこの店の常連さんと友達になり、定例で千葉市民ゴルフでゴルフを楽しんだり、先月の末には、銚子のゴルフ場に泊りがけでゴルフに出かけた。メンバーは男性中心だが、女性もいる。最高齢のT氏は来年で卒寿を迎えるが、氏も含めて人間関係が極めてフラットなことが心地よい。ちなみに、これを仕切っているのは店の女将であるが、男性は言われるがままで何の問題もない。

▶老人介護施設などでは、女性は仲良く会話を楽しんでいるが、男性の入居者は一人離れてテレビを見ているという図式が一般的だ。上野千鶴子は「おひとりさまの老後」でこれに言及しているが、私も亡くなった母が入居していた施設で同じような光景を目撃している。上野は、だから男は弱みを隠すな、女を見習えと言っている。私も基本的には彼女の意見に賛成だ。

▶私は50代初めまでは、製鉄会社に勤務していた。ここの組織は典型的な男性社会で、当然タテ関係が優先した。私自身、組織内ではリーダー型の社員で、闘争心も人一倍旺盛で自分の生き方に自信をもっていた。50代の半ばになって、結果としてこの会社から子会社の商社に転籍することになったが、これは私にとっては大いなる挫折で、自分の生き方を見直す必要にせまられた。それから10数年が過ぎた。

▶先週末に我が家に集まったのは、この商社時代の私の部下たちで、昼頃に各自が料理を持って集まり、夜までにワインを10本近く空けて、全員で後片付けをしたあと、次回を約束して皆が気分よく帰っていった。この日は金曜日で、私以外の参加者は、部署は異なるが全員が有給休暇をとって参加してくれた。そのうちの二人は、ナント子持ちの女性である。私は自分の人間関係作りが間違っていなかったと確信できて、気分がよかった。