マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

晩秋の立山黒部アルペンルート


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▶初めて見た黒部ダムの威容は、聞きしに勝るものであった。晴れ渡った晩秋の空の下、高さ186メートルの堰堤の上段からアーチ状に放出される巨大な水しぶきを見ながら、このプロジェクトに携わった人々の不屈の闘志と、7年という歳月の困難、そして殉職者171名という多大なる犠牲を思わざるを得なかった。昭和38年、黒部ダムとその10㎞下流にある発電所が完成したことによって、関西の電力事情は大きく改善され、それがその後の高度成長へとつながっていく。現在ある我々は、間違いなくその後の歴史を生きているのだ。
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黒部ダム建設の困難さは、その立地条件にある。北アルプスの最深部に南北に3000m級の山々が並列する立山連峰後立山連峰。その狭間にある黒部峡谷は、古くから立ち入る者を寄せ付けない人跡未踏の地だった。その深い峡谷には、北アルプスに降った雪や水を集めて日本海まで流れる黒部川が走っているが、その水量は極めて豊富で、もしここにダムと発電所を建設することができれば、将来に亘って巨大な電力資源を確保することができる。

▶ダム建設の構想自体は、昭和初期からあったようだが、建設に必要とされる膨大な量の鉄やコンクリート等の資材を、いかにして人跡未踏の峡谷に運び入れるかが、当時から大きな課題であった。昭和31年(1956年)、関西電力は社長の太田垣士郎のリーダシップのもと、社運をかけたこの大建設を敢行することになる。成功のカギを握るのは、資材を運ぶための2本のトンネルである。一つは長野県大町から後立山連峰の赤岳を貫いて黒部峡谷に至るルート(大町トンネル=通称関電トンネル)であり、もう一つは、富山県側の立山室堂から立山連邦の主峰雄山の直下を貫いて黒部峡谷(現在の大観峰)に出るルートである。

▶トンネルの掘削で難関とされるのは、突如として現れる破砕帯と称する軟弱地帯で、ここをいかに抜けるかが問題である。特に困難が予想されるのは、そこから湧き出る大量の水への対応である。大町トンネルの予定ルートには、糸魚川・静岡線とよばれる大断層(フォッサマグナ)が通っており、トンネルを掘り進めれば、いずれはこの大断層を横切らなければならない。

▶世紀の難工事と言われたこの大町トンネルの掘削は、実際は熊谷組が担当した。俳優の石原裕次郎は、この工事を題材に、映画「黒部の太陽」を自ら制作した。私はこの「黒部の太陽」を見たことがあるが、水が湧き出る破砕帯を突破するシーンは、この映画のクライマックスとなっている。ちなみに、この映画は石原プロが倒産したので、長いことお蔵入りで見る機会がなかった。しかし、どういう具合か最近見ることができるようになったのは、有難いことである。

▶さて、前日泊まった白馬村の民宿(雪の荘)を後にした友人二人と私は、午前10時過ぎに信濃大町まで電車で戻った。ここから立山黒部アルペンルートを使って黒部ダムへ向かう。まず駅前のバス停からバスで40分かけて扇沢に到着。ここから、いきなり6.1㎞の関電トンネルが始まる。扇沢のステーションから、最新の電気バスに乗り込んだ。定刻になると乗客を乗せた何台もの電気バスが一斉に走り出す。トンネル内は、バスが一台やっと通れる狭さである。

▶しばらく走ると、前方のトンネル内の照明がブルーに変わり始めた。「これから破砕帯に入ります」という社内放送が流れる。ここが、後立山連峰赤岳直下の破砕帯で、大量の水が噴き出したところなのかとの思いが走る。破砕帯の長さは80mで、実際は、ここを突破するのに7ヶ月の期間を要したとのことだが、バスの中の我々は、わずか10数秒でここを抜ける。バスは走り出して16分ほどで、目的地の黒部ダムの地下ステーションに到着した。

▶ここから長い階段を上っていくと、突然黒部ダム脇の展望台に出た。ああこれが黒部ダムなのかという何とも言葉にならない感情に包まれる。友人の一人は高所恐怖症で、手すりから下を覗くことができないが、もう一人は持参したカメラを片手に嬉々として写真を撮っている。11月の黒部は既にシーズンオフなのか、観光客の数は少ない。おそらく、夏のシーズンには、コロナにもかかわらず、ここを数多の観光客が訪れたことだろう。
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黒部ダムの堰堤近くにレストハウスがあり、こちらで昼食。ここのお目当ては、ダムカレーで、カレーの盛り付けが黒部ダムの姿を模している。

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食事を早々に切り上げてから、高所恐怖症の一人を残して、私ともう一人の友人は放水観覧ステージや新設の展望台まで降りた。その後は、三人で黒部ダムの堰堤を歩いて渡ったが、ダムの放水によって吹き上げられた水しぶきが堰堤の上に降りそそぎ、まるで夕立のような様であった。堰堤の下を覗くと、虹がかかっている。
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▶ダムの反対側から地下ケーブルカーが出ている。373mの標高差を一気に登ると黒部平に到着。ここから今度はロープウェイに乗り換えて、さらに登っていく。高度を上げるにつれて、振り返ると後立山連峰の威容が広がり、眼下には先ほど見た黒部湖が小さく見える。

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7分で大観峰とよばれるステーションに到着。ここは標高2316mで、富山から見た立山連峰のまだ裏側である。標高の為かかなり寒い。そして、ここから再び地下トンネルをトロリーバスで抜けていく。

▶このトンネルは、長さ3.7㎞で、関電トンネルと同時に掘られた立山側のトンネルであるが、こちらも破砕帯があって工事は難航したとのこと。このトンネルの終点は、立山室堂で、なんと我々が宿泊予定の立山ホテルは、このトンネルの地下ステーションの真上に位置している。地下ステーションからつながる階段を上った先のドアをあけると、そこがホテルのエントランスであった。

立山ホテルは、立山連峰の主峰雄山の直下にあるカールと呼ばれる氷河地形の中心部に位置している。泊まったホテルの部屋は東向きで、正面間近に立山連峰が聳えているのが見える。我々が今通ってきたトンネルは、この正面の山の地下をブチ抜いてここまで届いていることになる。なんと便利なところにあるホテルであることよ。しかし、周囲は既に雪景色であった。
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▶11月の立山ホテルは比較的空いていた。夕食が終わってから、支配人からスライドを使って室堂周辺の見どころの説明を受ける。ホテルの標高が2450mの高地なため気圧が平地の四分の三しかないので、高山病には気をつけるように言われる。確かに、階段を上ると息が切れるような気がしたが・・・・気のせいか。その後、名物の星空観望会に参加するも、あいにくの月明かりのため、期待したほどの星空が見えなかったのは残念であった。


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▶翌朝は、富山方面に下る始発のバスが午前10時なので、それまで雪の室堂を散策。そこからバスで天狗平・弥陀ヶ原を経て美女平まで下りる。ここで今度は立山ケーブルカーで標高差500mを下りると、富山地方鉄道立山駅に到着。乗り継ぎが悪く、電車も各停なので、ここからJR富山駅までたどりつくのに2時間近くかかった。友人の一人は、観光県である富山県知事に文句を言ってやると悪態をついた。

▶この友人は富山駅近くの寿司屋で、富山湾寿司を食べて帰るというので一人残ったが、当日の夕方に予定のあった私と茨城まで帰るもう一人の友人は、13時20分発の北陸新幹線に飛び乗って東京まで戻った。私が千葉まで戻ったのは結局夕方5時前だった。しかし、良い旅ができた。一緒に行ってくれた友人達に感謝することしきりである。