マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(1の2)


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▶実質的に歩き遍路第一日目となる今日は、身体を慣らす意味もあって、6番札所の安楽寺迄の予定を立てて宿舎を出たのが午前7時過ぎだった。昨日参拝を済ませた1番霊山寺には10分ほどで着いて再度境内に入ると、宿で一緒だった人と出くわした。

▶この人は九州からバイクでここまでやって来て、霊山寺の駐車場の隅にバイクを置いて(※だいたい、よく許可が出たものだ)、そのまま四国一周の歩き遍路を通し打ちで行う(※つまりバイクは50日以上置きっぱなしということになる)というから、かなり勇気あるというか、無謀なおじさんだ。当日の宿の予約も取らずに、そのまま歩き出せるような人を見ていると、羨ましさを通り越して、驚きである。

▶そんなことを思いながら2番札所の極楽寺には30分ほどで着いた。境内は空いていて私が一番乗りに近いのだが、参拝の手順が慣れていないため、バッグからローソクやら線香やら奉納札を取り出すのにモタモタしてしまう。その上で賽銭を投じてから般若心経を唱えるのだが、これを本堂と太子堂(空海をお祀りしている)でそれぞれやるのだから、結構手間がかかる。私はここで持参した数珠を取り出すのを忘れてしまった。

▶なんとか手順を終えて山門近く迄戻ると、年配の女性が三人で手作りの巾着袋とマスクを参拝を終えた人に配っている。聞けばお接待ですというから、2番札所で早くも接待してもらえるなんて、今日はなんだかついているなと気分が良くなる。私は彼女たちに手持ちの奉納札をお礼に一枚差し出した。これが接待された際の礼儀となっているらしい。

▶気分よく極楽寺を後にして遍路道を足取り軽く3番札所の金泉寺に向かう。道はほとんどが歩き専用で、草が繁っているような細道も出てきた。いよいよ遍路旅らしくなってくる。歩いていると、突然足下で何かが動くのが見えた。よく見ると、長さが1メートルくらいのシマヘビだった。驚いたが、これも亡き妻が迎えに出てくれたのだろうと解釈すると、悪い気はしない。2.6㎞の道のりを40分ほど歩くと金泉寺の境内に直接入った。

▶本堂と太子堂で納経してから、山門脇にある納経所に向かう。と、ここで突然重大なことに気がついた。先ほどの極楽寺の納経所で、持参している納経帳(※御朱印帳とも言う)に記帳してもらうのを忘れてしまったのだ。金泉寺の納経所で忘れてしまったことを白状すると、比較的近いので一度戻って御朱印をもらってきた方がいいですよと勧められた。何と言っても、御朱印が揃った納経帳は四国遍路の宝物なのだ。

▶何で忘れたのか色々考えてみるが、要するに後の祭りで、戻るかこのまま進んで、どこか別のタイミングで極楽寺ご朱印をもらうかの二択である。歩いて戻れば往復5.2㎞以上のロスなのだが、かなり逡巡した挙げ句、タクシー利用も考えたが、やはり歩いて戻ることを決断。この往復の道のりは正直キツかった。時間的には1.5時間のロスで、再び金泉寺迄戻ったのが、午前10時半だった。

▶気を取り直して4番の大日寺に向かう。徳島自動車道の下をくぐったところで、遍路道の道標を見て腰を抜かしそうになった。思わず「ウソでしょう‼️」と叫びたくなるような道で、とても前に進めるとは思えない。しかし、意を決して草をかき分けて進むと民家の庭の横に出た。
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▶たまたま庭で洗車していた人に挨拶方々道を尋ねると、笑いながらこれが昔の遍路道ですという。それにしても、最近人が通ったととは思えないようなところを走破して、ホウホウの態で大日寺にたどり着いたが、この道はとても人に勧められない。ここまで道が荒れると、旧道の閉鎖も、時間の問題かもしれない。

大日寺の境内では飲食禁止の札があったが、暑さと疲労も重なったので、失敬して堂宇の軒下の日陰で持参した弁当を食べた。ここも閑散としていた。その後は、5番の地蔵寺が終わったのが午後1時過ぎ。今日の目的地の6番安楽寺迄あと6㎞を残すのみとなった。

▶日差しが強く、足裏が痛くなってくる。ここまで相当の距離を歩いたが、何と言っても2番と3番の区画を3回も歩いたのが誤算だった。午後3時近くになってやっと6番安楽寺に到着。遍路初日は、とにかく、くたびれました。全部で22㎞以上は歩いたかな。

安楽寺の宿坊は、温泉風呂がある快適なところで、ここはオススメだ。すぐに風呂に飛び込んだが、この宿坊に一番乗りしたのは、実は私だった。