マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な60代「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(4ー4)

足摺岬の38番金剛福寺から39番延光寺までは60㎞以上あるので、この間に少なくとも2泊はしなければならない。今日は、足摺半島の西側の海岸線をなぞるように歩いて、土佐清水市の竜串(たつくし)に泊まった。

▶今回の遍路旅は、火曜日の出だしから雨天続きだったが、5日目にしてとうとう天気が快復した。足摺岬を出発した時は曇り空だったが、時が経つにつれて、太陽が雲間から顔を出すようになった。左側に雄大な海を見ながら歩くが、この海の先には九州がある(もちろん陸地の影は見えないのだが)はずだと思うと、はるばると来たものだと思う。

足摺岬から1時間ほど歩くと中浜という漁村が左下側に見えてくる。中浜万次郎と聞いて、すぐその人となりを思い浮かべられる人は相当のものだ。江戸末期の1827年にこの漁村で生まれた万次郎は、14歳の時に乗り込んだ漁船が遭難・漂流し、他の4人と命からがらたどり着いたのが、太平洋の孤島の鳥島だ。

▶ここで143日間を生き抜いて、たまたま通りかかったアメリカの捕鯨船に救助された。その後はアメリカに渡って勉学を重ね、25歳の時に沖縄経由で故郷の足摺の中浜の地に戻って母親に再会したという。その後彼は持ち前の英語力とアメリカ仕込みの科学技術の知見を生かして出世する。勝海舟坂本龍馬とも交友した。最後は旧開成学校(現東京大学)の教授にもなった。

▶ということで、中浜万次郎、改めジョン万次郎の復元された生家を訪問した。

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生家前の路地に、近所のおじいさんが陣取っていたので、挨拶した。もちろん、万次郎とは関係なさそう。6畳2間に台所付きといった所に5人の兄弟と暮らしていたとか。ちなみに、私自身も同じような長屋で生まれ育ったので、その辺りの事情は十分想像がつきます。

▶今回歩いた足摺はジョン万次郎だらけで、足摺半島の西岸を走る県道27号線は、ジョンマン・ロードと名付けられている。歩いていると「ジョン万次郎をNHK大河ドラマ化に」の看板が目につく。地元の力の入れようは並みでない。まあ、脚本次第で意外と面白いかもしれませんが・・・。下の写真は、竜串の手前にあるジョン万次郎資料館の広場の像。晴れていて気持ちがいい。


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▶ところで、今日の遍路行の白眉は、宿泊地の竜串海岸だ。私はこのような地形が日本にあったとは初めて知ったが、3時過ぎに宿に到着後、そこのマスターに教えられて、ホテルの前に広がる奇景を見に行った。それが下の写真。

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▶3000万年前の砂岩の地層が波に侵食された結果できあがったとされる地形だが、ブラタモリも腰を抜かす奇景だ。理屈抜きで面白く、写真を撮るのに気を取られて、危うく転倒しそうになる。後で聞いたら年に一度は救急車騒ぎがあるそうだ。たまたま天気は晴れわたり、海の状況は最高で、なんだか貴重なご褒美をもらった気分だった。これだから遍路はやめられない。