マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

令和5年のパリ一人旅(8)


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▶こちらは相変わらず好天が続いている。日中の気温は27~28度まで上がるが、汗を殆んどかかないのが日本と異なる。念のために持ってきた傘や厚手の上着も、これまで全く出番が無い。明日19時のJL46便で帰国する予定なので、パリの観光をフルで楽しめるのは本日が最終日。ガイドブックに載っている主なところは一応行き尽くしたと思っているが、まだ幾つか行きたい美術館が残っている。

▶午前8時過ぎにホテルを出て、最寄りのクリシー・ルバロワ駅に行くと閑散としている。そうか、今日は土曜日でした。サン・ラザール駅まで行ってからメトロに乗り換え、まずはモンパルナスに向かう。モンマルトルと同じく、かつてのモンパルナスは芸術家が集まる街だったが、近年はパリから南に向かう列車の拠点として近代化されてしまい、パリらしい雰囲気は全く残っていない。

▶200メートルはあろうかと思われる動く歩道を通って駅前の広場に出ると、目の前には高さ200メートルのモンパルナス・タワーが聳えている。ここは全くパリらしくない。しかし、駅前はリュックを背負う観光客が行き交っている。朝食がまだなので駅前で目立っている大きなカフェに入ったが、忙しいのか席についてもなかなか注文を取りに来てくれない。仕方ないので店を出て、駅ナカの店でコーヒーとクロワッサンで朝食を採った。

▶モンパルナスはこれで終わり。とにかく行くには行った。次にメトロを使って行ったのは、そこから少し北に位置するロダン美術館だ。こちらは貴族の館がそのまま美術館になっており、バラと芝生で美しく手入れをされた庭園には、ロダンの「考える人」が鎮座している。同じものが上野の西洋美術館にもあるから、日本人にも馴染み深い。
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▶館内にはロダンの彫刻やブロンズ像がたくさん展示されていて、明るい展示室の窓から庭園が見える造りになっており、美術館としては極めて居心地が良い。パリに来てここを訪れる日本人がどれくらいいるか分からないが、ここはおすすめです。ここでは庭でもWi-Fiが使えるので、庭園内のカフェでコーヒーを飲みながら、友人達に近況を連絡することができた。
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▶次に向かったのはセーヌ川左岸沿いにあるケ・ブランリー・ジャック・シラク美術館。超近代的で巨大な建物の中には、アフリカやオーストラリアの未開の人たちの作品が大量に集められ展示されている極めてユニークな美術館である。その迫力たるや実際に訪れてみないと理解できるものではない。
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▶館内は実際の展示に加えて、ビジュアルな効果や演出がてんこ盛りで、まさに館内全てがアートの世界と言った感じだ。彼らの作品そのものは、ピカソ岡本太郎もビックリの独創性に溢れ、そのエネルギーに圧倒される。ルーブルやオルセーがある一方、対極にこういう美術館をフランスが作るのだから、やはりパリは芸術の都と言われる街である。

▶そこからセーヌ川を渡るとすぐ近くにギメ美術館がある。こちらは、実業家であったエミール・ギメ氏が個人的に集めたヨーロッパ屈指の東洋美術の宝庫と称されているが、ヨーロッパ迄わざわざやって来て東洋美術を観賞するというのが、気分的にそぐわない。入館する迄は半信半疑だったが、ここで発見したパキスタン最初期の仏像は、私にとっては今回の旅の最大の出会いであったと言っていい。それは、ミスラ神から進化したマイトレーヤ像(弥勒菩薩)そのものだった。
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▶ここには中国やミャンマーカンボジア・ネパールなどの国々の遺物も集められているが、圧巻はパキスタンアフガニスタンから集めてきたガンダーラ美術である。仏教はインド北部で始まり、シルクロードを経て日本に伝わったが、仏像の始まりはガンダーラである。紀元前300年頃アレキサンダー大王がパキスタン迄攻め入ったので、この地域のギリシャ化が進み、その為ガンダーラ美術はギリシャの影響を強く受けている。
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▶したがって展示されているガンダーラ仏の顔は見事にギリシャ的である。本などで見て知ってはいたが、本物はパキスタンアフガニスタンに行かないと見られないと思っていた。しかし、なかなか行けるものではない。それがなんとパリで見ることができるとは、驚きの何ものでもない。
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▶釈迦が入滅して56億7000万年後に人間界に現れて救いをもたらすと言われる弥勒菩薩は、サンスクリット語ではマイトレーヤ(Maitreya)と呼ばれ、現在の学説ではペルシャの太陽神のミスラ(Mithra)に起源があると言われている。ミスラは西に伝わってローマの太陽神ミトラになり、東に伝わってマイトレーヤすなわち弥勒菩薩となった。私が奈良で出会い、また5月に恵比寿の土門拳の写真展で出会ったのは、まさにその弥勒菩薩なのである。

▶ここに来る迄パリとシルクロードは私の中では全く結びつかなかったが、こうしてパリのホテルの部屋で、私のブログの名前にもなっているマイトレーヤのことを、そのブログに書いているというのも、一つの巡り合わせかも知れない。

▶さて衝撃のギメ美術館を出ると、午後3時近い。最後はバスチーユに行って、フランス革命の勉強でもしようかと、カルナヴァレ博物館に行くことにした。ここはもともと全く行く予定に入っていなかったが、幼なじみの畏友T氏のおすすめなので今回行くことにした。
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▶バスチーユは、1789年7月14日にフランス革命が勃発した時に、市民が真っ先に攻撃したバスチーユ監獄があった所で有名なのだが、現在は遺物もなく、駅前には1830年に建てられた?革命記念塔が立っているだけである。駅を出て博物館に行く迄にノドが乾いたので、果物屋に立ち寄ってスイカを食べる。この時期にパリで食べるスイカは格別に旨く、ノドを潤してくれた。

▶博物館はパリ市が管理している為なのか入場料は取られない。私はフランス革命の歴史的遺物が展示されている3階のフロアにまっすぐ行った。入り口にはフランス人権宣言が書かれたタブレットが展示されているが、中身は政治的でも宗教的な体裁をとっているのが新鮮である。ここでの説明は、全てフランス語と英語だけなので、英語が読めないと苦しい。勉強しておいて良かった‼️
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フランス革命の歴史は、その後のヨーロッパ革命や共産主義革命に繋がっていくが、日本に戻ってからもう一度フランス革命の本でも読み直そうと思った次第。ただ、この博物館が提供している革命の生情報は、日本ではなかなか手に入りにくいだろう。ということで5時近くなったので、早めの夕食を食べて帰ることにした。

オペラ座近くにムール貝の専門展があり、ムール貝シャンゼリゼでも今回食べているが、フランス料理は東京で食べることは出来てもムール貝はここでしか食べられないと思い、再度挑戦。入ったのはレオン・ド・ブリュッセルという専門店。入って分かったのは、シャンゼリゼで食べたのとこちらでは、大きさも量も味もこちらが一枚上だったのは大満足。最初はビールを飲みながら、次いで辛めの白ワインを頼んで完食した。
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▶スタッフの愛想が良くて、私のかぶっていた帽子を手にとってコミカルな仕草をする。料理が来る前にメモをとっていたらビジネスかと茶化された。料理もサービスも良かったので少しチップを置いたら、「旦那はグッドルッキングだ」と英語で言われた。お世辞と分かっていても、この年で容姿を誉められると満更でもないと思うのはどういう訳か。

▶今日もいろんな出会いがあった。ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、最後の晩なので買ってあったビールとワインを飲む。飲みながら備忘録として書いておいたこのブログを読み直した。こうしてパリの最後の夜は、明るいまま更けて行ったのでした。