マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(6ー2)

▶朝起きたら曇っている。しかし、天気の心配はなさそうだ。窓の向こうには、昨日見た大王製紙の三島工場の煙突が聳えている。午前7時前にホテルを出る。本日は65番三角寺を参拝して、66番雲辺寺の登り口近くにある民宿岡田まで歩く予定だ。

▶10月にしては寒い朝の道を歩いていると、ゴミ出しに出てきた近所のおばさんが遍路姿の私を見かけて挨拶をしてくれる。嬉しい。15分ほど歩いて松山自動車道の高架橋をくぐって更に上って行くと、突然白い建物に突き当たった。ゲートの表札を見ると銅山川第一発電所とある。名前から判断するに水力発電所のようだ。

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▶街中からさして離れていない所に、何で水力発電所があるのか不思議であるが、どうも山の向こう側に銅山川水系のダムがあり、そこから隧道で水を引いて来て、落差を利用して発電しているようだ。余った水は農業用水や製紙工場向けの工業用水として使っていると言うから、愛媛県もたいしたものだ。

発電所を過ぎると、いつしか本格的な山道になる。途中、見晴らしの良い場所に出た。ベンチがあったので一休みする。下に見えるのは四国中央市の市街で、その向こうには瀬戸内海が見える。良い景色だ。

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▶歩き出して1時間40分程で三角寺の山門下にある駐車場に到着。思っていたより早い到着だ。ここから急な勾配の石段を登り上げると、そこが三角寺の山門である。
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三角寺は、聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝えられる寺で、順打ち(徳島市内の1番札所から順番に参拝する方式)の場合、伊予の国の最終霊場にあたる寺である。境内に上がると、お坊さんが一人庭掃除をしている。朝まだ早かったからか、車で来たと思われる参拝者が2~3人。いたって静かな寺である。

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▶境内に周囲が20m位の小さな池があって、その中に三角形の島があり、小さな祠が立っている。この島は弘法大師が築いた三角形の戒壇の基壇部分と言われ、寺の名前の由来になっている。

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▶午前9時に三角寺を出発し、舗装された道路をひたすら下って行く。と思っていたら道は再び上りになったので、道を間違えたかと不安になる。途中、太鼓の音がするので何の騒ぎかと思ったら、下の道に祭りの山車が巡行するのが見えた。

三角寺から約8㎞歩いて別格札所の常福寺に到着。時刻は11時だった。ここから国道192号を歩き、境目トンネルの上の峠道を越えた所で、昼食をとるために道端の石垣の上に腰を下ろした。

▶ホテルで用意してくれた握り飯にかぶりついたが、具がないのにビックリ。タダだから文句は言えないが、梅干しくらい入れて欲しかった。途中はまったくコンビニがないので、結局塩むすび一個の昼食になってしまった。

▶午後2時に民宿岡田に到着。早い時間帯にも関わらず、宿のおかみさんが笑顔で迎えてくれた。明日は難所の雲辺寺が待ち受けているので、早く宿に入れたのは良かった。

▶以下は追加の話。泊まった宿の主人の岡田さんは、ナント御年94歳ながら、かくしゃくとして宿を仕切っている。長年この業界?に身を置いているためか、その知識の量と深さたるや半端ではない。四国遍路については、人間国宝並みの一人と言っても過言ではないだろう。現在はスマホを使って、外人さんとコミュニケーションをしているから、職業上の必要にかられたとはいえ、驚きである。

▶その岡田さんから、遍路に関わる裏話を聞いたが、遍路をやるからと言って善人ばかりと思ったら大間違いだから気をつけろと、忠告された。殺人未遂犯の有名遍路もいたというから驚く。それにしても、岡田さんの話は、説得力があったなあ・・・。