マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

令和のベトナム出張あれこれ


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▶先週はベトナムホーチミン市に行ってましたと書くと、観光旅行ですかと言われそうだが、実は仕事がらみの海外出張です。私が一昨年から関係している会社は、建設基礎杭を製造・施工する会社であり、海外にも事業展開している。ベトナムでは現地資本と共同で建設基礎杭を製造する別の会社を経営しており、私はかねてよりこのベトナムの会社を見学したいとの希望を持っていた。しかしコロナ問題もあって、なかなか実現できないでいたところ、この程ようやく訪問できる運びとなったものである。

▶月曜日の午後、成田発JAL759便に搭乗するため電車で成田空港に向った。電車は空港第二ビルに到着する直前にトンネルを通過するのだが、その景色が眼に飛び込んできたときに、突然自分がまだ若かった頃の海外出張のことが思い出されて、にわかに感傷的な気分になった。かつては海外出張と言えば成田出発に決まっていた。ところが最近飛行機を利用する場合はもっぱら羽田が主体となっており、こうして成田空港を利用するのは本当に久しぶりだったし、何より4年前に仕事を辞めた後、自分が再びこうして仕事で海外出張に行くようになるとは、思いもよらぬことだったからである。

▶久しぶりの成田空港は、かなり変わっていた。出入国管理がすべて自動化されているのは時代の流れだろうが、出国後のゾーンに並んでいる免税ショップが様変わりしているのには驚いた。コロナ影響で空港利用者が激減し、生き残ることができなかった店が多かったという事情もあるようだ。一方、空港内の外貨両替も減っている。こちらはコロナというより海外旅行でのキャッシュレス決済が普通になってきた影響が大きいのだろう。みずほ銀行は、成田と羽田空港内の両替店をすべて閉鎖すると先日発表した。

JALのラウンジの位置は相変わらずだったが、内装やサービス内容は変貌している。まあ、しかしこれは正常化したという意味もある。私が最も頻繁に海外出張していたのは2000年代前半で、当時は国際線に進出してきたANAの追い上げで、かなり激しいサービス合戦が展開されていた。ラウンジ内で提供されるシャンパンのレベルは高かったし、新刊本なども無償で提供されていた。ビジネスクラスの乗客には空港までのハイヤー送迎サービスが付随してくるなど、やや常軌を逸した感のある競争だった。その結果かどうかは知らぬが、JALはしばらしてから経営破綻した。

▶JAL759便は、定刻より僅かに遅れて出発した。機体が滑走路に入ってから離陸するまでの僅かな時間、先だっての羽田の衝突事故のことが頭によぎったが、機体は無事に離陸したので一安心。6時間ほどのフライトでホーチミン市のタンソンニャット空港に到着した。今回の出張者は、私を含めて8名。会社が専門のアテンダントをつけてくれたので、ベトナムでの入国手続きやホテルまでの移動の手配は全てお任せとなっているのは有難い。昨年パリに一人旅をしたときとは雲泥の開きがある。

▶深夜の空港は大賑わいだった。空港ビルを出たとたんに出迎えの大群衆に囲まれたが、これはベトナム旧正月(テト)のために海外から帰国する家族を迎えきている人たちのものである。それにしてもすごい熱気だった。そして日付が変わる12時前にサイゴン川の畔に立つロッテホテルにチェックイン。後で分かったのだが、このホテルは前回(2016年)私がホーチミンに出張したとき泊まったホテルだった。

▶翌日からの仕事の内容は書くに及ばずだが、代わりに現在のベトナムについて少し言及する。私はこれまで何度かベトナムを訪れているが、毎回感じるのは市内の交通量の多さである。先だって馴染みの居酒屋の常連であるT氏からベトナム旅行記というのをいただいたが、これを読むとT氏は2004年のホーチミン市内のバイクと自動車の比率は50対1くらいとの感想を書いている。確かに昔はそのくらいの感じだったが、現在は自動車も増加し、車線の半分は自動車が走るようになった。しかし、それでもバイクの多さは圧倒的だ。

▶日本に来る外国人は、渋谷の交差点を横断する歩行者の多さに仰天して、日本人はよくも他人にぶつからずに早く歩けるものだと感心しているそうだが、ホーチミン市では、それが歩行者ではなくバイクなのだからさらに驚く。とにかく、前も後ろも横も50センチくらいの間隔でバイクが流れるように走る中を、時折歩行者が横断し、自動車が右左折し、中には逆行するバイクや歩道を走るバイクもいるのだから、この現状を何と表現すればいいのか。

▶東南アジアの国々の中で、バイタリティーを最も感じるのは、何と言ってもベトナムだろう。日本の平均年齢はモナコに次いで世界2位の48歳だが、ベトナムの平均年齢はなんと30歳。全人口の60%が30歳以下というのだからバイクの多さも納得がいくというもの。それにベトナム人は戦争に強い。かつてはモンゴルの侵略を撃破し、中国とも戦争をし、近くはフランスを独立戦争で追い出し、最後はベトナム戦争で世界最強のアメリカ軍に勝利した。ベトナム人は、本気を出せば恐い。

▶そのベトナムも、現在は経済の停滞に苦闘している。政府のかじ取りの失敗など要因は色々あるようだが、中国経済の停滞の余波を強く受けていることは感じられる。中国と同様、不動産や建設分野の停滞が著しい。ただし、中国の苦境が構造的なものなのであるのに対し、ベトナムの現在の停滞はおそらく一時的なものであると思う。理由はベトナムが依然として発展途上段階にあるからで、海外投資家から見ても、中国とは異なり、ベトナム投資へのハードルは低そうだ。

▶土曜日の朝7時50分発のJAL750便で成田に戻る。JALの機内で働くCAの人たちの姿が、こころなしか誇らしげに見えた。羽田の衝突事故におけるJALのCAの働きぶりは、世界から賞賛された。犠牲者が一人でも出ていたら、JALはどれほど信用を落としたことだろう。そして、JALの次期社長にCA出身の女性専務が就任することが決まった。飛行機を降りるとき、傍にいたCAにこのことの感想を聞いたら、実績はこれからですのでと言っていたのが印象的だった。昔JALのCAだった私の妻なら、どういう感想をもらしたことだろうか。