マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

Yさんの「ゆるゆる四国歩き遍路旅」


f:id:Mitreya:20220808153101j:image
▶私は、どちらかと言えば、計画的な性分だ。仕事をしている時は必然的に計画的にならざるを得ないのだが、定年後にヒマになっても、そのクセから抜けきれない。昨年から始めた四国遍路に行く際も、まず予定している行程を地図で確認し、往復の飛行機便と宿泊場所をあらかじめ予約する。そうすることが旅の楽しみの一つであると思ってやっている面もあるが、本当を言えば、事前に計画を作っておかないと気が済まない性格だからだ。ところが、世の中には全く行き当たりバッタリでも平気な人もいて、昨年1回目の四国遍路で知り合ったYさんもその一人。

▶先日、既に88ヶ所を巡り終わったYさんから、冊子の形にまとめられた結構な分量の歩き遍路道中記が私のところに送られてきた。読んでみると痛快このうえない。題名が、「私のゆるゆる四国八十八ヶ所歩き遍路旅」で、この冊子には私が実名入りで登場してくる。Yさんと出会ったのは昨年10月初めのこと。徳島市内の第1番札所霊山寺近くに宿をとった際、たまたま同宿したことが縁となった。ちなみに、この時の宿泊客は私達二人だけだった。

▶彼は私と同年配の北九州市八幡の人で、市内で長いこと米屋を営んでいたが、このほど店をたたんだのを機に四国遍路を思い立ち、配達で使っていた90ccバイクで徳島までやって来た。これから霊山寺の駐車場にバイクを残して88ヶ所を一気に回るのだという。話を聞く限り大した準備もせずにここまでやって来た感じで、駐車場にバイクを長期間放置しておいて大丈夫なのかとか、そもそも寺側の了解が得られるのかと疑問に思うが、本人は全く気にしていないのがスゴイ。翌朝、霊山寺山門前でお互い写真を撮りあって、道中無事を誓って別れた。

▶その晩私は、6番安楽寺の宿坊に泊まり、翌日は7番十楽寺、8番熊谷寺を参拝して9番法輪寺に向かうと、門前の茶店で昨日別れたYさんと思しき人が茶を飲んでいた。私はマイペースで歩きたかったので、茶店には寄らずそのまま9番法輪寺を参拝して次の10番切幡寺に向かった。切幡寺は、かなり長い上り坂を登り終えたあとに333段もの急階段が待っていることで有名な山寺で、汗をかきかき参拝を終えて階段を降りて行くと、「オーイ、オーイ」と私を呼ぶ声が下から聞こえる。登ってきたのはYさんであった。

▶その後私は一人で吉野川の中州を貫く道を延々と歩き、夕方11番藤井寺の参拝を終えて予約してあった「旅館吉野」に入ったが、しばらくするとYさんが同じ宿に入ってきた。翌日は「遍路ころがし」で有名な12番焼山寺。誰にでも人懐っこいYさんの要望で、たまたま同宿した遍路3周目のベテランの人に先導をお願いして3人で一緒に歩くことに。途中ペースの早いベテランの人には先に行ってもらい、今度は私が先導してYさんと二人で歩いた。夕方、12番焼山寺を参拝してヘトヘトでたどり着いたのは「すだち庵」という民宿。ここは夕食がレトルトカレーとパックご飯だけというような安宿であったが、Yさんとは酒を飲みながら話がはずむ。

▶明日はどこに泊まるのかと聞かれたので、既に予約してある旅館の名前を告げると、それなら私もそこにしますと言い出したのは想定どおり。結局翌日も一緒に歩いたが、13番大日寺に向かう途中にバカ話で盛り上がり、彼が勝手に道端になっている柿をもいで私にくれたり、ローソンでスイーツを食べたりしながらの弥次喜多道中になり、その晩は4度目の同宿となった。私は、翌日一端遍路を切上げて徳島から千葉に戻る予定なのだが、Yさんはこのまま一緒に88ヶ所回りましょうよと耳元でささやく。

▶計画のある私の場合、そうもいかないので、翌朝宿の前で写真を撮りながら残念がるYさんを残して一人徳島から千葉に戻った。それから何日か経ったある日。千葉地域でかなり大きな地震があったとき、突然私のスマホが鳴る。なんとYさんが地震を心配して電話してくれたのだった。彼はまだ遍路の途中だったので、道中ご無事でと言って電話を切った。そして先日、彼から遍路道中記が届いたのだ。

▶私と別れた後のYさんの行動は、届いた道中記に詳しい。しかしこれがまた読み物としては滅法面白い。高知市内ではYさんは友人の家に泊めてもらうのだが、その後はその友人の車で市内の札所を全て連れていってもらい、歩き遍路とは名ばかりの旅になる。これではいけないと再び歩き始めるが、基本的に行き当たりバッタリのゆるゆる旅なので、通りすがりの人の車にお世話になったり、道に迷って宿に着かなくなったので宿に電話をして車で迎えに来てもらったり、暗くなっても宿が見つからず途方に暮れて町の警察署に駆け込んだりのオンパレードだ。

▶それでも結果的に野宿もせずに88ヶ所を回り切ってしまうのだから、度胸さえあれば計画など立てなくともナントカなるのである。と、ここまで書いてきて突然気がつく。そうなのです。私と同じく奥さんを亡くして一人身のYさんは、まるでフーテンの寅さんなのです。傑作なのは最終の香川県に入った時、北九州に住む彼女(※この人のことは歩きながら聞いた)が突然やってきてドタバタする話も書かれている。その彼女はまるで寅さんに対するリリーさんのようで、この道中記に彩りを添えているのも実に微笑ましい。

▶36日かけて88ヶ所を回って再び1番霊山寺に戻り、風雨にさらされ篭の中に落ち葉が降り積もったバイクのエンジンをかけようとしたが、かからないので困った話とか、最後は高野山までバイクで行って泉佐野市から阪九フェリーで北九州まで帰る際に、フェリー乗り場までの道がわからず出航の時刻が迫るなか、通りすがりのオジサンにバイクで乗り場まで先導してもらったりとか、これでもかというほど傑作な話が続くのであった。

▶さて、私の場合、真面目?かつ計画的に、車のお世話になることもなく全ての行程を歩き遍路で通してきており、現時点まで大したトラブルもなく愛媛の43番明石寺まで終っている。そして、これらについてはその都度ブログにも書いているが、Yさんの破天荒な「ゆるゆる遍路旅」と比較すると、どうしても見劣りしてしまう。まるでトラブルがないのが悪いような気がしてくるのだ。そうかといって次回から行き当たりバッタリの遍路旅に変えることができるかというと、私には到底無理である。

▶Yさんの「私のゆるゆる四国八十八ヶ所歩き遍路旅」の冊子の表紙の裏には、「又、いつか、あえるといいですネ」と書いてある。旅は異質の人と知り合う機会である。それにしても愉快な人と知り合った。「そうですねYさん、今度私の88ヶ所の旅が結願したら、北九州にでも遊びに行きますよ。その時は、Yさんの彼女も交えて、三人で旨い酒でも飲みましょうか・・・。」

 

真夏のバス・リフォーム工事の日々


f:id:Mitreya:20220804133119j:image
▶こう呆れるほど暑い日が続くと、まったく外に出る気が失せる。全国の新型コロナ感染者数も、ここにきて連日20万人を超える状況が続いているが、こちらの動きも気分を滅入らせるには十分過ぎる。100年前に流行したスペイン風邪はワクチンも無かったのに2年半で峠を越えた。だったらコロナもボチボチ終息するころだろうと勝手に思っているが、ウィルスにはウィルスの事情というものがあるのだろう。何事につけ相手と折り合いをつけたいなら、自分のことのみ声高に主張するだけでは物事は解決しない(ですよね)。

▶一人暮らしの身としてはコロナ感染が怖いのは否定しないが、かと言って友人・知人との飲み会や会食がある場合、誘われれば躊躇せずに出ていっている。このあたりのアンビバレントな(矛盾する)感情はナントモ説明しにくいが、この歳になって分かってきたのは、健康(肉体的充足)はもちろん大事だが、楽しい時間を過ごすことも(精神的満足)共に重要であるということだ・・・と言訳けする訳ではないが、都内で感染者が3万人を越えた7月30日に、神保町近くのビアホールで昔の仲間達とビールを楽しんだ。世の中、同じように考える人も結構いる。幸いにもホールはガラガラだった。

▶一日おいた1日の午後、日本橋で歯科検診を受けたあと、日比谷の診療室に寄ってコロナの4回目のワクチン接種を受ける。これまでの3回と同じくファイザー製ワクチンだったが、3回目の時に副反応がやや強く出たので、先生にお願いしてカロナールを5日分処方してもらった。こういう融通が利くのはありがたい。その時思ったのは、もし一昨日の飲み会でウィルス感染していたとしたら明日あたり症状が出るから、その時はこのカロナールでも服用して自宅療養するしかないか、ということであった。

▶翌2日朝、起きてみると体調に変化がなかったので、ひとまずホッとする。午前8時過ぎにチャイムが鳴って出てみると、リフォーム業者がやってきたのだった。2日から1週間の予定で、風呂場のリフォーム工事に入るのだ。早速午前中からバタバタと浴室の取壊しが始まり、昼食をはさんで2時半頃には取壊しが終わり本日の作業は終了。職人さん達が引き上げていったので静かになったが、気がつくと身体が熱っぽい気がしてダルい。

▶体温を計ると36.6℃だが、平熱よりは高い。すわコロナか、ワクチン副反応か、それとも熱中症か。念のため室温を確かめると28℃近いので、早速エアコンの設定温度を下げた。冷水を飲んでソファーで横になっていたら、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めると夕方近かったが、体調は通常に戻っている。であれば先ほどの不調は気のせいだったのか・・・。

▶3日の朝、チャイムがなった。風呂工事の業者の人かと思ったら違うようだ。玄関を出てみたら以前世話になった会社の運転手の人だった。聞けば7月末で会社を辞めて別の会社に移ったのだという。東京からわざわざ千葉まで挨拶するために出かけて来たのだろうから、こちらが恐縮してしまう。しばらく玄関先で話をしたが、今年の2月に奥さんを亡くされたという。彼には私の妻が亡くなるときに色々助けてもらったが、まさか同じ境遇になるとは信じられない思いであった。

▶自分のことなのでこんなことを書くのは大いに気が引けるのだが、別れ際に彼はかつて私の部下だった二人の人物の名前をあげて、「あなたの部下になったあの人達が、今でもうらやましいです・・・」と言って帰って行った。なんてことを言う人かと思いながら家の中に戻ったが、私があの人に対して言われる程の一体何ができたのだろうと、しばらく考え込む。それにしても今どき珍しい律儀な人ではある。

▶今朝は5時に目が覚めた。珍しく夜中にトイレに起きなかったので目覚めが爽快だ。ワクチンを打った左上腕部が僅かに痛むが、それ以外は体調十分。東と南に窓がある寝室は、いつもなら既にカーテン越しに強烈な陽射しがうかがえるのだが、今朝は久しぶりの雨模様の朝で、雷も鳴っている。昨日から山形では季節外れの大雨が続いており、大雨特別警報も発令された。

▶8時過ぎにチャイムが鳴って、リフォーム業者がやってきた。今日は電気工事とサッシの工事だとか。私は時々工事を覗きながら、居間のテーブルでこうしてブログを書いている。もうすぐ昼になる。

 

 

 

コロナに席捲された家族


f:id:Mitreya:20220804134231j:image
▶先週の金曜日、午後から仕事で東京に向かう途中、スマホを見ていたら家族でやってるLINEに大量の未読メールが届いていることに気づいた。早速メールをチェックすると、浦安に住む長女の家で、4歳になる一番下の孫がコロナにかかって木曜日から高熱を出しているとのこと。どうも保育園で感染したようだが、自宅療養なので母親が面倒みるしかない。自宅では完全隔離が難しいので、彼女はもちろん、同居する家族もいつ発症してもおかしくない状況のようだ。

▶長女のメールに心配した都内に住む次女が、何かできることがあれば手伝うよと殊勝な申し出をしている。彼女の家では、家族全員が3月にコロナ感染済みだ。すると同じく都内に住む長男が、俺もコロナ感染したので現在ホテルに隔離されているとの連絡が入る。長男の家族は、先週の三連休にお台場のゲームセンターに遊びに行ったり、区民プールに行ったり、奥多摩湖でバーベキューしたりしたそうで、そりゃあまあコロナにかかるわなという話で、こちらは原因が明らかだ。

▶私からの反応が全くなかったのを心配した次女が、お父さんは元気でいるのだろうか、だれか直接連絡をとったのかと皆に聞いている。それなら直接電話の一本でもくれればと思ったが、一日LINEをチェックしなかった私も悪い?ので、すぐに返信メールを送った。あわせて、こちらから長男と長女に電話を入れて現在の状況を確認した。

▶長男は、水曜日に発熱して、翌日からホテルに隔離されているのだが、一日高熱が続いたあと、現在は少し熱が下がってきているので心配はいらないとのことだった。ただ味覚・臭覚がなくなっているのが気持ち悪いと言う。それより自宅に残してきた家族3人のことが心配のようだ。すでに3人とも調子が悪い。

▶長女のところは、発熱した孫は熱が下がってきており、それ以外の症状はほとんど出ていないので、それほど心配することはないようだ。ただ、残りの家族が今後発症するのは避けられそうもないと心配している。

▶昨日の土曜日、長男に再度電話を入れると、既に本人はホテルから自宅に戻っていた。しかし、嫁さんと娘2人は熱を出してベッドに寝ているとのことだった。やはりオミクロンのBA5というのは感染力が並みでない。ところで、長男の家族は濃厚接触者扱いとなっているが、発熱しても医者には行っていないので、おそらく都内の感染者数にはカウントされていない。

▶そして日曜日の今日、長男に電話を入れると、家族の症状の峠は越えたようなので、もう心配はいらないということだった。長女のところは、発熱した孫は普通に元気をとりもどしており、その他の家族も不思議に今のところ症状は出ていないとのこと。ただ、PCR検査をしたら陽性となる可能性は高いのではないかと思いつつも、現時点ではいたずらに心配しても仕方のない状況となっており、様子をみるしかないということだろう。

▶ということで、首都圏に住む長男、長女、次女の家族は、ほぼ全員がコロナに感染した。残るは私一人になった。長男は、親父が発症したら自分が面倒をみに行ってやるよと嬉しいことを言ってくれるが、発症の状況をみるかぎりオミクロンBA5はインフルエンザに類似しており、そうであるならウィズコロナを前提とする限り、今回の第7波は、コロナ終息の始まりだと言えないこともない。いつものように楽観的なことを言っているわけだが、念のため、8月1日には4回目のワクチン接種を受けることにした。

 

 

 

 

メガネを一つ作るのも大変という話


f:id:Mitreya:20220718173334j:image
▶数年前のこと、仕事用のメガネを銀座和真メガネで新調した。メガネの鼻当てがカチャカチャと上下に移動する遠近両用の全視界メガネというやつで、この店の特許になっているものだ。なかなかよく考えられた仕組みで、この遠近両用メガネで近くを見る時、メガネを僅かに上に動かして固定できるので、レンズの下部で近くを見る際、下目使いをしなくても済むのが売りの一つとなっている。

▶この店でメガネを作ったのは2本目だが、古くなった最初の一本はスタンダード品だったので、とりあえず予備用として保管しておいた。ところが最近になって、この古いメガネを取り出して装着してみると意外にもかけ心地が良いことが分かり、それならこれを使おうと思い、その後はこの古い1本目のメガネを専ら使っていた。

▶ところが先日、不覚にもこのメガネを壊してしまった。長年使っていたメガネなので、これも寿命だから仕方ないと勝手に諦めて、比較的新しい予備の2本目のメガネを使い始めたが、今度は、このメガネのかけ心地が微妙に満足できない。具体的に言うと、カチャカチャ動く鼻当てがフィットせず、しかも遠くを見る時に、メガネの上部ではなく下部を使って見る方が見易いということが分かった。これは明らかに変だ。

▶先々週の土曜日、壊れたメガネの代わりに新しいメガネを一本作ろうと思い、近所のメガネスーパーに出かけた。この店にしたのは、3年前の7月にここで読書用のメガネを一本作っているし、リタイアした身としては銀座和真メガネの複雑な機構ではなく普通の遠近両用メガネで十分だと思ったからだ。予約を入れて、13時30分に店に入った。

▶事情を話して遠近両用メガネを新調したいと言うと、店員に代わって店長さんが奥から出てきた。「和真のメガネはいいんですけど、鼻当てが壊れやすいですよね」などといいながら、同じ設計のレンズでよければすぐ作れますよと言う。しかし、人の眼は加齢に伴って変化するので、できればちゃんと検眼をした方がいいという。ただし検眼費用が4000円かかるとのこと。エエッ、検眼するのに金をとるのかと思ったが、検眼しないでメガネを新調するのもどうかと思い、シブシブ検眼することにする。

▶20分程かけて最新式の検眼機で検眼してもらったが、出てきた結果の説明を聞いても難しすぎて今一つピンと来ない。私の場合、遠視と近視と乱視が絡んでいるので更に複雑だ。現在使っているメガネでは、遠くを見る際に下部を通して見た方が見やすいと言うと、それは遠視が進んでいるからだと説明される。図に書いて説明してくれるが、あまり分からないという顔をしていると、この人はアタマが悪いのではと思われるのもイヤなので、適当に分かったフリをして、とにかくその結果をベースにメガネを一本作ってください、ということになった。

▶では、メガネフレームを選んで下さいということになったが、こちらは選択肢が多すぎるのか私の決断力がない為なのか、なかなか決めきれない。そのうち別のお客さんが入ってきて店長はそちらの対応にかかりきりとなったりして、なんだかんだで小一時間も時間を費やした。選んだフレームは、読書用に作ったものと同じタイプの色違い品で、価格的には標準的なものに落ち着いた。

▶そして次はレンズを選ぶということになったが、こちらはピンキリで、高いものと安いものでは価格に相当の開きがある。お客様の場合、中位よりやや上がお勧めですとの言葉に従い、3万円代のモノにしたら、これが一枚当たりの値段なので驚いた。最後は保証制度の話で、店の保証をつけると5000円でレンズを好きな時に交換できるのでどうかという。良いメガネなので是非と言われてその気になって保証費用を聞いたら18000円だと言う。

▶だったらいらないと言って店員にトータル金額を計算してもらったら、10%引きで7万8千円何がしという値段であった。オイオイそんな値段になるのかと言う顔をすると、今度は店長が横から口を出して、合計で7万円でどうでしょうと役割分担してくる。自分が考えた予算からはオーバーしているし、銀座和真メガネの値段より高い気もしたが、結構時間もかけて選んだことだし、まあいいかとこちらが折れて契約を決めた。

▶クレジットカードで支払いを済ませながら、メガネスーパーは最近経営方針が変わったのかと聞いたら、星崎何某という社長に経営が変わってから、入店は予約がメインということにしたり検査を有料化するなど安売りの会社から脱却して、最近は黒字体質が定着してきているんですという話だった。ナルホドね、道理で予想以上に価格がシッカリしているハズだと妙に納得して帰ってきました。

▶先週の土曜日に新調のメガネが店に届いたので、受け取りに行った。かけ心地を微調整してもらい帰宅してから改めてメガネをかけると、従前のものとは見え方がだいぶ異なっているのに驚いた。なんとなくピントの合う範囲が狭く、顔を動かすと画像が揺れるような気がして気持ち悪い。おそらく新設計のレンズに慣れていないからだとは思うが、果たして慣れの問題なのかどうか。そうでなかったら作り直しができるのか。一応来週にもう一度店を訪ねる予定を入れているが、とにかくメガネ一つ作るのも大変なことだと改めて思い知りました。

安倍晋三が撃たれた日


f:id:Mitreya:20220718114445j:image
参議院選挙の投票日を二日後に控えたその日は、私にとってNHK文化講座「シルクロード」の最終聴講日にあたる日だった。2年前に始めたシルクロード講座だが、私はこの日をもって聴講を止めることにしていた。一つには、昨年から始めた四国遍路の日程を組むにあたって、毎月第三金曜日のシルクロード講座の聴講がいささか障害になり始めたという事情があったからだが、何より講座内容が私にとって既知のことが多く、それなら自分で好きなように本でも読んでいた方がいいのではないかと思い始めたことの方が大きい。

▶正午過ぎに家を出る予定で軽い昼食を取りながらテレビを見ていたら、衝撃のニュースが飛び込んできた。安倍元首相が奈良県参議院選挙の応援先で何者かに銃撃され、現在心肺停止の状態で病院に搬送中とのこと。日本中が驚きのあまり凍りついた瞬間だった。要人テロなど殆どないと思われていた日本において、こんな事件がいとも簡単に起きてしまうとは、一体どういうことだろう。家を出る時刻が迫ってきたが、ニュースの衝撃が大きくて、身体が動かない。

▶それでも、2年間お世話になった講師の先生にも、一言ご挨拶をしておこうという気持ちが強かったので、テレビを消してやっとのことで家を出て最寄りの駅に向かった。千葉駅に到着したのは12時半を回っていたが、多くの人々がこのニュースを知ってか知らずか、何事もなかったように歩いている。教室に入って間もなく講師の先生が到着された。その先生が開口一番、「安倍さんが撃たれたようですね・・・」と言うと、講座に参加されている皆さんが騒然となった。

▶心肺停止の状態で奈良県立医科大学付属病院に運び込まれた元首相は、午後5時過ぎに亡くなられた。異変を聞いて駆けつけた夫人の昭恵さんは、5時前には病院に入られたようだが、残念ながら夫の死亡を確認する以上のことは、何一つできなかったのではないだろうか。

▶その晩から、テレビは安倍元首相死去の報道で埋め尽くされた感がある。安倍一強と言われ、日本の憲政史上最長の3188日も首相を務めた政治家だったので、その銃撃による死去に対する衝撃は、国内のみならず世界中に大きく広がった。翌々日の参議院選は、自民党が圧勝した。事件発生前から、自民党の優勢は明らかだったようだが、安倍の死去が何らかの影響を及ぼしたことは、おそらく間違いない。

安倍晋三を撃った犯人は、山上徹也という41歳の海上自衛隊あがりの男だが、犯行の動機は、安倍の政治信条に対するものではなく、ある特定の宗教団体に深い恨みがあり、この団体と安倍が繋がっていると思い込んだ上での犯行との報道がなされている。言ってみれば、見当違いの逆恨みによる犯行だったのではないかとのニュアンスだが、時間が経過するにつれて、色々な事実が次々と浮かび上がってきた。ことはそう簡単ではなさそうだ。

▶山上が深い恨みを抱いたある特定の宗教団体とは、昭和29年に韓国人の文鮮明が創始した統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」に名称変更)のことである。それにしても統一教会という名前を聞いて、まだこのような宗教団体が残って活動していたのかと驚く人が多いのではないか。なぜなら、統一教会は、かつて集団結婚式や霊感商法で日本中に悪名をはせた宗教団体であるからだ。

▶山上の母親は、この統一教会に総額1億円以上の献金を行い、財産を全て費消しつくして2002年に自己破産したと報道されている。山上はそれ以降統一教会を深く恨み、韓国人教祖の暗殺を狙っていたが、機会を得ることができず、その後殺害の目標を安倍元首相に切り替えたと言われている。安倍は、昨年9月に、統一教会系の平和団体の集会にビデオメッセージを寄せて、現在の教祖である韓鶴子文鮮明の妻)を賞賛した。

保守系政党と宗教団体の場合、選挙運動や信者獲得の局面において、お互いに相手を利用するという持ちつ持たれつの関係にあることが多い。自民党統一教会の関係は、岸信介元首相と文鮮明教祖の関係に始まると言われているが、岸は当時の統一教会の反共的立場をうまく選挙利用し、文鮮明は、統一教会の日本における布教活動に岸を利用した。当時は朝鮮戦争が終わってから10年と経っておらず、安保反対の大渦の中で辞任せざるを得なかった岸にすれば、反共の立場から朝鮮統一を目指す統一教会には、十分利用価値があったのだろう。

▶岸の孫である安倍晋三と現在の統一教会が、どういう関係にあるのかは知らない。分かっているのは、先の参議院選挙でも自民党統一教会との関係は続いていたということであり、統一教会霊感商法やマインドコントロールの問題を追及している弁護士からは、自民党に対して統一教会と関係を持つのは控えて欲しいとの要求が再三にわたって出されていたということである。

安倍晋三は、プーチンやトランプといったクセの強い政治家の扱いが上手かった。また2015年には批判勢力からは憲法違反だと言われながら、集団的自衛権を含む平和安全法制を成立させたが、その後の国際情勢の急変を見れば、必要な法整備であったのは疑いがない。その意味で、彼を銃撃で失ったことは自民党のみならず日本にとっても大きな損失であるとの指摘は、その通りかも知れない。

▶ただ、一貫して強気を通した安倍には、ある種の危うさがあった。モリカケ問題にせよ桜を見る会にせよ、事の本質は野党が騒ぐ程ではないと思うが、「忖度」というような古風な言葉が流行ったように、安倍一強の副作用が意外なところに出ていることを国民に広く認識させた。

▶安倍が、なぜ統一教会と関わりを持ち続けたのかは分からない。メディアが大騒ぎをしているので、いずれ皆が知ることになるだろう。私は安倍と(そして統一教会とも)同じ昭和29年の午年生まれなので、安倍と同じ時代の空気を吸ってきた分だけ、安倍には親近感を抱いてきたが、彼の強気の裏に隠れているある種の危うさを終始感じていた。しかしまさか、それが最後になってこれほど致命的な状況を引き起こすことになるとは、思いもしなかった。それにしても、惜しい政治家を失ったものである。

 

 

 

想定外の梅雨明けの日々



f:id:Mitreya:20220711093430j:image

▶ロシアのウクライナ侵攻に気を取られていたら、関東地方では未だ6月だというのに早々と梅雨が明けてしまい、東京では35度以上の炎暑が続く真夏が突然到来した。25日には、群馬の伊勢崎で40.2度という6月では考えられないような高温を記録したというから、世の中一体どうなっているんだという騒ぎだ。当然のように熱中症の患者はうなぎのぼりに増加しているので、人々はマスクを着けたり外したりと大忙しだ。

▶すると今度は東京電力の電力予備率とやらが3%を下回る恐れがあるというので、電力需給ひっ迫注意報とかいうものが政府から突然発令された。エアコンの設定温度を上げろというお達しだが、一方で熱中症防止の観点から高齢者は我慢せずにエアコンを使えと言う。民法のワイドショーを見ていたら、スタジオの設定温度が23度になっていることがバレて、SNSで皆が騒ぎだした。するとNHKでは、スタジオの照明を落として放送していますというようなテロップが流れるようになった。てんやわんやの騒ぎだが、こういう時はテレビの電源を切って読書でもするのがよろしい。

▶暑い最中の24日、日本橋の寿司屋で大学時代の友人とランチをしながら、秋に予定されるサークルの50周年イベントの相談をした。電車が遅れて寿司屋には10分遅れで入ったら、友人は既に来ていて一人でビールを飲んでいた。彼とは50年来の付き合いになるが、最近少し痩せて元気がない。声がかすれているのも心配だ。以前は元気印の弁護士だったが、一線を退いてからは日々の張り合いがないとボヤいている。

▶人生の上り坂は、皆が脇目もふらずに競うように登っていくから、敢えて登り方など考えなくても大丈夫だが、人生の下り坂ではそうはいかない。登る技術より降る技術の方がよほど難しいのは登山に限ったことではない、というようなことを話した。だいたい、現役時代に高い所に上った奴ほど、降りるのを嫌がる。高く上れば視野が開けるとでも思っているから、下ると視野が狭くなるのが嫌なのだ。だがこれは錯覚だろう。覚悟を決めて下れば違った世界が見えてくる(ハズだ)。お互い覚悟を決めてステップダウンしよう・・・というようなことを話して別れたが、これは自身に語った言葉でもある。

▶28日は株主総会の集中日で、私が関係する会社の株主総会も水天宮近くのホテルで開催された。株主総会の準備というのは、どこの会社の総務部門にとっても腕の見せ所で、念には念を入れて準備をするが、総会に付議される議案というのは、事前投票や委任状によって総会開催前に既に承認されることが100%分かっているので、当日は所謂シャンシャン総会で終わるのが一般的だ。それにしても、議案について株主からの質問が全くないというのも、果たしてどうだろうか。何となくモノ足りなさを感じたのは、責任のない身だからかも知れぬ。当日は、ホテルでランチを食べてから千葉に戻った。

▶翌29日は、友人達と平川カントリークラブでゴルフをした。予定を組んだのは5月の初めの頃だったが、おそらく梅雨の影響で流れるのではないかと予想していた。と思っていたら、予想外に梅雨明けが早かったので、当日は炎天下のゴルフとなった。朝からテレビでは、熱中症の危険があるので不要な外出はなるべく避けてくださいと連呼している中、それでもゴルフを強行したが、結果的には言われるほど大変ではなかった。まあ、スコアが想定外に良かったこともプラスに働いたのかも知れない。

▶6月最終日の30日。TOTOショールームで風呂のリフォームの最終打合せがあった。バスタブの形状がデザインに凝り過ぎているような気がしてシックリこなかったので、結局は最もシンプルなスクエア型の浴槽に決定。一人で使うだけなので、選択はいたって気楽なものだ。それと、浴室内に定番の鏡も、全く使わないので外してもらった。結果的には極めてシンプルな浴室になった。工事は8月に入ってから。

▶ここのところ、東京では再びコロナ感染者数が増加してきた。しかしながら、メディアの扱いは以前とは比べようもなく小さくなっている。大変結構なことだ。重症患者数が少なく、病床使用率も低位にあるので、季節性インフルエンザと大差がなくなってきているからか。コロナウィスルも変異を繰り返し、次第に人類と共存する方向に向かっているような気がするが、さてどうだろう。それにしても、報じられている中国のゼロコロナ政策というのは、全くもって理解不能だ。

▶2日は、伸びすぎた庭木の剪定を行う。以前から気にはしていたが、この暑さではとても外に出る気にはなれなかったのだが、今朝は比較的過ごしやすそうだったので思い切って実行した。剪定は去年もやっているが、剪定そのものよりも、切った後の枝葉の始末の方が大仕事だ。玄関先で2時間近く後片付けしていたら汗で全身がズブ濡れ状態になった。家に入ってシャワーを浴びてから体重を測ったら、1.5㎏近く減少していたので驚く。急いでノンアルコールビールをノドに流し込むように飲んだが、これが実に旨かった。労働した後の満足感がある。

 

 

 

 

風に吹かれて・・・


f:id:Mitreya:20220816121630j:image
▶学生だった頃、小遣いを貯めて買ったギターで最初に覚えたのは、PPM(ピーター・ポール&マリー)の「風に吹かれて」だった。平易ではあるが深淵な内容を示唆する詩を、PPMは哀愁味のある調べにのせて歌ったが、この歌をボブ・ディランが作詞・作曲して自ら歌っていると知ったのは、しばらく経ってからだった。しかもボブ・ディランは、岡林信康高田渡など、その後の日本のフォーク歌手に大きな影響を与えており、まさに日本のフォークブームの源流に位置する歌手とも言えるが、それも後から知ったことである。

ボブ・ディランは、1941年生まれのアメリカのシンガー・ソング・ライターで、2016年に歌手として初めてノーベル文学賞に輝いたことで世界中を驚かせた。しかも彼が最終的に受賞するかどうか不明だったため、世界中の人をヤキモキさせたことは記憶に新しい。そのディランが歌った「Blowing in the Wind(風に吹かれて)」は、1963年にリリースされた。アメリカの公民権運動に触発されてディランが作ったとされているが、全体としてみると反戦歌に聞こえる。だからこの曲は、その後に続く時代を象徴する歌であって、詩もメロディーも素晴らしいので、PPMはもちろん、多くの歌手にカバーされ今日に至っている。

▶以下、ディランの「風に吹かれて」を私なりに訳してみた。

どれだけ長い距離を歩いたら 人は人として認められるだろう 
一体いくつの海を越えたら 白鳩は砂の上で休めるだろう 
どれだけの砲弾が飛び交ったら 人は撃つことを止めるだろう 
友よ、その答えは風の中に舞っている 

山は今のまま一体何年存在し続けるだろう 削られて海に流されるまで
一体何年かかるだろう 人々が自由を手に入れるまでに
人は何度顔を背けるだろう 見るべきものを見ないふりをして
友よ その答えは風の中に舞っている

人は何度空を見上げれば 本当の空を見ることができるだろう
人は一体いくつ耳を持つことができたら 人々の悲しみの声を聞けるようになるだろう
どのくらい多くの人が死んだら あまりに多くの人が死んだことに気づくだろう
友よ その答えは風の中に舞っている 

▶私は、「Blowing in the Wind」を風の中に舞っていると訳したが、日本では風に吹かれていると訳すのが普通だ。「風に吹かれて」という言葉のインパクトは強烈で、小田和正エレファントカシマシ森高千里などが独自の「風に吹かれて」という同名の曲を作っている。もちろんこれらはディランの「風に吹かれて」のカバーではない。

▶さて、ここまで書いてきたのは、昨日21日のNHKクローズアップ現代を見ていたく触発されたからだ。21日に東京で一仕事終えて(途中、駅前の居酒屋に寄って)家に戻ったのは午後7時半だった。テレビをつけると、クローズアップ現代にサザンの桑田佳祐が出ていた。極めて珍しい。

▶何のことかと見ていたら、66歳になる桑田が、同じ歳のミュージシャン4人(佐野元春世良公則野口五郎、Char)に声をかけ、5人共同で新曲「時代遅れのRockn roll Band」をリリースしたとか。その曲の歌詞の一部にはNo More, No warというくだりがあり、いささか時代遅れだが、平和への思いとして、音楽人として声を上げるなら今しかないという趣旨のインタビューだった。

▶66歳の5人は私の年齢に近いが、いずれも若々しい。時代遅れと謙遜しながらも本音は第一線で走り続けたいという彼らの思いとその姿を見ながら、まだまだ自分も老け込むのは早い、十分に若いではないかと、とても自信をもらった気分になった。そしてその後、桑田がギター一本で、ボブ・ディランの「風に吹かれて」を自分の訳で歌い、桑子アナがハモったのだ。エンタメ番組として見ても素晴らしかった。これが本当にクローズアップ現代なのっ、てね。

▶桑田は、答えは風に吹かれているという歌詞の意味を、若い時は「答はそれぞれの胸の中にあるのだろう」と解釈していたが、最近はディランは「答なんてない、あるんだったら言ってみな」と言っていると思うようになったと。桑田は50年も前から「風に吹かれて」を知っているが、まさかこの時代のこの時に自分で新訳をつくって歌うとは思わなかったと言っていた。

ウクライナでは、今この時も、悲しみの声が充満している。そうだよね、それにしても人間て、哀しい存在だよな・・・と思った瞬間だった。