マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

令和6年能登半島地震に思う


f:id:Mitreya:20240131185424j:image
▶2011年3月11日に起きた東日本大震災の対応で、ひと月ほど気忙しい日々が続いたが、それも一段落したその年の5月の連休に、妻を伴いクルマで北陸旅行に行った。当時、五木寛之の「百寺巡礼・北陸編」を読み終わったところだったので、そこに紹介されている十の寺のうち、阿岸本誓寺・妙成寺・那谷寺・瑞龍寺の四寺を訪れることを中心に計画をたてたのである。

▶5月4日は松本で高速を降りて国道158号線から国道41号を経て富山市内に入り、最初に瑞龍寺に行くもあいにく境内に入れず、その晩は富山市内に一泊した。翌5日は、朝早くに富山城址を散策してから北前船廻船問屋の旧家を見学、高岡大仏に立ち寄ってから昨日の瑞龍寺を改めて参拝。その後は、たまたま見つけた砺波のチューリップ園に立ち寄り、五箇山の合掌造りを見て志賀原発に近い羽咋まで走り、予約していたペンションに無事到着した。幸いにも天気は申し分のない絶好の観光日和だった。

▶そして6日は能登半島を一周する。まずは羽咋に近い妙成寺に行く。こちらは城のような作りの大寺で、能登の七尾に生まれた長谷川等伯(※国宝の松林図屏風が超有名)が無名だったころの絵画がこの寺に残っている。この寺を出て海岸線を北上すると、松本清張ゼロの焦点で有名な能登金剛の景勝地がある。私たちは、ここではクルーズ船に乗って海から奇岩を鑑賞してから、次の阿岸本誓寺に向かった。

▶輪島の阿岸本誓寺は真宗大谷派の寺だが、その茅葺の本堂がさびさびとした雰囲気を醸し出していて、いかにも奥能登の寺であるという感じがする。五木は北陸の寺の一番目にこの寺を挙げているが、なんとなくうなづける。そしてこの寺を出て輪島市内に向かう途中に曹洞宗大本山總持寺祖院を見つけた。この寺は何故か五木の百寺巡礼には取り上げられていないが、北陸を代表する名刹の一つである。この總持寺祖院は、横浜鶴見にある大本山總持寺に本山機能が移されるまでは永平寺と並ぶ曹洞宗大本山であったが、現在は鶴見總持寺の別院として祖院と呼ばれている。

▶2007年3月25日午前9時41分、能登半島沖を震源とするマグニチュード6.9の地震がこの地域を襲い、能登半島を中心に甚大な被害が発生した。この辺りはそれまで地震の空白地域とされていたが、突然の大地震に、全壊住宅が609棟、半壊1368棟のほか、地滑りや崖崩れが多発し、輪島の總持寺にも大きな被害があった。私たちが訪れた2011年当時、總持寺の本堂は、まだ修理が終わっていない状況だったのである。

▶その後私たちは、總持寺を出て輪島市内の朝市を見学。その後海岸沿いの国道249号線を走って珠洲市に入り、そこから能登町穴水町、七尾を過ぎて再び羽咋まで戻り、その晩は片山津温泉に泊まった。そして、翌7日午前に小松の那谷寺を参拝してから高速道路を一気に走って、その日のうちに千葉まで戻った。今ここにブログを書くにあたって、当時の写真を見返しているが、なんとも懐かしい思いにかられる。

▶そして2017年11月23日から26日にかけて、再び北陸に行った。この時もクルマで行ったのだが、23日早朝に家を出て、東名・名神から北陸自動車道を走りに走って、午後2時過ぎに福井の永平寺に到着。永平寺に行ったのは、その年の夏前に亡くなった母が、何かにつけて永平寺の名前を口にしていたことを思い出したからである。曹洞宗大本山永平寺は、予想した通りの立派な寺であった。その晩は山代温泉に泊まった。

▶翌24日は有名な福井県立恐竜博物館に行く。途中、雪がちらつきだして、ノーマルタイヤだったので一瞬緊張したが、無事博物館に到着。大人も子どもも楽しめる恐竜博物館はさすがは福井が誇る博物館だった。午後は浄土真宗第八世蓮如が建てたとされる吉崎御坊に行く。天気は相変わらず霰が降るような寒い日だったが、暗い寒空の下の吉崎御坊は、如何にも北陸のイメージで、それはそれでなかなか風情があった。その晩は金沢市まで戻り、金沢の奥座敷ともいわれる湯涌温泉に泊まった。

▶25日は、お決まりの金沢兼六園を見てから、前回行けなかった大乗寺を参拝。大乗寺はうっそうとした大木が茂る中にあった。昔から「伽藍瑞龍、規矩大乗」と言われるように、大乗寺曹洞宗においては永平寺と並んで修行の寺として名をはせている。これで五木寛之の北陸十寺のうち、七寺を回ったことになる。その夜は、宇奈月温泉まで戻って泊まり、翌27日に千葉に戻った。

▶かくして、北陸・能登は私にとって忘れ得ぬ場所になった。その記憶の中に残る懐かしい能登半島の風景は、今年の元日に発生したマグニチュード7.6の大地震によって、ズタズタに壊されてしまった。輪島の朝市は、火災によって跡形もなく消え去り、前回の2007年の地震から何とか復興した總持寺祖院は、今度は壊滅的ともいえる被害に遭遇し、その状況がやっと一昨日からホームページにアップされ出したが、復興の見通しは全くめどがたたない。

▶私が訪れた總持寺以外の寺も、損壊被害が生じていることは間違いなさそうだが、私には知るすべがない。何より2007年の地震を乗り切った人々が、再び更に過酷な試練にさらされているのだと思うと、なんともいたたまれない気分になる。神も仏も肝腎な時には役に立ちそうもない。だとすると人は一体何にすがればいいのだろう。

地震が発生して1ヶ月が経とうとしている今朝は、テレビ各局が能登の現在の様子を映し出していた。人々の困難がじかに伝わってくる。一方、かくなる自分は自宅でこうしてテレビを見ながらのんきな暮らしができている訳で、そのことを思うと何だか申し訳けない気持ちになる。そこで少しでも被災者のたしになればと思い、重い腰を上げて郵便局に出かけて行き、赤十字に僅かばかりの寄付をしてきた。家に戻ると不思議なことに気分が少し軽くなった。神も仏もいない世界では、お互い助け合うことしか生きる道はないということか・・・。