マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

50年ぶりに川端康成の「山の音」を読む


f:id:Mitreya:20210203091049j:image
▶朝から今にも雪となりそうな気配で小雨が降っている。こういう日はどこにも出かけずに読書でもして過ごすしかないかと思ったが、意を決して駅前に散髪に行くことにした。9時過ぎに散髪屋に行くと一番乗りだったので、すぐやってもらえたのはありがたい。鏡の前に、「コロナなので会話は控えさせていただきます」との張り紙がしてあったにもかかわず、マスターとの会話は弾んだ。マスターがなにげなく「実は昔ロンドンに留学していた時バイクに乗っていたんですけど、ロンドンでも日本製のバイクは人気がありましたよ」なんて言うんで、このマスターは何でロンドンに留学したのか思わず聞こうと思ったが、話が長くなりそうなので止めた。床屋のマスター恐るべし。

▶散髪が終わっての帰り道に、図書館に寄ってみる。最近の読書はもっぱらアマゾンに頼ることが多いのだが、昨年友人の一人が図書館を活用していると聞いていたのを思い出し、寄ってみた。実は数年前に一度図書館を利用した時にIDカードを発行してもらっていたのだが、これはどこかに紛失してしまっているので、再発行の申請も兼ねて訪ねると、カードは二週間後に再発行だが、仮のIDカードを出すので今日からでも本が借りられるという。そこで、日本文学全集の川端康成三島由紀夫の二冊を借りて家に戻った。

▶家に戻って川端の「山の音」という小説を読んだ。この小説を選んだのは、実は高校生の時に文庫本を買って読み始めたが、まったく面白くなくて10ページくらい読んで放棄してしまった経験があったからだ。面白くなかったのは当たり前で、主人公が62歳の老人(※時代が昭和20年代後半なので、62歳はまったくの老人として書かれている)で、同居している美しい息子の嫁にほのかな恋心を抱きながらも、淡々と暮らす鎌倉の日常風景が静かなタッチでつづられているものだからだ。その時に聞こえた「山の音」が老境に入った主人公の心の風景を象徴的に表している・・・というような小説。これを高校生が読んで面白いと思うはずがないよね。

▶その時から50年近く経過した現在の自分が読んだら、一体どういう感想を持つだろうと思って今回読んでみた次第。内容が内容だけに、面白いという表現はあたらないが、午後の時間にあっという間に読めてしまったのには驚いた。何と言っても川端の文章が実に読みやすく、老境に入った一人の男の気持ちが、読む者の心のひだにスムーズに分け入ってくるんですね。読後感は、カズオ・イシグロの「日の名残り」に似ている。さすがにノーベル賞作家は違う、と思った。

▶若い時には若いなりの読み方が、年齢を重ねれば重ねたなりの読み方があるものだ。「自分は無駄に年を重ねてきたわけではない」ことを実感することができただけでも、読んだ意味はある。昨年の正月明けに読んだ「雪国」も実に良かった・・・。