マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

忘られぬ夏の台風


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▶変則的な進路で沖縄周辺をさんざん荒らしまわった挙句、今度は急に東に向きを変えて九州地方を襲い、先日やっとのことで朝鮮半島方面に抜けて行ったのは、台風6号である。それも束の間、続いて小笠原海域で発生した台風7号は、北上して関東方面を直撃するかと思われたが、進路がやや西にそれて、15日早朝に紀伊半島の串本あたりに上陸した。お盆の最中に台風に襲われた近畿地方は、朝から大わらわである。

台風6号もやたらとスピードが遅い台風だったが、7号も時速10~15㎞ほどとゆっくりしたスピードなので、直撃を受けた地域は台風の影響が長く続くはめになる。まったく迷惑このうえない。15日の夕方になっても、台風7号兵庫県内をウロウロと北上を続け、この影響で近畿地方では停電が頻発し、各地で交通が寸断された。新大阪・名古屋間の新幹線は、終日運休が続く。午後4時半になって、鳥取県鳥取市に大雨特別警報が発出された。大きな被害がないことを祈るばかりである。

▶台風の移動速度が遅いのは、偏西風が日本列島の北に偏っていて、台風を動かす上空の風の流れが弱いことが原因らしい。気象庁によると、今夏は南米ペルー沖の海面水温が高い「エルニーニョ現象」と、インド洋東部で水温が低め、西部で水温が高めの「正のインド洋ダイポールモード現象」が同時に発生している可能性があるという。説明されても何のことか全く理解不能だが、高温と異常乾燥に起因するハワイの大規模山火事なども、意外と関係があるのかも知れない。知らんけど・・・。

近畿地方に被害を与えた台風と言えば、最近では2018年の台風21号である。非常に強い勢力(中心気圧950hPa、最大風速45m)のまま9月4日の昼頃に徳島県南部に上陸し、神戸市付近を通って速度を上げて夕方には若狭湾に抜けていったが、各地に甚大な被害をもたらした。関西空港が高潮で水没し、強風で流された航空燃料タンカーが、空港連絡橋に衝突して橋が損壊したことは記憶に新しい。

▶当時私はまだ現役で仕事をしていたが、仕事に関係する大阪の会社では、係留していた鋼材運搬船が強風で流されてしまい、一時は行方が分からなくなるなど大騒ぎとなった。大阪や京都では強風によって甚大な被害が出たが、長野や東京など台風から離れていた東日本でも風による被害が報告されているので、2018年の関西地方を襲った台風21号は、まさに典型的な風台風だったのだ。しかし私にとっては、翌年千葉県を襲った台風15号の方が、忘れようにも忘れられない人生の出来事と重なって、深く記憶に刻まれている。

▶2019年9月5日に発生した台風15号は、関東地方に上陸した台風としては観測史上最強クラスのまま、9月9日の未明に私が住む千葉市を直撃した。東京湾の奥に位置する千葉市に台風が直接上陸するというのも極めて珍しいが、この台風は上陸時点で中心気圧が960hPa、最大風速45mと非情に強い勢力を保っており、それ以上に特徴的なのが、中心から20㎞の範囲では気圧傾度が9hPa/10㎞もあったという事実である。

▶気圧傾度(気圧の傾き)が高い台風というのは、周囲との気圧差が大きいということで、中心付近で猛烈な風が吹きやすい。前年に関西を襲った台風21号の気圧傾度が5hPa/10㎞で、この時にタンカーが連絡橋に衝突しているのだから、千葉市を襲った台風15号の強風の凄まじさが分かろうというもの。ちなみに気象庁発表の最大風速は45mであったが、横須賀の米海軍の観測では、最大風速は60mだったとされている。

▶台風上陸のかなり前から、台風15号が東京地方を直撃するのではないかとの報道が頻繁になされていたようだが、私の耳に届くことはなかった。9月4日の夜に私は妻を亡くしていたからだ。当時私は気力をふり絞って関係者への連絡や、葬儀の段取りと弔問客の対応にあたっていた。病院からやっとのことで帰宅を果たした妻は、再び目を開くこともなく、エアコンが効いた部屋で静かに横たわっているばかりであった。そして葬儀の日程は9月9日に決定したのである。

▶7日だったか8日だったか、私は刻々と近づきつつある台風15号の存在を初めて知ることになる。だが、それが自分にとってどのような影響をもたらすものになるのかは、ここに至っても深い考えに及ばなかった。9月8日の夜、通夜の儀が東千葉駅近くの葬儀場で執り行われた。この夜は400名近くの人達が参列してくれて、私は大きな慰めを得た思いがした。しかし、その時台風15号はすぐ近くに迫っていたのである。当夜に参列してくれた友人・知人の多くは、遠くから来てくれた人達であったが、彼らがいかに大きなリスクを払って参列してくれたかについては、後から知ることになる。

▶その晩の千葉市を襲った暴風雨は凄まじかった。明日の葬儀を控えて、子どもや孫たちが千葉の自宅に泊まってくれたが、夜半から荒れ狂う台風の下で眠れぬ一夜を過ごした。実は夜中に自宅の一部の窓が強風に負けて開いてしまい、そこから風雨が居間に吹き込んで居間が水浸しになるという事態も起こった。台風15号は、午前5時に千葉市に上陸し、2~3時間後には茨城県大洗あたりから太平洋に抜けていった。

台風15号の猛烈な風により引き起こされた家屋の損壊は、千葉県全域に及んだ。市原市ではゴルフ練習場の鉄塔が倒れ、周囲の家々を押しつぶした。しかし最も大変だったのは停電被害である。100万都市の千葉市だけでも、我が家も含めて半分くらいの世帯が長期に亘って電気のない生活を余儀なくされたのである。

▶台風一過の9月9日の午前、妻の葬儀が挙行されたが、総武快速線をはじめ殆どの列車が運休となり、参列を予定してくれていた多くの人々は、参列を諦めざるを得なかった。車で駆けつけようとしてくれた人々も、数時間も高速道路で渋滞につかまり、結局葬儀に間に合わなかったとのことである。これらも後になって知ったことではあるが、私は感謝してもしきれない。葬儀場の最寄り駅である東千葉駅では、駅舎の屋根が飛んでしまっていた。

▶この時最も困ったのは、千葉市の斎場が停電のため閉鎖となっているという知らせであった。私は、最悪の場合、葬儀終了後も妻の遺体の保管をどこかで行うという腹を固めて、とにかく葬儀だけは挙行することにしたのである。幸いなことに斎場では自家発電によって、焼却炉の稼働だけは確保するめどがついたので、私達は冷房の止まった薄暗い斎場で、妻と最後の別れをすることになった。

▶9日以降も千葉県では停電が継続し、気象庁台風15号を「令和元年房総半島台風」と命名し、政府はこの台風被害を激甚災害に指定した。森田健作知事は、災害対応の初動のまずさを指摘されて、知事再選を諦めざるを得なくなった。南房総では、屋根の修理に1年以上も待たなければならない事態に直面するほど、この台風がもたらした被害は大きかったのである。私にとって、忘るに忘られぬ夏場の台風となった。