マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

麒麟は来たのか?

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▶先週、NHK大河ドラマの「麒麟がくる」が最終回を迎えた。私も年が明けてからは、最後の結末をどのように描くのか興味があり、毎回欠かさず見た。最終回の視聴率は、18%を超えたそうだし、平均視聴率も前年の最悪だった「いだてん」を上回ったから、NHKの製作陣も、さぞかしホッとしていることだろう。最終回のネットの反応も概ね悪い評価は無かった。しかし、それにしても、コメントのどれもこれもが、何でこんなにNHKに対して金太郎飴のように迎合的なんだろう、という気分が残ったのは私だけだろうか。

▶視聴者は本当に満足したのだろうか、という思いもあって、たまたま孫を連れて泊りがけで訪れた娘に意見を聞くと、彼女の評価も必ずしも芳しいものではなかった。私自身の思いとしても、光秀を主人公に「新たな本能寺の変」の解釈を世の中に訴えるという意味で、期待値も大きかった割に、特に後半になってから、ディテイルの描き方が雑なところが気になったり、当初のストーリー展開に強引に持ち込もうとして、無理に話を作っているのではないかと思われる部分が目についてしまい、長谷川博己やモックン等の役者陣の演技の面白さはあったが、大河ドラマとしては必ずしも満足はできなかった。

▶そもそも、光秀の謀反の動機には分からない点が多く、光秀自身の半生についても、これ程の大事件を起こした割には記録が少ない。しかるに、「本能寺の変」に関しては、これまでも何度も大河ドラマに取り上げられてきているため、真偽のほどは別にして、人々の間にもステレオタイプな光秀悪者論的な解釈が定着してしまっている。

織田信長比叡山攻めや丹波攻めは確かに残虐だったかもしれないが、それは戦国時代ではよくあること。それよりも、私憤に駆られた小心者の光秀が裏切ったことにより、せっかく信長が描こうとした天下統一のビジョンが、全く別のストーリーに変わってしまい、それに対する人々の隠れた失望感が、これまで光秀をことさら悪者に仕立て上げてしまった原因なのかも知れない。

▶確かに信長・秀吉・家康を比較すると、信長には明らかに自分の力で世の中を変えていこうとする野心やビジョンがあったような気がする。それは果敢な破壊と創造を伴う行為であったから、功罪とも大きかった。一方、秀吉は戦国時代を終わらせ、家康はそれを引き継ぎ完成させたが、大きく見れば信長が作り上げた流れに乗っただけなのようにも思える。何と言っても、家康は「鳴くまで待とうホトトギス」だしね。

▶今回のドラマは、その歴史の歯車を大きく変えた光秀に焦点をあてている点で意欲的である。しかも、彼こそが麒麟が来るという乱世平定のビジョンを持ったその人であって、信長を殺したのは、決して自分自身が天下を取ろうと思ったのではなく、信長自身に問題があったからなのだという解釈に立っている。だとすると、本能寺の変の後、光秀が何を悩み考え、「麒麟が来る」ためにその後どう動いたのかということの説明が必要不可欠のようにも思うが、ドラマはそこでプツンと終わってしまった。わずかに家康に(秀吉ではなく)期待を託すというような場面も挿入されたが、説明不足の感がぬぐえない。

▶テーマが挑戦的なので、それを視聴者に納得させられるようにディテイルを作り込めばさらに面白くなると思ったが、それがなかった。光秀の行為を正当化するために、正親町天皇帰蝶や伊呂波太夫などに「信長討つべし」と言わせているが、たいした伏線もなくて突然出てきて言うので、「何でなの?」という思いだけが残ってしまう。松永久秀の天下の名宝の平蜘蛛の茶釜を、遊女の伊呂波太夫が持ってきたり、その釜を隠していることを秀吉に密告されると、今度は秀吉に逆ギレしたり、次にはあっさりと信長に平蜘蛛を差し出したり、一つ一つが「そんなことができるのかな?」という疑問ばかり残ってしまった。

▶東庵先生や駒などが、何故簡単に偉い人に会えるのかといった疑問や(東庵先生は正親町天皇とすごろくを遊んでいた)、いい味を出していた秀吉の母の「なか」や三条西実澄が突然出てこなくなったり、最後は細川藤高が秀吉に光秀謀反の恐れありと突然密告したりと、大小取り混ぜて私には説明不足感が目についた。まあ、しかし、山崎の戦い後にも光秀は生きている?というような設定も含めて、トレンディドラマとして見るのならご愛嬌の類なのかも知れない。しかし、正統派?の大河ドラマを期待していた小生にとっては、ややズッコケ感が大きかったね。

▶信長役の染谷将太が、NHKの昼のテレビで、本能寺の変の脚本を読んだ時、「やっぱり信長は最後まで光秀のことが好きだったんだと知り、感動した」という趣旨のことを言っていた。それが「光秀ならば是非に及ばず」という信長の言葉の根拠だというのだから、まあ目くじらを立てるほどのことでもないか、と思ったりもする。それに、世の中的にもこの解釈が好評だったことは最初に書いた。

▶最終回が始まる当日朝の読売新聞の編集手帳氏が、「麒麟(キリン)が来るかどうかはともかく・・・五輪(ゴリン)は来るのか」と書いていた。所詮ドラマなんだから、あまり気にするなということか・・・おしまい。