マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

西田佐知子を聴きながら


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▶年が明けて2週間近く経つが、関東地方では、ここのところ穏やかな冬晴れの日々が続いている。降り続く雪に悪戦苦闘している雪国の人々や、戦禍に追われ寒さに苦しむウクライナの人々のことを思うと何だか申し訳ない気持ちが先に立つが、一方でこうして平和で穏やかな環境で暮らせることの有難さを改めて感じざるを得ない。まったく人の世の幸や不幸というものは、計りがたいものだ。

▶10日の午後は、日本橋の越前ソバ屋で、昔の会社の大先輩を囲む新年会があった。昼からこのソバ屋の奥に陣取って、あいも変わらぬ昔話を楽しみながら、各自手酌で酒を飲んだ。周囲はランチに訪れたサラリーマンが、こんなところで昼の日中から酒を飲むのはいかがなものかと言うような顔をして黙々とソバを食べていたが、そんなことにはお構いなしで、午後2時過ぎまでシッカリ酒を飲んだ。リタイアするとこういうところが強い。

▶大先輩を送り出してから、八重洲の地下街で再び酒を飲んだが、時間も早かったし、勢いもついてしまったので、こちらはご愛嬌。その後再開を約してメンバーと別れた。家に戻ったのは午後5時過ぎで、少し腹が減ってきたのでウドンを作って食べたが、夕食はこれで終わり。いい具合に眠気が襲ってきたが、時刻はまだ午後7時なのでさすがにベッドに入るのはためらわれる。なんとか9時までは時間をつないでから寝る。

▶目が覚めると深夜0時過ぎで、頭にアルコールが少し残っている。再び眠りについて次に目が覚めたのは午前3時過ぎ。酔いは完全に醒めたが、今度はなかなか眠れないのでNHKラジオをつける。すると、懐かしい西田佐知子の歌声が流れだした。「アカシアの雨がやむとき」である。

♫アカシアの雨に打たれて、このまま死んでしまいたい・・・夜が明ける日が昇る、朝の光のその中で、冷たくなった私を見つけてあの人は、涙を流してくれるでしょうか♫ 

▶私は西田佐知子の、透明ではあるが何故か曇りガラスの向こうから聞こえてくるような、哀愁味と大人の雰囲気がある歌声が大好きである。歌声には、人の気持ちを揺さぶり高ぶらせるものと、気持ちを静め落ち着かせるものがあるとするなら、彼女の声は間違いなく後者の部類に属するだろう。だから眠れぬ夜に一人目をつぶって何も考えることなく過ごすときには、彼女の歌声に慰められる。

▶西田佐知子は、私より15歳も上なので、彼女の歌が流行った時は私はまだ子どもだった。しかし不思議に「アカシアの雨がやむとき」や「エリカの花散る時」「コーヒールンバ」「ウナセラディ・東京」「東京ブルース」「赤坂の夜は更け行く」「女の意地」などの大人の歌に引かれた。「ウナセラディ・東京」や「赤坂の夜は更け行く」は他の歌手との競作でレコードを発表しているが、私の感性では、西田佐知子の歌が一番いい。

▶昭和46年、彼女は年下だったタレント関口宏(現在サンデーモーニングのMC)と結婚し、事実上引退した。その後あまたの流行歌手が誕生したが、西田佐知子のような上質な大人の雰囲気(そして決して退廃的でない)を持ち合わせた女性歌手は現れていない。ユーミン中島みゆきは別の意味で時代を画したが、彼女たちに女性の自立やフェミニズム的感性を感じることはあっても、大人の女性を感じることはなかった。ただ、声の質だけでいえば、中島みゆきは西田佐知子に似ている。山本潤子は、声は好きだが、透明過ぎて中性的な感じだし、中島みゆきをカバーした研ナオコは、歌声はいいし雰囲気もあるが、なによりイメージがコミカル過ぎるのが玉にキズ。

▶番組は、西田が昭和54年に菊正宗のCMソングとして歌った歌を改題した「初めての町で」を最後に終わった。菊正宗は辛口で、私も普段から愛飲している酒であるが、聴きながら私は、昨日の新年会の席で、最近の大吟醸は飲みごたえがないので(※それに高くて普段では飲めません)、「やっぱり俺は菊正宗」と言って皆さんから大方の賛同を得たことを思い出し、ベッドの中で一人笑いをした。

▶ということで、その夜の未明は、西田佐知子を聴きながら再び眠りに落ちていった。たまにはこういう夜も悪くない。
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