マイトレーヤの部屋から

徒然なるままに、気楽な「男おひとりさま」の日常を綴っています。

四国遍路日記(1の3)


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▶今日は、6番安楽寺の宿坊を午前7時に出て、11番藤井寺迄の23㎞を歩いた。藤井寺近くの民宿に、転がるようにして入ったのは午後3時半だった。天気が良いのを恨んではいけないが、10番切幡寺から11番藤井寺までは、全く日陰のない田舎道を、10㎞近くぶっ通しで歩いたのは、さすがに辛かった。特に前日もそうだが、午後2時を過ぎると突然のように疲労感に襲われるということが、よく分かった。上の写真は、吉野川にかかっている沈潜橋を歩く私である。

▶本日最初の7番十楽寺に着いたのは午前7時半。この寺は、9月末まではコロナ対策と称して午前中に寺事務所を閉鎖していた為、朝方にここを参拝した遍路は、納経帳に御朱印がもらえない憂き目にあっていたそうだ。10月1日からは通常営業?だそうだから、私は大丈夫だったが、それでも納経所に行くと誰もいない。声を張り上げるとしばらくしてから若い女性が一人出てきたが、ここはまだアフター・コロナの体制が十分ではなさそうだ。

十楽寺から熊谷寺は、朝の陽光を浴びながら、長閑な遍路道を歩く。こんな時間にこんな所を、リュックを背負って白衣を来て一人歩く姿を、数年前だったら一体誰が想像しただろうか。この時間帯は、歩き出したばかりなので、景色を愛でる余裕があり、道端に咲くコスモスの写真を撮ったりしながら歩く。体調はすこぶる順調。


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遍路道は、行政が「四国の道」と名付けているようで、所どころの辻端に標柱が立っている。加えて、地図を編纂している「へんろみち保存協力会」が、200~300m間隔で矢印付きの遍路マークのステッカーをあちこち設置してあるので、歩き遍路が道に迷うことはない、ということになっているが、私は同じ遍路道でも車用の遍路道に入ってしまい、どうも感じが違うなと思い少し焦った。通りすがりの人に尋ねたりしながら、熊谷寺までは何とかたどり着いた。時間にしてみると、僅か10分ほどのオーバーなのだが、それ以上に精神的な疲労がたまった。何故道を外れたのかしきりに考えてしまったが(※実は自分の距離感に誤算があったことが後でわかった)、まあ、この手のことはよくあります。
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▶上の写真の熊谷寺は、大きな寺だった。山麓の多宝塔が見事だが、四国は大きな寺が多い印象を持った。次の9番法輪寺は、田んぼの中にある比較的小さい寺で、印象としては、奈良斑鳩の里の寺のイメージである。そう言えば、斑鳩にも法隆寺の隣に同名の寺があったような気がする。

▶さて、法輪寺の門前には茶店があって、そこで遍路さんが一人休んでいたが、よく見ると昨日会ったおじさんだった。この人は、行き当たりばったりの人だが、不思議と私と行動が一致するのはどういう訳か。この後も行く先々の寺で見かけ、何と夕方泊まった宿も一緒になったので、だんだん仲良くなった。もっとも、宿の方は、私の宿を教えたら同じ宿にしたということらしい。下の写真は法輪寺の山門。
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法輪寺のあとは10番切幡寺だが、ここは山の中腹にあって、山門まで長い坂を上ってやっと着いた感じだが、本堂はそこから階段をさらに330段も登った先だった。たどり着いたら、額から汗が滴り落ちた。周囲の人を見ると、一様にグロッギー状態だったのは見ていて不思議とおかしい。さてここは奥の院があって、そこまで行くにはさらに階段を相当登らないといけないので、当然諦めた。写真は、切幡寺本堂。
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切幡寺から11番藤井寺までの約10㎞の道のりは最初に書いた通りだが、宿について夕食の時、隣のテーブルに座った四国遍路6周目という猛者の人が、「今日の午後の歩きは今までで最も辛かった」と言っていたので、やはりそうだったのかと、周りにいる新人遍路の皆は、私も含めて一様に納得した顔だった。下は、吉野川の清流。こんな大河で、こんなに水がきれいなのは驚きだ。思わず水浴びをしたくなるほどだ。
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