マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

たまには忙しい日々もある・・・


▶四国遍路などを除けば、こんなことは会社生活を終えてから初めてなのだが、先週一週間は珍しく忙しかった。もともとは週の半ばに一泊で松本市を訪問する予定が入っており、これは以前から楽しみにしていたことなのだが、その前の日曜日の夕方に浦安に住む長女から、申し訳けなさそうな電話があった。聞けば孫の保育園がコロナで休園になってしまったので、明日から子守に来てもらえないかとの依頼である。

▶休園は二日で終わるだろうとのことなので、午前中だけという約束で、月曜日と火曜日は孫の相手をすることになった。普段は目覚まし時計など全く必要のない生活であるが、その日は午前5時半に起床し、6時半には車で家を出た。昼過ぎに娘が勤め先から戻ったので、彼女と交代して私は千葉の家まで戻ったが、もうすぐ四歳になる男の子と二人だけで数時間過ごすというのは、皆さん思う以上に大変である。

▶明けて火曜日も同じような日程だったが、この日は娘の旦那が勤め先から戻って私とバトンタッチした。孫も含めて親たちは皆健康なのだが、保育園が休園になるということが正常な社会活動に如何に大きなマイナス影響を与えているのか、しみじみと分かることになった。なにしろ、保育園の休園は、私や親達のみならず、親の勤め先の同僚の皆さんにも仕事上の影響を与えている訳で、これが全国規模で起こっていることを思うと、本当にゾッとする事態なのです。

▶さて、二日間の務めを終えて、水曜日から一泊で松本に行くことになった。この松本への旅行は、3年前に勤めていた会社を辞めた際の親しい後輩(O君)との約束で、それから相当時間が経っているにも関わらず、その後輩が覚えていてくれて私を招待してくれたものだ。松本には、私が現役でいた頃、深く関与していた老舗の会社があり、その会社がこの3月をもって大幅な経営権の交代があるので、それにことつけて私にも声がかかったというのが真相だ。

▶水曜日は、♪ 8時ちょうどのあずさ2号 ♪ ではなく、14時新宿発のあずさ29号に乗った。新幹線を除けば、こうした長距離列車に乗るのは本当に久し振り。思わず売店で缶ビールとつまみを買い、ガラガラのコンパートメントの左側に席を占めた。立川、八王子を過ぎると、列車はあっという間に山の中へ入っていく。窓外に過ぎ去る相模湖を左に眺めながら、冷たい缶ビールを喉に流し込むのだが、これが実に旨い。一人旅も結構いいぞ・・・。

▶列車は笹子トンネルに入った。トンネルが貫く笹子峠は、昔から甲州街道の難所と言われた。しかし現在では、国道20号の笹子トンネル、中央道の笹子トンネル、JRの笹子トンネルの他に、最初に開通した旧道の笹子トンネルも走っているというから、峠の地下は大賑わいだ。加えて、リニア中央新幹線のトンネルもあるようだが、場所は詳しくは知らない。

▶トンネルを抜けると列車は、甲府盆地に入っていく。線路わきには、そこかしこに積雪が残っている。甲府盆地も、こうして眺めると、やはり盆地だ(当たり前)。盆地を東側からの眺めていると、左前方に南アルプスが見えてくる。南アルプスといえば、日本第2位の高峰である北岳甲斐駒ヶ岳が有名だが、私は名前しか知らないので、見ている景色がどの山なのかは分からない。しかし、山塊が連なる様は、雄大である。

小淵沢、茅野、諏訪、塩尻を過ぎれば、もうすぐ終点の松本だ。ビールを飲んだので、少しいい気持ちになったのかも知れぬが、過ぎ去っていく地名に不思議と郷愁を感じる。学生の頃、上高地へ遊びに行く折りに、よくここを通ったことを思い出す。16時39分にやっと松本に到着。それにしても結構時間がかかった。特急なのにね。

松本駅には、もう一人の後輩のM君が改札口で出迎えてくれた。挨拶もそこそこに、関係先の会社のK社長が自ら運転する車で、O君、M君、私と4人で松本浅間温泉に向かった。ここは昔から松本の奥座敷と呼ばれるところで、泊まったのは老舗のホテル玉乃湯。平日だし、コロナ影響もあるのか、館内はガラガラで、温泉も貸し切り状態だったが、こういうホテルに宿泊させてもらうのは、一人身にとってはありがたい。(※一人では、予約が取りにくいのです、本当に。)

▶その晩の食事の席は、旧知の4名で話が盛り上がった。K社長が気を利かせてくれて、若いコンパニオンさんも同席したので、2時間があっという間に過ぎる。コンパニオンさんが帰ったあとも話は終わらず、そのまま席で飲み続けていたら、ホテルのスタッフから、「お客様、時間ですよ」と二度も催促されてしまった。食事のあと、貸し切り状態の温泉にもう一度浸かって部屋に戻ったが、テレビをつけることもなく、いい気持ちですぐに眠ってしまった。

▶翌朝、7時15分に朝食会場に集合すると、O君は既に出発の準備を済ませていた。8時40分の松本発のあずさで東京まで戻って仕事をするのだという。そうか、今日は木曜日だったんだと気が付く。O君は、昨晩はいい気持ちで部屋に備え付けのマッサージチェアの上で眠ってしまい、目を覚ましたら身体が痛くて困ったと言って周囲を笑わせていたが、いかにもO君らしい笑いの取り方だ。

▶せっかく松本まで来たので、二日目は松本城でも見学しようと思い、K氏の運転する車で、松本城まで連れていってもらった。M君と二人で内堀の向こうに聳える黒塗りの天守閣を見ながら、先月放送されたブラタモリ松本城を紹介していたことを思い出して盛り上がる。現在ある松本城の正面大天守と向かって右側の乾小天守は、戦国時代末期に築造されたもので、現存する城郭建築としては極めて古いものであり、国宝に指定されている。
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▶一方、左側の辰巳附櫓と月見櫓は、江戸時代初期に建築されたが、月見櫓は、徳川家光を迎えるためにわざわざ築造されたものだと、ブラタモリで紹介されていた。M君と二人で天守閣内部に入ったが、柱の部材は古いし、階段は驚くほど急で、板敷きの床は冷たく滑り易くいため、安全確保のため階段毎に職員が配置されている。その数は相当の人数だが、階段の昇降では、声掛けしてもらわないと、本当に転落しそうなので、無駄な配置ではなさそうだった。松本城内部には、多くの火縄銃が展示されていた。
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極めて珍しい脇差し形の鉄砲

松本城のあとは、近くにある旧開智学校まで歩いた。こちらも国宝指定されている建物で有名だが、あいにく内部は改装工事のため見学できなかった。時刻は既に11時を回っており、平日に現役のM君を引っ張りまわすのも申し訳けないので、早々に引き上げることにして、松本駅まで送ってもらった。別れの挨拶をしてから昼食のサンドイッチとビールを購入。そして12時10分発のあずさ26号に乗り込んだ。一泊二日ではあったが、久し振りに人情を感じた二日間だった。今回の旅行を企画してくれたO君やM君、それにK社長には大変お世話になり、誠に感謝に堪えない。持つべきものは良い後輩ですね。

▶木曜日の夕方に、千葉の家まで戻った。ところで、二日で終わると思っていた孫の保育園の休園が、実は今週末まで続いていた。そこで私はまたまた翌朝早く、浦安まで行くはめになった。金曜日は、午後から次女一家が住む江戸川の家に、新築祝いを兼ねてお邪魔することが以前から決まっており、そのため午前中は浦安で子守り、午後から次女宅を訪問というハード・スケジュールとなった。

▶土曜日の午後、江戸川の次女宅から戻ったが、今週は本当に色々なことが重なった一週間だった。と、思ってカレンダーを見ると、明日の日曜はホームコースでのゴルフコンペではないか。こちらは本年初のコンペだから外せないためエントリーしていたことを思い出した。やれやれ、と思いながら、毎日が日曜日の状態に慣れている身としては、「たまには」こういった日々が刺激があっていいのかと思ったが、しかし、本当に「たまには」ですけどね・・・。