マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

節分に映画「第三の男」を観る


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▶節分の昨日は、一日中陽射しが届かず、寒い一日だった。それでも午前中は、家事を済ませてから買い物に出かけ、帰りがけに桜木霊園にある妻の墓参りに行ってきた。千葉市の中心からほど近い所にあるこの広大な霊園は、歴史が古い。園内の道路沿いにはカイズカイブキや桜の古木が立ち並んでおり、曇った冬空の下、広大な霊園を訪れる人はまばらで、ただ寒々とした冬景色ばかりが妙に印象的だった・・・。

▶午前中にやるべきことが殆ど片付いたので、午後はゆっくりと自宅の居間で自分の時間を過ごすことにする。読みかけの本はあるが、たまには昔の映画でも見ようかと思いアマゾン・プライムビデオをサーチしていたら、「第三の男」を見つけた。実はこの映画は既に一度見ており書棚にはDVDもあるのだが、アントン・カラスの有名な音楽や印象的だったラストシーンは思い出せても、物語の展開そのものがよく思い出せない。ということで今回もう一度見ることに。

▶見終わった感想だが、暗闇と光のコントラストが強調されたモノクロの映像に、民族楽器チターの演奏による音楽が見事に調和していたし、ストーリー展開もスリルとサスペンスにあふれていた。さすがに第一級の映画と言われるだけのことはあると感じた次第。この映画における第三の男オーソン・ウェルズは、登場シーンは決して多くはないのだが、映画の全編にわたってその存在と不在が通奏低音のように意識されており、それが彼の抜群の存在感につながっている。とりわけ彼が最初に登場するシーンでは、画面に切り取られた一瞬のその表情こそが、この映画を象徴するものと言っても過言ではないだろう。改めて俳優オーソン・ウェルズの力量の並々ならぬものを感じる。

▶映画が作られたのは1949年。監督はキャロル・リード。舞台となっているのは第二次大戦終了後に米英仏ソの四ヶ国によって共同統治されているウィーン。主人公のアメリカ人の売れない三文小説家のホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)は、親友のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)のまねきでウィーンにやってくる。しかし、到着してみるとハリーは自動車事故で死んでいて、物語はハリーの葬式から始まる。

▶ハリーの死因に不審を抱いたホリーは、ウィーン警察を管轄する英国のキャロウェイ少佐に真相究明の依頼をするが、逆に首を突っ込まずにアメリカへ帰れと警告される。ハリーは、軍から横流しされたペニシリンに水を混ぜた偽薬を製造・販売することで、多数の犠牲者が出るのもかまわず大儲けを企む悪党だった。ハリーには彼の死を悲しむ恋人である女優のアンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)がいて、ホリーはアンナとともにハリーの事故死の真相をさぐるが、その過程で、事故現場に第三の男がいたことが判明する。

▶実はハリー・ライムは生きていた。殺されたのは彼の身代わりの男だった。悪党ではあるが親友のハリーを案ずるホリーは、公園の観覧車でハリーと会う。しかし、ハリーからは、お前を仲間に入れてやってもいいと逆に誘われる。親友への信頼と正義の板挟みに悩んだホリーはアメリカへ帰国することも考えるが、キャロウェイ少佐の説得でハリー逮捕に協力することに。一方、あくまでもハリーを愛するアンナからは親友を売った男として軽蔑の眼を向けられることになる。

▶ホリーの協力により警察に囲まれたハリーは、ウィーン市内の下水道を伝って逃走するが、最終的にホリーが撃った銃弾によって死亡する。ラストシーンは、ハリーの本当の葬式の場面。葬式で始まり葬式で終わる演出がまことににくい。葬式が終わって引き上げるホリーは、冬枯れのウィーン中央墓地の並木道をまっすぐ歩いて戻るアンナを道端で待ち受けるのだが、アンナは黙ったままホリーの前を通り過ぎてゆくのだった。
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▶このラストシーンはなんとも印象的で、原作では最終的にアンナはホリーとアメリカに行くことになっているのを、監督のキャロル・リードが、それではあまりにも底が浅すぎるといって変更したらしい。確かに、変更したことで女の情念の深さとアンナ役のアリダ・ヴァリの冷たい美しさが一層際立った。アリダ・ヴァリは、なんとなくイングリッド・バーグマンに面影が似ているので好きな女優だが、そう言えば、カサブランカのラストシーンも別れのシーンだった・・・。

▶ラストシーンに加えてもう一つ印象的だったのは、観覧車の中でのハリーとホリーの会話。悪党のハリーは、観覧車から下に小さく動く人々を見ながら、彼らの中の何人かが(死んで)動かなくなったって、大した問題ではないとうそぶくのだが、そのあとに続くのがオーソン・ウェルズらしい皮肉のきいた名セリフだ。

▶「イタリアは、ボルジア家支配による戦争と虐殺の血生臭い30年間に、ミケランジェロやダビンチのルネサンスを生み出した。しかし、スイスはどうだ。同胞愛に満ちた民主主義と平和の500年間に、一体何を生み出したというのか。鳩時計だけだ」と。娯楽映画だから許されるセリフだが、悪人なりの理屈と人間の業の深さを表しているようで面白い。しかし、スイス人は面白くないだろうね。

▶映画では、第三の男とはハリー・ライムということになっている。しかし、もともと英国のキャロウェイ少佐が追いかけていたウィーンのハリー事件に突如首を突っ込んできたアメリカ人のホリー。そして彼はまたハリーとアンナの関係にも介入し結局は失恋するのだが、ジョゼフ・コットン演ずるイケメンのホリー・マーチンは、主人公にも関わらずどうみても第三者的だ。とすると、第三の男とは、ホリーのことだったのかと思いたくもなるが、いかがだろうか。この映画を見たことのある皆さんの意見を聞きたい。

▶さて、こうして冬枯れの節分の日は、墓参りに行き、「第三の男」を鑑賞し、おでんを作り、風呂に焚いて入り、スーパーで購入した恵方巻を食べて終わったのでした。