マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(6ー4)


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観音寺市内では、昨夜は9時頃まで太鼓の音が鳴り響いていた。この時期、愛媛県の東部と香川県の西部地域は、秋の例大祭で大盛り上がりである。一昨日、境目峠(愛媛と徳島の県境)に向かう途中で見かけた山車もこの例大祭のものだったが、後で分かったことだが、私が見たのは山車ではなく、神輿であったようだ。

▶今朝も7時半に宿を出て、すぐ近くの琴弾八幡宮に詣でてから、70番札所の本山寺に向かったが、途中で神輿に遭遇。9時に本山寺の納経所で御朱印をもらっていた時、またもや近くで太鼓の音を聞いたので、納経所を飛び出して、あわてて写真を撮ったが、それがこれ。
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▶写真の神輿は、正式には「ちょうさ」と呼ぶらしい。この「ちょうさ」は、地区で140年ぶりに新しく作り直したそうな。何故分かるのかというと、私が直接写真に写っている人に聞いたからだ。

▶納経所にいた本山寺の住職のご内儀によると、全部で4000万円もかかったとか。何せ、各自治会では100万円単位の寄付を集めたというから、半端ではない。神社の氏子も大変だ。寺の住職の息子も、朝から近くの神社に行ってこの祭りに参加しているので、ナルホド日本では、神も仏も一緒のはずだ。

▶70番本山寺について一言。この地域では珍しい五重塔が美しい。ご内儀によると、この搭は明治に建てられたものだが、それ以前の五重塔と異なり、実際に最上階まで上れるという。つまり、各階に床が貼ってあるのだ。当時は金をとって参拝客に上らせていたそうだ。

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▶次の71番弥谷寺まで12㎞を必死で歩き、正午に到着。この寺は残り1㎞から大変で、山門に着くまで傾斜のきつい舗装路を上ぼり、やっと山門に着いても、それから本堂まで540段の階段を上らなければならない。雲辺寺と異なり、弥谷寺はノーケアだったので、心身のダメージはそれ以上だった。

▶山の中腹にへばり着いて建てられた弥谷寺は、しかし不思議な寺だった。本堂から見る景色も素晴らしいが、大師堂のユニークさも光る。ここでは、大師堂に靴を脱いで参拝し、堂の奥には岩壁をくりぬいた奥の院護摩壇も併設されている。下の写真は、本堂を参拝した私の姿だが、後ろに映った景色が、標高の高さを暗示している。次の写真は、大師堂の入り口。四国の寺では唯一無二だろう。
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▶ついでに面白い写真を紹介する。下は弥谷寺の塔の写真だが、2枚目に写っているのは、ナント私のスマホに留まった野鳥の写真。私の周りに飛びかい、写真を撮るためにスマホを構えたら、そこに留まったのだ。信じられない瞬間だった。私には亡くなった妻が来てくれたように思えて、しばらくその場を動けなかった。

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弥谷寺で持参の昼食をとって、その後72番曼陀羅寺、73番出釈迦寺と名前だけなら絶対負けない寺を巡ったが、記憶が薄い。そして、午後3時半に74番甲山寺を打ち終えて、本日最後になる75番善通寺に到着したのは午後4時を過ぎていた。
善通寺は、さすが空海地元の寺であるのか、奈良の有名寺に匹敵する巨刹である。遍路道を進むと、いきなり善通寺の真ん中に入るが、どこが山門なのか見当がつかないほど広い寺域である。地図を見ながら左に進めば巨大な五重塔と本堂がある。その道を反対にしばらく歩くと空海を祀った巨大な御影堂がある。通常の寺とはスケールが違い戸惑うばかりだった。私の印象では、四国を代表する寺と言ってもいいだろう。
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▶その善通寺の宿坊に泊まった。午後5時半から食堂で一人夕食をとったが、本当に素敵な時間だった。窓越しには、暮れなずむ人のいなくなった広い境内が見え、次第に暗くなるにつれて、堂宇と松のシルエットが墨絵のように浮かび上がってくるのだった。
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